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【一人会議】先に「表現」、あとで「作業」。(2022.5.24)

スタジオ通いを少しお休みして、作業を進めようと思ったが、さっそく滞って、そしてさっそくイライラして困っている。

さっき「詩的感情放出」と称して自分のなかにある恐怖心みたいのを整理したら、少しはスッキリしたんだけど。

要は、「表現」がしたいのに「作業」してると焦るんだよね。

私のなかには「表現」というのと「作業」というのがあって、やりたいのは「表現」だから、何を表現するか?がハッキリしないまま「作業」しようとするとバランスが崩れてしまうらしい。

だが一方で、「作業」は絶対に必要なものだから、それをどう「表現の一環」としておこなうか?という心持ちについて考えていく必要がある。

つまりは「作業」のプロセスが「表現」になればいいということなんだけど。

そもそも「作業」と「表現」は何がちがうのか??

私にとっては、その先の景色が見えていないことが原因かな。アウトプットのイメージというか。

例えば今こうやってnoteを書いているときは、その先に誰とは言わないけど「誰か」をみていて、その誰でもないけど「誰か」に話しかけるように書いているから「表現」としての成立感がある。

だけど音の制作作業をしているときには、何も見えていない。

ただアウトプットしたことが少ないからイメージできないだけかもしれないけど。恐怖とか緊張とかが大きいのかもね。

それがあのプチノイローゼ感につながるわけだ。

なるほど。(急に合点がいった)

ではこれから、具体的に何が「作業」で何が「表現」で、どうやったら「作業」を「表現の一環」として行うことができそうか?

因数分解してみようか。

その作業内容を分解すればきっと、少しはラクになれるはず。

ということで。

とにかく止まってしまいがちなときは、あっちにもこっちにも色々書いてみようということで。なんでもない、一人会議を書いてみました。これもまた表現なので、こうやってどんどん自分をラクにしてあげたくて。

「表現」から離れて「作業」だけしていると、不安になるみたいです。とにかく「表現」していくということですね。そして「表現」を定めたうえで「作業」をするということですね。

なんか、ようやく進みそうです。

#制作日誌  #一人会議 #ただの日記 #作業と表現

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