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火が人類にもたらした恩恵 (前編)

人類はいつから火を使うようになったのだろうか?

実はこの起源についてはまったくわからず、170万年前からホモ・ハビリスが使っていたと唱える学者もいれば20万年前ぐらいだろうと言っている学者もいて統一的な見解はなく、特定の時期をはっきりと断言することはできない。

いつ頃からにせよ、最初期は火というものを見たこともないのに熾(おこ)そうとしたはずがなく、落雷火山活動などによる山火事などを見て火の存在を目撃して知ったのだろう。

野生動物が火を見てたじろぐように、初めは人間も火は恐れる存在だったに違いない。

そして何十世代、何百世代とかけて慣れてくるとその自然発火によって火のついた木の枝などを住処(すみか)に持ち帰って火種とし、その便利さに気づいたことで自らの手で熾す方法を何万年という期間をかけて無数の世代交代を経て試行錯誤し、人類はあるときそれに成功したのだと考えられる。

苦戦する考証と不確実な痕跡

旧石器時代のような太古の遺跡の発掘の際に人類の火の使用を断定するには困難を極める。

小さな痕跡では風雨にさらされれば消えてしまい遺物として残りづらく、落雷や火山活動、化学反応などによって自然発火加熱現象が起こり得る。

洞窟など風雨にさらされづらい場所には痕跡が残りやすいが、古代の人びとが住んでいたような洞窟は石灰岩などの浸食されやすい石でできていることが多いため必ずしもそうとは言い切れない。

ケニアのバリンゴ湖の近くチェソワンジャ、コービ・フォラ、オロロゲサイリには前期旧石器時代と見られる痕跡が残っている。

チェソワンジャでは142万年前の赤粘土製の土器らしきものが発掘され、これが土器だったとすれば製作するには400度以上の加熱が必要だ。

コービ・フォラの150万年前の地層からはホモ・エレクトスの遺骨と変色した土壌が見つかり、そこには植物の珪酸体も含まれていた。

これにも200から400度の加熱が必要となる。

オロロゲサイリでは炉と思しき窪みが発見され、人類の行動とは無関係の自然発生物の可能性もあるが炭の微細片も見つかった。

エチオピアのガデブにはホモ・エレクトスのアシュール文化の形跡と思われる凝灰岩の破片が見つかり、これを人類が火を使った痕跡とするか火山活動によるものとするかは専門家の意見が割れている。

中部アワシュの河川沿いの村では推定200度で焼かれた円錐状の赤みがかった粘土が見つかり、焼けた木の一部も発見された。

アワシュ渓谷にはかなりの高温で加熱された石が見つかったが、現在ではこれは火山活動によるものだと考えられている。

ディレ・ダワ近郊のポーク・エピックにも火を使った可能性のある跡が見つかっている。

南アフリカのスワルトクランスでも150万から100万年前にホモ・エレクトスが火を使ったような形跡があり、発掘された動物の焦げた骨のいくつかはアシュール石器や骨角器(動物の骨や角や牙や殻で作った道具)、人間が切ったとしか思えない痕が残る骨とともに見つかっているが、当時の人類に焼かれたものだと断定できる証拠はない。

確実視されている火の使用痕跡

アフリカ〜中近東

イスラエルのゲシャー・べノット・ヤーコブ炉跡には焼けたオリーブ、大麦、葡萄(ぶどう)の種、木と火打ち石が残っており、79万から69万年前にホモ・エレクトスあるいはホモ・エルガステルが火を使っていた証拠として、これが現時点で判明しているなかでは世界最古の確実な痕跡である。

テルアビブから東へ12kmにあるケセブ洞窟には火のそばで獣を殺して解体し、強い火で加熱したと見られる骨や土の塊があり、更新世後期の38万から20万年前は日常的に火を使っていた可能性が高い。

南アフリカのハーツ洞窟には70万から20万年前、モンタギュー洞窟には20万から5万8000年前、クラシーズ河口洞窟には13万から12万年前のものと見られる痕跡がある。

スティルベイ文化では火はシルクリート石器の加熱処理に使われ、その加熱処理は16万4000年前からされていた可能性があり7万2000年前の石器が発見されている。

ザンビアのカランボフォールズには焦げ跡、炭、赤く変色した土、燃えた植物、焼き固めた木の道具など火を使った証拠が多数発見されており、放射性炭素年代測定アミノ酸年代測定法によって11万から6万1000年前のものと推定されている。

ヨーロッパ

ハンガリーのベルテスゾロス遺跡では〈サム〉と通称で呼ばれる遺骨が見つかり、炭は見つからなかったが50万年前の地層から焼けたような骨が見つかった。

イギリスのウェスト・ストーにあるビーチズ・ピットには40万年前のものと推定される1mほど黒く変色し周囲に赤い堆積物が残っている遺跡があるが、火の使用痕跡と判断するかは見解が分かれている。

ドイツのシェーニンゲンの40万年前と見られる遺跡からは投槍や食糧とされたと思われる22頭分の馬の遺骨のほかに火打ち石と炉が発見された。

スペインのトラルバアンブロナではアシュール文化の石器とともに50万から30万年前の炭と木が見つかった。

フランスのサンテステーヴ・ジャンソンのエスカーレ洞窟には20万年前の5つの炉と赤土があった。

これらもホモ・エレクトスの火の使用痕跡だと考えられている。

アジア

中国の周口店では46万から23万年前あるいは78万年前頃のものと見られる北京原人(ホモ・エレクトスの亜種)による火の使用痕跡が残っている。

焼けた骨、焼かれた小石の加工品、炭と灰、炉、ホモ・エレクトスの化石が見つかり、骨のマンガン変色は加熱された痕(あと)だとわかった。

破片の赤外分光スペクトルも骨が酸化していることを示し、見つかった無変色の骨を加熱したところ変色した骨と似た状態になった。

しかしこの加熱は人類の手によるものではなく自然加熱だった可能性もあり、この層からは珪素、アルミニウム、鉄、カリウムなどの酸化物は見つかったが木を燃やして発生する珪酸化合物は見つかっていない。

山西省の西侯渡からは燃やされて黒、灰、灰緑に変色した哺乳類の骨が見つかり、雲南省の元謀(げんぼう)県からは元謀原人によって焼かれたと思われる骨が見つかった。

これらは古地磁気の分析により70万年前頃と推定されている。

インドネシア・ジャワ島のトリニールにあるジャワ原人の遺跡からは50万年前のものと見られる焼かれた骨と炭が発掘された。

ネアンデルタール人

前期旧石器時代のホモ・エレクトスが火を使っていたという見方には異論を唱える学者もいるが、中期旧石器時代のホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)の火の使用に関しては多くの学者が同意している。

ネアンデルタール人の火の使用痕跡としては、フランスのドルドーニュ県XVI洞窟から乾燥した地衣類を燃料に使ったと見られる6万年前の炉の跡が見つかり、ブリュニケル洞窟からも4万7600年前の炉の跡が見つかっている。

さて次はいよいよ火がどのような恩恵を人類にもたらしたのかを見ていこう。

この記事は 火が人類にもたらした恩恵 (後編) に続きます

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