民権と国権~いまの政治対立を考える~

現代日本の政治対立とは何か

 初回投稿は自己紹介(イデオロギー表明)も兼ねて、このnoteのIDやTwitterにもあるcivic rights「民権」について書こうと思う。と、その前に———。
 僕は常々、日本の政治を左右、保守・革新、保守・リベラルで分類することに疑問を感じている、ということを言いたい。

 まず、左右の定義がよくわからない。左を外交ハト派(グローバル派)・右を外交タカ派(反グローバル派)と定義する人もいる。仮にこの定義が正しいとしよう。すると、対ロシア外交において、二島返還で妥協点を探る自由民主党と全千島列島返還を求める日本共産党を比較した場合、よりロシアに強気な態度でせまっている日本共産党が右翼政党、自民党は左翼政党という事になってしまう。対米外交についても、日本共産党の方がアメリカ合衆国に対して強気であるため、同様のことが言えるだろう。

 では、右を資本主義・左を共産・社会主義という定義はどうであろう。これであれば自由民主党が右、日本共産党・社会民主党が左で落ち着く。しかし、今度、位置づけに困るのは立憲民主党など共産・社民以外の野党だ。立憲民主党は別に社会主義も社会民主主義の実現も目指しておらず、分類するなら間違いなく資本主義政党の側である。しかし、立憲民主党を右と定義するのには、大多数の人が納得しないだろう。
 実は、この定義・対立構造は、近年までは有効であった。近年というのは、55年体制がかろうじて存続していた1990年代までである。自社さ政権の成立とその前後の社会党(社民党)から大量の離党者を出したことをきっかけに二大政党制の自民のライバルは社会党ではなく民主党となった。このとき、資本主義と社会主義の対立軸は完全に崩壊したのである。

 では、自民側の軸を保守と定義として考えよう。
 ここで問題となるのが、保守の対義語は何かということである。そもそも保守とは何か。辞書を引けば「 古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること」『大辞林』(三省堂)とある。一方、対義語は革新は「古くからの習慣・制度・状態・考え方などを新しく変えようとすること。特に、政治の分野で社会体制・政治組織を新しく変えること。また、変えようとする勢力 」『大辞林』(三省堂)とある。ただ、この古くからの習慣・制度・考え方が何を指すのか定かではない。仮に国家の根幹を為す憲法を指すとしよう。すると、改憲を目指す自民は革新政党で、共産が保守政党ということになってしまう。
 2017年に行われた調査ではこのような結果が出ている。

40代以下は自民党と日本維新の会を「リベラル」な政党だと捉えており、共産党や公明党を「保守的」な政党だと捉えている。対して、50代以上は、従来のように、自民党や日本維新の会を「保守」と捉え、共産党を「リベラル」だと捉えるなど、大きな「断層」が生じている。特に、若い世代ほど自民党を「リベラル」だと感じる傾向が強く、18〜29歳が唯一民進党よりも自民党の方を「リベラル」だと見ている。

読売新聞と早稲田大学現代政治経済研究所の共同調査

 若者も言葉の意味と実態のギャップに戸惑っているのかもしれない。

 では、かつての対立は右(保守・資本主義)と左(革新・社会主義)の対立であると結論付けて、新たな対立を小さい政府と大きい政府と仮定する。
 一般に大きい政府の定義は富の再分配、小さい政府は自由競争主義と定義される。一見、矛盾がなさそうにみえるが、この観点には一点において大きな矛盾を抱える。「増税」へのスタンスだ。小さな政府は極力、経済に対する影響力を最小限にとどめようとする。増税なんてもってのほかだ。また大きい政府は、富の再分配、つまり一度、お金を集めなくちゃいけないのだ。この観点で筋を通しているのは、増税と社会保障ワンセットの野田元首相と逆に行政サービスと減税をセットに掲げる維新ぐらいだろう。つまり、大きい政府と小さい政府の二項対立を現代日本に当てはめるのも無理がある。

 そこで、出てきたのが保守・リベラル二元論である。であるのだが、日本語として保守の対義語がリベラルなのはおかしい。現に、リベラル保守を名乗る政治家は鳩山由紀夫氏や枝野幸男氏をはじめとして少なからずいる。一方で「改革保守」なんていう日本語を完全に無視したイデオロギーを掲げる政党も出てきた。はたして「改革」と「保守」の元々の意味を理解しているのか、気になるところである。まあ、改革保守を自任する当人らの立場を代弁するならば、「変えるべきでないものは大切に守り、変えるべきものは変えていく」ということなんだろうが、そんなの全ての政治家に当てはまることで、イデオロギーでもなんでもない。

 ところで、リベラリズムの対義語はパターナリズムという人もいるが、パターナリズム(父性主義)の対義語はマターナリズム(母性主義)である。ただ、マターナリズムの語は日本人に馴染みがなくピンとこないだろう。マターナリズムの語義も「 相手の同意を得て、寄り添いつつ進む道を決定していくという方針」であるのだが、イデオロギーを表す言葉として、やはりふさわしくないだろう。対立する概念のうち、どちらに寄り添うのかを規定するのがイデオロギーなのだから。

 さて ここまで、現代日本政治の二項対立を表現するのに適切な言葉を、既にあるものから検討してみたが、どれもしっくりこない。そこで僕が提案した二項対立というのが、表題にある通り、「国権」と「民権」だ。

「国権」と「民権」

 高校生以上の方であれば、日本史の授業で聞いたことがある、知っている単語だと思う。明治時代に国権論・民権論という形で用いられていたので、そちらの方がより耳馴染みがあるだろう。『日本史B用語集 改訂版』では、民権論・国権論についてこのような用語説明がなされている。

「民権論」 国民の権利(伸長)、生活向上こそ国家・社会発展の基礎であるとする思想。自由民権運動と共に高まる。平民主義も民権論に立つものであったが、国権論に押され、民権論は民権運動の挫折と共に屈折していった。

『日本史B用語集 改訂版』(山川出版社 2009)

「国権論」 独立国家として諸外国と対等の関係を保ち、さらに国家の権利(国権)を拡張し、国力の充実を目指す思想。ドイツ国家主義思想の流入により発展し、対外発展政策を支持した。

『日本史B用語集 改訂版』(山川出版社 2009)

 それぞれの用語説明の太字で示した一文目に注目してほしい。まるで、今日の政治用語ように感じるのではないだろうか。民権というと国民の権利・個人の権利だけの話のように聞こえるが、民権論の説明には、ちゃんと「国民の生活向上こそ国家・社会発展の基礎である」と書いてある。つまり、現代日本の政治対立は国家を基礎とするか国民を基礎とするかということである。

 ここで誤解して欲しくないのが、国権論もまた、国民をないがしろにするわけではないということだ。国家が滅亡してしまえば、国民の幸福など望むべくもない。だから、まずは国がしっかりすべき。これが国権論の考え方の根幹である。そして、今の自民党の正義ではなかろうか。

 そして、自民と相対するのが、立憲民主党、日本共産党、国民民主党、社会民主党、自由党の通称・立憲野党である。
 これらの政党に共通するのは、国民の生活が安定なくして、国家の発展なしということだ。「国民の生活が第一」だ、ということだ。(保守政治家の立場として自民党との対立軸を示すため、このスローガンを打ち出した小沢さんの先見性は凄いと思う)

 枝野さんは立憲民主党の立場を説明するときに、こんな言葉を使う。

「右でも左でもなく前へ進む新しい選択肢を掲げたい」

「今は『上からか下からか』が問われている」

 当然、立憲民主党は上と下のうちの下なのだが、立憲民主党をはじめ野党支持者が自分たちのイデオロギーを表明するのに、下派とか下翼というのもおかしな話だ。

 そこで、民権派・民権主義という言葉を提唱したい。

 かつて、明治時代のように「国権」か「民権」で揺れるこの今の日本の政治。そんな時代だからこそ、"立憲"民主党なんていう古臭い名前が映えるのだと思う。

 国権主義という自公政権の掲げる正義を認めつつ、そのうえで民権主義を掲げる諸政党が垣根を乗り越え、国民の生活こそが国家の基礎であるという理念を共有した政権が樹立されることを切に願う。

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