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CJM Tokyo 神宮の杜音楽院を開校するにあたって 〜院長 菊地裕介より〜

神宮の杜音楽院(CJM Tokyo)の特徴

教育理念
音楽を学ぶ意味への考え方は、人によってさまざまだと考えられます。
楽しいレッスンであればそれでいい、という考えの方もいらっしゃるでしょう。
すぐに目立った「上達」を、自らの尺度で感じたいという方もいらっしゃることも理解できます。
しかし院長は、自らの生い立ちに加え、音楽大学等での指導歴や、コンクール等の審査を通して、一度や二度のレッスンで「ぐんぐんうまくなる」とか、「楽しく上達するレッスン(受け身)」など不可能で、音楽理解(音楽享受)のレベルの向上に寄与しえないことを、体感してきました。
上記のような謳い文句に乗せられた挙句、ほとんど意味のないタイトルの取得に執心し、
そこで得た一時的な快感を実力の向上と誤認し、天狗になってしまった生徒たちの悲しい末路も目撃してきました。
音楽指導の社会的使命とは、生徒をして音楽の豊かさのもっとも内的な部分に対する感受性を高め、世界の尊い遺産の一つのとしての音楽の価値を現代の暮らしに還元しつつ、その正当な伝承を通してこれからの人類の発展に寄与することであると考えます。しかし、音楽のもっとも尊い価値である内的な豊かさとは、残念なことに、音楽と高い密度で向き合ったことのない人々にとっては殆どいつも暗号のように隠されてしまっているのかもしれません。
神宮の杜音楽院(以下「CJM」)では、稀代の超人的天才である作曲家たちが楽譜を通して伝えようとしたアイディアや感情に向き合うために、基礎力の徹底的な向上を目指します。
音楽理解に不可欠な「基礎力」とは、楽器演奏の技術に対する興味だけではなく、読譜力、すなわち内的なものを聴き取る力(ソルフェージュ、音楽理論)や、歴史的な美的感覚とその社会的背景など、広範な教養が含まれます。
その習得には長い時間を経て、その習得が学ぶものに一番の喜びと内的成長をもたらすことを、自ら実践し十分理解している音楽家の、その経験を踏まえた指導こそが至高であると、私どもは考えます。
また彼らのそれらの知見の集大成である「演奏」を間近に目撃すること、その神秘を探求しようと観察することの価値は、真にかけがえのないものです。
生徒に合った指導、はもちろん結構なことなのですが、生徒の自発的な興味と努力なくして得られる程度の理解では、さらなる高みに導くことは不可能です。
もし「習いごと」の1つとして音楽を選ぶにせよ、せっかく成長期の貴重な時間をかけて学ぶのであれば、それが人間力の最大限の向上につながらなければ不毛ではないでしょうか?
CJMは、東京藝術大学卒業などの一流の学歴と留学経験を持つ、国内最高レベルの権威あるクラシック音楽家の個人レッスンのみならず、音楽理論やソルフェージュのクラス(初級向けにはフランスのフォルマション・ミュジカルの考え方を取り入れます)、
上級者のための演奏法講座、海外より招聘する世界クラスの音楽家による特別レッスンなどを、広く展開していきます。


立地
東京都心および新宿・渋谷をはじめとする主要ターミナル駅に近く、JRや地下鉄の複数駅の徒歩圏である渋谷区千駄ヶ谷に立地する当音楽院では、周辺地域の方々はもちろん、東京圏の広い範囲より通学可能な利便性が確保されております。加えて、練習場所や宿泊施設の確保を含め、広く国内外のみなさまの受講をサポートさせていただく所存です。


設備
CJMでは、当初以下の2台の楽器を並べたレッスン室で、双方の特長を駆使したレッスンを展開します。(多くの音楽学校では、生徒さんに上位の楽器を触らせませんが…)
・Steinway & Sons D-274型 フルコンサートグランドピアノ(1996年製造)
カーネギーホールやサントリーホールといった、世界中のコンサートホールで多く採用されている、世界最高峰の楽器のフラッグシップモデルです。
・YAMAHA C3型 グランドピアノ
プロを目指す音大生たちの多くがこの楽器とともに修行する、グランドピアノのスタンダードモデルとも言える楽器です。この楽器を弾きこなすことがプロレベルの音楽に触れる第一歩と言えます!
防音室設計に40年の歴史を誇る(株)アコースティックデザインシステムの設計施工による、自然な響きを考えた音楽室に、自動加湿除湿設備を備えた空調を導入し、衛生面や健康面にも配慮した快適な空間をご提供します。
スタジオ利用を考慮した備品や図書等を収納するユーティリティスペースは防音室の外に設け、レッスン室の音響ができるだけ純粋に保たれる配慮をしています。

なぜ私が音楽院を開講するのか ~衝撃を受けた出会い~

私、菊地裕介は、2歳ごろ?から母の手ほどきでソルフェージュ教育を受けていましたが、ピアノについてはそれほど練習をしていたわけではありません。
東京都調布市の私立桐朋小学校に通うこととなった縁もあり、7歳になってすぐに桐朋学園の子供のための音楽教室の門をたたき、徐々に専門的な音楽教育を受け始め、それから高校3年生に至るまでの12年間を、当時知りうる中では恵まれた環境で…そして何よりエキサイティングな学友たちに恵まれ、日本音楽コンクールの入賞などを通して、いわゆる「優秀な生徒」に数えられる存在であり続けることができました。
しかし18歳でフランスに渡り、すぐにパリ国立高等音楽院に「首席入学者」として迎えられ、そこで目撃した光景は、雷に打たれるほど衝撃的だったのです。
中でも、シルヴェヌ・ビリエ先生の初見法の時間は2名ペアでの授業だったのですが、僕とペアを組むこととなったセバスチャン・ヴィシャールは、
先生が次々に繰り出す本格的な近現代曲の難関の課題も飄々とこなす驚異的な能力の持ち主でした。
ストラヴィンスキーの春の祭典(連弾版)も、初見でいともたやすく弾いていき、組んだ僕はついていくのに必死でした。
こうして僕も鍛えられ、不合格者も少なからず出てしまう初見法の修了試験では彼と並び「審査員の祝福つき」で修了試験を合格することができました。
セバスチャンとの思い出はこれだけではありません。
2016年に90歳で没したフランスを代表する指揮者、作曲家であるピエール・ブーレーズの率いたアンサンブル・アンテルコンタンポランの入団試験、2006年ごろでしたでしょうか?当時私はすでにパリを離れドイツのハノーファーで勉強を続けていたのですが、厳しい2度の予選を経て最終審査にたどり着いたのは、私と韓国の実力派パク・ジョンファ、そしてセバスチャンでした。
最終審査では巨人ブーレーズの前で演奏し、彼の指揮でいくつかのセッションを経て、これを制したのはセバスチャンだったのでした。
ブーレーズ氏には、私とジョンファともに音楽家としての資質は劣らないものがあるが、即戦力という点で実践に長けているセバスチャンが必要だった、とのコメントを頂きました。
セバスチャンは現在も団を中心に、素晴らしい活躍を続けています。
https://www.youtube.com/watch?v=fL0oLXGIYZs
やはりただものではなかった。ということですね。
ジョンファも円熟を深めたピアニストとして、たびたび来日し演奏をしています。
セバスチャンのような人物と共に学ぶことができた幸運に改めて感謝するとともに、彼を生んだフランスの音楽教育には、絶大な信頼を寄せることとなりました。

なぜ私が音楽院を開講するのか ~パリで学んだ8年間~

パリ国立高等音楽院ピアノ科の年齢制限は、21歳。これは同音楽院の入学要件の中でも低い方なのですが、なぜだかお察しいただけますか?
日本人留学生が入学する年齢は比較的高く、3―5年かけてピアノ科を卒業することで帰国してしまうことが多く、彼らの姿のみをもってパリの教育を語ることは全くできません。
フランス人の優秀な学生の多くは、早ければ12歳前後からという若さで入学するピアノ科は「入り口」として、まずは通常の中学・高校などとダブルスクールをしています。
その後音楽の道を本格的に進むことを決意すれば、伴奏科、和声学、音楽学、エクリチュール、作曲、指揮、そして音楽教育など、ダブル・メージャー、トリプル・メージャーを当たり前のものとして真髄に近づいて行きます。(近年、私の弟子を含め、このような勉強をしていくものが増えたことは喜ばしいことです!)
そのため、これらの専攻の入学要件の年齢制限は、ピアノ科のものよりもずっと高くなります。費用は、いくつ掛け持ちしても同じ登録料だけです。
これらの訓練を積み重ねて音楽院を去り、音楽以外の職業に就くことを選択するものも、なおいるのです。
私は、3年間の高等課程(大学相当)、続く2年間の研究科を修了するのと並行して、上記のシルヴェヌ先生の紹介でどんどん素晴らしい先生と出会っていくことができました。
実践的なキーボードハーモニーの凄まじさを教えてくれたイザベル・デュア先生、ゆるぎない和声法を授けてくれたジャン=クロード・レイノー先生、気鋭のオルガニスト・作曲家ティエリー・エスケッシ先生、歌曲伴奏のスペシャリストのアンヌ・グラポット先生、大作曲家の精緻なオーケストレーションを紐解いてくれたマルク・アンドレ・ダルバヴィー先生など、他にも多くの素晴らしい音楽家たちとの出会いに恵まれ、歌曲伴奏と、エクリチュール(作曲法)3つの専攻について、最優秀の(Mention Tres bien)成績で修了要件を満たし、免状を頂くことができました。
その後、ドイツに暮らしながらピアノコンクール武者修行を経て帰国し、演奏活動とともに、音楽大学をはじめとする現場で音楽教育に携わり続けて12年になります。
その間、ずっと胸にあったのは、このパリで過ごした8年間のことでした。
学校の試験や、多くのコンクールも審査する立場にありましたが、素晴らしい才能を持つであろう若い演奏家たちの誕生を祝福しつつも、その何倍もの疑問を持ち続けてきたことも、また事実であります。


なぜ私が音楽院を開講するのか ~お稽古として学ぶピアノ教育のあり方~

楽典、和声、といった音楽的な文法が分かっていればありえないような、道理が通らない間違いをしばしば耳にします。
達者に音符が並んでいる演奏であっても、音楽的欠陥のフルコンボのような悲しいミス連発の演奏をどれほど耳にしたことでしょうか?
ある種の精度を極端に高めるために、どれほどの労力を費やしたか、その努力にはひたすら頭が下がる思いですが、伝統に基づいたアプローチを借用し楽譜を丁寧に読み解き、作曲家の魂に寄り添い、歴史を理解し、異国の、そして自らの文化を尊重し、当時と現代を結びつける普遍的な人の「こころ」に触れるメッセージを音と音との関係性に載せていく…
という「演奏」の基本的な要件を満たしていないパフォーマンスを、どれほど目にしてきたことでしょうか?
重ねて申し上げますが、ここでいうミスはミスタッチではありません。
意味を持つ音程の並びが、崩れてしまっていることに気を留めていないということで、そもそも聴けていないし理解もしていないのを露呈してしまうことを示しています。
ひとはそれを「音楽性」とか「センス」という言葉で安易に天与の才覚によるもののように語りたがるものです。
しかし、私には確信があります。
センス、とは、基礎の積み重ねによって成り立っています。「基礎」には理論的な裏付けがあり、それは訓練されるものです。
「音大を受験するわけではない」
「プロを目指すわけではないのだから」
というもっともらしい理屈で、この基礎訓練を敬遠する人々が、なんと多いことでしょうか?
しかし、「お稽古」の目指すところが何であるかを考えていただきたいのです。
「基礎」とは、「自ら構築する力」そのものなのです。
「お稽古」を通して、自ら考える力を育てなければ「お稽古」としての意義すら成し得ないのではないでしょうか?
毎日何時間も練習したのにその力を身につけることなく、音楽の本当の素晴らしさを体験する前にピアノをやめていく生徒が非常に多いようです。
限定されたレパートリーの一定期間の刷り込みで器用にコンクールの舞台をこなすことも、それはそれで立派なことです。
根性や努力の大切さを学ぶ一定の効果は得られるかもしれません。
しかし、取り組んでいる音楽の真の素晴らしさに触れる以前に、いたずらに競争心や射幸心をあおるだけに終わってしまっているケースも少なくないのではないか、と感じています。
「お稽古」であれば、なおのこと「読譜力」を身につけなくてどうするのでしょうか?

なぜ私が音楽院を開講するのか ~本物のメソードを求めて~

「私は譜読みが遅い」というセリフを非常に多く耳にします。
そこで、目の前に置かれた譜面に対していくつかの質問をしてみると、その回答に「なるほどそれは遅くて当然だ」と思うことがほとんどです。
私の言葉を信じて基礎の訓練を重ねれば、ほとんどの曲は、みなさんが思っているよりもずっと短い期間で、その真髄に近づくことができるはずです。
「読譜力」は必然的に「読譜量」を高めます。
「読譜量」を増やすことがさらなる「読譜力」を生みます。
そのことで、ますます真髄に近づきます。
これを「読書量」に置き換えれば、みなさん日頃から実感なさっているのではないでしょうか?
なぜピアノに向かうと、その実践をやめてしまうのですか?
個人教室、個人レッスン、が主体となっている世の「ピアノ教室」の先生方のマルチ、そして献身的なお仕事ぶりには、本当に頭が下がり、心より敬意を表します。
しかし、「専門性」という観点から見ると、その「真髄」に至るところまで一人で導ける先生は、決して数多くいるとは思えないのが事実です。
私とて、自らが音楽家として実践した以上のものを弟子に施せる自信はありません。(自分の体験より早い時点で施すことは可能だと思いますが)
また、一人ですべてを成し得るとは思っていません。自らに足りないところも、次第に理解してきました。
得意な方面を、連携することが大切だと悟りました。信頼している学友、良き理解者である家族とともに、この教室を築いていきます。
こうして私自身も少しずつ成長していきたいと考えております。
教育たるもの、常に「真髄」を目標に据えなければなりません。
真の知性を高め、洞察力を伸ばす、人間力の一部として施された音楽教育を受けた人々が、社会のあらゆる領域に浸透してこそ、社会に寄与するリベラルアーツたる音楽の真価は発揮されます。
この、触れたものにしか味わえない感覚を、少しでも広めたい一心です。
幼児からシニアまでのみなさん!この真髄に触れ始めるのに、早すぎることも、遅すぎることもありません。
「今」こそ!

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