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高収益企業がDXでハマりがちなジレンマと、その乗り越え方

以前こちらの記事で「デジタル人材教育」の違和感について書きましたが、最近DXを「守りのDX」と「攻めのDX」に分けることで理解した気になる風潮にトレンドにも違和感を感じています。今回はその点について説明したいと思います。

「守りのDX」の定義は効率化(コスト削減)の取り組みで、例えば省力化や無人化、サプライチェーンのスマート化が含まれます。一方の「攻めのDX」は付加価値化的な取り組みで、新しい機能やサービスの提供を通じて「顧客便益」を高めて、収益拡大することを目指します。こうした方向性に対してデジタルツールを使いこなすことがDXなんです、というのが「地に足のついた」説明として、響きのよい一般的説明になってきています。

こうした定義は分かる人からするとそうだよね規定演技だよね、それでいて誰にも分かりやすいよね、という印象なんですが、一見正解に見えるこれらの取り組みは、高収益大企業にとってはどちらにしろいずれ沼にはまってゆるやかに停滞するというのが宿命づけられていると思います。

そもそもの問題として、これだけデジタルフォーメーションと言われている昨今経営層ボードメンバーが期待する「DX」は、「億単位」のコストダウンもしくは収益増に繋がるレベルの事柄であるという期待値があります。

一方で業務効率化SaaSを入れました的な「守りのDX」を試験的にやってみた結果としては、「一日のうち定常業務の何分かが縮まりました」、「将来数人分の業務が減らせるかもしれません」といったレベルのものがオーソドックスです。経営側が求めるアウトカム目標値と現場が生み出すアウトプットのサイズ感や単位そのものが合わない。。ということでギャップがものすごくあり、全社に拡大適用するにもコスパが合わないorインパクトが弱い、じゃあどうしよう誰がやろうということで沼にはまるのがよくある1歩目のパターンになります。

「攻めのDX」はどうでしょうか。これはいわゆるレガシー優良企業が不慣れなデジタル新規事業にチャレンジしてみる、そして小さく生んで多く育てよう、というパターンが多いですが、こちらもやってみるとどうにも「弊社にとって収益スケールが小さすぎる」事業のように見えてしまう。いずれ時間をかけて育つにしろ軌道に乗るまでのリソース配分や投資リスクが高く、過度なリスク負担を続ければ本業の屋台骨を揺るがしかねない。結果、選択と集中の議論を経る中で、やがて優先度が落ちていく。。というモラトリアムの沼にはまるのが多いパターンかなと思います。

じゃあどうする、ということで、この停滞をなんとか前に進める仕事を担うのがDXリーダーの仕事になってくると思います。
一つの方法としては、小さくコツコツ・目標を決めて粘り強く進めるパターンです。施策効果を定量だけでなく評判といった定性・身体的な実感値を使い分けながら説明し、プロフェッショナルな仕事を続けることで周りの信頼貯金を積み上げ、関係者間で目標やプロセスを握りながらどんどん新しい仕事を任せてもらい、やがてDXと呼べるものに到達する、というプロセスで成長曲線を描きます。個人的にはこういうタイプの方は、利他性と実行力に強みのある「フォロワーシップタイプ」の人材と定義づけています。

もう一つは、経営と真正面から向き合いながら大きく勝負するパターンで、新しく創り出すプロダクトや事業を通して、会社や事業、ひいては業界をどうトランスフォームさせるのかというあり方から逆引きして事業構想を具体化していきます。
まずデジタルの専門的な話は一回忘れ、会社としての変革ロードマップの中で事業やプロダクトをどう位置づけるかという論点を提案する中で、自分と会社のゴールをベクトル合わせしていきます。目の前の現場ニーズからではなく、自らの仮説を原動力にイチから事業や業務、カルチャーを変えることを主導するので、リーディングを主導する経営家・「リーダーシップタイプ」の人材が採る戦法です。このパターンは視座が全社事なので、自社×外注でがんばるだけでなく、分社化や協業、M&Aなど取れる打ち手のスケールも広がります。

デジタル人材が経営レイヤーに近づくほど前者から後者の役割シフトを求められますが、それぞれで使う脳のモードは結構違うなと感じます。

どちらのバランスが重視されるのかは本人の資質や会社の状況にもよるのでしょうが、いずれにしろ取り組み続けて成果が上がっていくと周囲の雰囲気も変わるので、初めの段階で中間目標を握ってわかりやすい成果を継続的に見える化する、あるいは失敗から学びを持ち帰ることで沼を抜け出せるかどうかが、結局は大事かなと思います。

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