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人はいつから風呂に入るようになったのか?(前編)

現在では人びとにとって入浴をすることは食べることや寝ることと同じように日常のルーティンのなかに織り込まれ、むしろそれをしなければ気持ち悪くて生きていけないというレベルにまで達している。

風呂という括りをどこまでの広さで定義するのかにもよるが、野生のゾウやサイのように川で水浴びすることも風呂だとすればその始まりは数十万年や数百万年前まで遡るのかもしれない。

しかし我われはゾウやサイではないので想像でしかないが、彼らの場合は体を清潔にするためという衛生観念からではなく単純に体を冷やすために川に入っているように見える。

野生の猿が温泉のお湯に浸かっているシーンはよく見るが、あれも体を洗うためというよりも体を温めるためにだけに入っているように見える。

同様に考えると人類の太古の水浴びも体を洗うためという目的ではなかった可能性もある。

すなわち体を洗って身を清めるという概念が生まれたのは宗教的な信仰が興って以後のことだと考えられるため意識的に沐浴(もくよく)をし始めたのはその頃からだと考えられ、儀式的な意味ではなく純粋に体を洗って安らぐために風呂に入るようになったのはさらに後世になってからだろう。

入浴の世界史

古代世界においてはやはりもともとは川などに入る水浴が始まりだと思われるが、温泉も想像以上に早い段階から発見されていた可能性もあり、人間が入れる温度かどうかは野生動物が入っているのを見て確認し体を温めるために利用していたかもしれない。

ましてやお湯自体に入らずとも蒸気を浴びるだけでもある種の温浴となるため、風呂という概念を広く捉えれば利用していた可能性は否定できないだろう。

古代ギリシア

紀元前6世紀頃のギリシアでは現在のオリンピック精神の元となった「健全な精神は健全な肉体に宿る」という考えからスポーツ施設に沐浴のための大規模な公衆浴場として水風呂が付帯していた。

また神殿に入る際にも沐浴によって身を清める必要があった。

メソポタミア文明

紀元前4000年頃のメソポタミアでは祓(はら)い清めの沐浴のために浴室が造られ、紀元前2000年頃には薪を使った温水の浴室が神殿に造られていた。

インダス文明

紀元前2600年頃のモヘンジョダロハラッパーといった都市には中心地に大規模な公衆浴場が完備しており、古代インドのマガダ国の首都王舎城にあった仏教最初の寺院である竹林精舎の近くには温泉がある仏教僧院があって湯治(とうじ)を目的としていたと見られている。

古代ローマ

帝政時代の古代ローマの公衆浴場はバルネアテルマエと呼ばれ、各都市に少なくとも1ヶ所は設けられ裕福なローマ人にとっては現在我われが温泉に行くような感覚で娯楽的な意味合いもあったようだ。

浴場は非常に豪華な造りで湯を沸かす際の熱を利用したハイポコーストと呼ばれる床暖房設備まで整っていた。

奴隷を伴って浴場へ行き、料金を支払う。

入浴前にはランニングやウェイトリフティングあるいはレスリングや水泳などをして汗を流し、奴隷が主人にオイルを塗って肌かき棒で汚れとオイルを落としてから床が熱いので履き物だけは履いて入浴した。

奴隷はタオルを運んだり飲み物を運び、人によっては1日中入浴することもあったとされる。

地中海地域では社交場としての男女混浴が楽しまれていたが、ハドリアヌス帝の時代に禁止され男女別浴になった。

その後はキリスト教の浸透にともない裸で同じ場所に集うことが禁忌とされ廃れていった。

その後の動き

ヨーロッパでは13世紀頃までは入浴の習慣自体は普及していたが、地方ではあくまでも教会へ行くための清めとして木桶に温水を汲んで体を簡単にすすぐ程度の行水(ぎょうずい)的なものだった。

都心においては公衆浴場が存在し住民は週に1〜2回ほど温水浴や蒸し風呂を楽しんだが、男女混浴だったため猥褻行為もたびたび発生した。

14世紀にはペスト(黒死病)が大流行し「入浴によってペスト菌が体に取り込まれる」という誤った解釈が広まったことで湯船に浸かる習慣自体が忌避されるようになり、地中海からヨーロッパ地域においては入浴の文化が縮小していった。

いっぽうでかつてのローマ帝国領の東部に位置する中近東地域ではヨーロッパの文化が受け継がれ、ハンマームと呼ばれる公衆浴場が住民の社交場としての役割を担った。

18世紀にはヨーロッパでも入浴が有害ではないことが理解され始めたが、そういった経緯から湯船に浸かることよりもシャワーによる入浴が普及し、現在でも欧米では浴槽自体が風呂場にない造りの建物も多く温水の風呂に浸かるのは月に1〜2回程度である場合が一般的である。

日本

もともとは神道の風習における(みそぎ)として川や滝である種の沐浴がおこなわれていた。

6世紀に仏教が伝来すると寺院には湯堂浴堂と呼ばれる沐浴のための施設が造られ、もとは僧尼のためのものだったが「入浴は病を退(しりぞ)けて福を招来する」との教えから施浴として風呂を一般民衆にも開放した。

この頃の風呂は湯船に浸かるものではなく薬草などを入れた湯を沸かしてその蒸気を浴堂内に取り込む蒸し風呂の形式だった。

平安時代には寺院だけでなく公家の屋敷にも同様の施設が造られ、次第に宗教色は薄まり衛生面や遊興としての色彩が色濃くなったと考えられている。

鎌倉時代には東大寺復興に尽力した重源(ちょうげん)による施浴において鉄湯船が使われ、現在でも1197年に鋳物師の草部(くさかべ)是助(これすけ)が造ったものが国の重要文化財として東大寺に奉納されている。

湯船に浸かるスタイルの入浴が日本においていつから始まったのかは明らかではないが、一般化したのは江戸時代に入ってからだという考えが有力となっている。

風呂の種類

ひとくちに風呂といってもいろいろなタイプの風呂がこれまでに生み出されてきており、そのなかでも特に日本国内における動きを中心に見ていく。

蒸し風呂

直接お湯に浸からず蒸気で体を蒸らす蒸し風呂が日本においては温浴の始まりであることは先述した。

仏教の施浴としての蒸し風呂は各温泉地に開かれたとされ、大分県別府市の鉄輪(かんなわ)温泉に現在もある鉄輪むし湯は一遍上人が施浴のために開いたものを継承している。

熱された床の上に石菖(せきしょう)という薬草を敷きつめ高温で蒸し、鎮痛効果のあるテルペンを成分とする芳香を放出して皮膚や呼吸器から体内に吸収させる。

人の入浴用ではないが漆器(しっき)に塗った漆(うるし)を乾燥させる室としての漆風呂も蒸し風呂の一種と数えられる。

岩風呂

岩風呂または石風呂とも呼ばれるが、日本の瀬戸内海など海岸地域にかつてあった蒸し風呂。

天然の洞窟などの密閉された岩穴のなかで火を焚いて熱し、水気を与えることで蒸気浴や熱気浴をした。

海辺の岩風呂と山間部の岩風呂では蒸気の起こし方に違いがあり、海辺ではある程度の温度になったところで灰の上に海藻や海水で濡らした筵(むしろ)を敷いた。

山間部の川沿いでは真水で濡らした稲藁と菖蒲(しょうぶ)を敷いて蒸気を発生させた。

釜風呂

日本列島の内陸部で広まった蒸し風呂であり、特に京都の八瀬(やせ)にある竈風呂が知られる。

岩で直径2mサイズのドーム型を組み下側に小さな入り口を設けてドーム内に火を入れてまず焚き熱し、塩水で濡らした筵を敷いてその上に人が横たわって利用した。

サウナ風呂

フィンランドが発祥地とされるある種の蒸し風呂で、個室もしくは数人が入ることのできるスペースでサウナストーンと呼ばれる大量の石をストーブで熱しそれ自体の熱と石に水をかけて発生する蒸気(ロウリュ)とで室内の温度と湿度を調整する。

室内の温度は50度から最高で120度以上にもなり、一度入るだけで終わりとする人は少なく、ある程度の時間が経ったら水風呂や雪に入ったり外気に当たってクールダウンし再び入浴することを数度繰り返す温冷交代浴が基本的なサウナ浴のスタイルである。

起源としてはかなり古く、石器時代に現在のフィンランド人の祖となったフィン人が掘った穴を利用してすでに同様の仕組み(ダグアウトサウナ)を築いていたことがわかっている。

その後は農業や牧畜の時代から近現代のサウナの原型となったアースサウナ(マーサウナ)が始まったとされ、小高い丘の地中に穴を掘ってそのなかに小屋を建てておこなわれた。

スモークサウナ(サヴサウナ)という煙式のサウナも約1000年ほど使われたが第二次世界大戦後に人気が低迷し衰退した。

水風呂

お湯ではなく水を張った風呂のことでありサウナなどの蒸し風呂に入ったあとに体を冷やす目的で利用するために現在でも利用される。

江戸時代の農村部では風呂といえば行水、すなわち大きめの桶に水を張って入浴したり手桶で体に水をかける形式が一般的であった。

五右衛門風呂

安土桃山時代の盗賊石川五右衛門が京都の三条河原で釜茹での刑に処されたことが語源とされている。

十返舎一九の『東海道中膝栗毛』では「土釜の上に直接風呂の桶を据え、底板は浮いていて入浴時に底板を足で踏んで沈めて入る。少ない薪で済むので経済的だ」というような描写が確認できる。

弥次さん喜多さんはこの入り方を知らず底板を取り除けて入ろうとしたため足を火傷するエピソードが滑稽に描かれている。

現在の日本では広島県の大和重工が全体が鋳鉄製の五右衛門風呂を唯一生産しているが、厳密には縁が木桶で底だけが鉄のものが五右衛門風呂であり、全部が鉄でできているものは長州風呂と呼ばれる。

水道がない時代は家の外にある井戸から水を運んで湯桶に溜め入浴後に残ったお湯は外に運び出す必要があったので履き物についた土を落とせるように洗い場から一段下がった部分の土間は三和土(たたき)となっていた。

ドラム缶風呂

専用の湯桶ではなくドラム缶の廃品を風呂桶として利用する五右衛門風呂の亜種であり、石を積んで作った釜の上に設置したドラム缶に水を満たして底部を釜の火で熱してお湯にするシンプルな仕組みだ。

第二次世界大戦中には燃料の入っていたドラム缶が調達しやすかったので戦地ではよく利用され、戦後も家に内風呂がなく銭湯に通わざるを得なかった家庭では使われた。

現在は一部のキャンプマニアがおこなうほか、ボーイスカウトの訓練やアウトドア系施設の娯楽として野外のドラム缶風呂が体験できる。

木桶風呂

檜(ひのき)を用いた大型の小判型木桶に火を焚くための鋳物製の釜や煙突が付属する形となっており、この煙突のついた形状が鉄砲に似ているため鉄砲風呂とも呼ばれる。

江戸時代からあったが一般に普及したのは明治から大正にかけてだと考えられている。

普及が進むにつれさらに改良されて二重構造の釜に浴槽内の水を対流循環させることで現在の追い焚きと同様の仕組みも生み出された。

ガス風呂

鉄砲風呂の熱源をガスバーナーに替えただけのものであり、明治時代から1950年代まで利用され初期の団地にも設置された。

高価だったためあまり普及は進まず、浴室内吸排気タイプがほとんどだったことでガス中毒事故が多発した。

FRP風呂

1958年に伊奈陶器(現在のリクシル)はFRP(Fiber Reinforced Plastic:繊維強化プラスチック)と循環釜を組み合わせた「ポリバス」を発売し、この浴槽は高温に耐え保温性も高かったためそれまでの木桶風呂に代わる存在となった。

その後は他社もFRP浴槽の生産に参入し全国の団地や家庭に普及していった。

ユニットバス

工場で成型した壁、天井、浴槽、床を現場に搬入して組み立てる簡易的に設置できるタイプの風呂であり、アパートやマンションでは洗面台やトイレと一体になっている場合がよく見られる。

日本では1960年代半ば頃から新設のホテルに設置され始め、特に1964年の東京オリンピックのために突貫工事がおこわれていたホテルニューオータニから発注された東洋陶器(現在のTOTO)は大量に納品した。

1970年代半ばからは集合住宅向けに普及し、当初の素材はFRPが主流だったが1980年代には素材の開発が進みポリエステル樹脂やアクリル樹脂を用いた人工大理石浴槽や保温性の高いステンレス浴槽もシェアを拡大した。

ジェットバス

浴槽内に勢いのある泡を発生させる噴流式の泡風呂であり、イタリア系アメリカ人のジャクーズィ兄弟が創業したジャクーズィ社が1968年に開発した渦流浴桶(whirlpool tub)が起こりだとされ、それが訛ったジャグジーという言葉でも日本では呼ばれている。

日本メーカーも相次いで参入したがリクシルやノーリツ製のジェット噴流装置で死亡事故が発生したことがあり問題点も指摘されている。

野外入浴セット2型

陸上自衛隊需品科の装備であり災害派遣の際に住民のための特設の入浴場所として利用される。

天幕、簡易浴槽、1万リットル貯水タンク、シャワースタンド、照明具、簀子(すのこ)、シート、脱衣カゴ、棚、トレーラーに搭載したボイラー、揚水ポンプ、発電機といったもので構成され、伸誠商事と小村工業が製造したものを使用している。

もともとは1985年の日本航空123便墜落事故の際に製作会社からボランティア提供を受けて試用し、その結果として隊員の士気の維持や向上に有効だったと認められたことで制式採用されたという説と、1959年の伊勢湾台風の際に災害派遣で急造した簡易風呂が好評だったため1970年に採用を決めていたという説がある。

温泉

火山の地下のマグマを熱源とする火山性温泉と火山とは無関係に地熱などにより地下水が加温された非火山性温泉があり、地中から熱水泉が湧き出しているものを利用した入浴施設やその地域一帯を指して温泉と呼び、このタイプの温泉を特に天然温泉と称する。

北海道の十勝川温泉などはモール泉と呼ばれ、古代に堆積した植物が亜炭(あたん)に変化する際の熱によって温泉となったものを利用している。

地下水は自然に湧き出る場合とボーリングで穴を掘ることによって湧出揚湯(ゆうしゅつようとう)される場合があり、湯自体を掘り当てることなく地中や蒸気に水を通して人工的に湯を造ることでも温泉法の基準を満たしさえすれば温泉と認められ、これは造成温泉と呼ばれる。

あるいは温泉と似たような薬効成分を含有させた薬剤や天然鉱物から得られた鉱石を利用して擬似的に温泉のような状態を作る方法もあり、こちらを人工温泉と呼ぶ。

温泉は泉質によって健康効果に違いがあると言われ、湯治のために温泉をわたり歩く人も少なくない。

各地にある温泉街は観光地としても人気のスポットとなっており、長期休暇のシーズンなどでは娯楽目的として多くの人で賑わっている。

ところで実際には風呂に入って体を清潔にすることが好きな人ばかりではない。

次はめったに、あるいはまったくと言っていいほど風呂に入らなかった有名人を見ていこう。

この記事は 人はいつから風呂に入るようになったのか?(後編) に続きます。

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