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居残り

今日起こったことを適当に書く。自分は語り部(物語を進める役。ナレーションのようなものだと思ってもらえれば。)と敵国のトップ等をやっている。※読み進めればなんの事か分かる


今自分たちは2月の中間発表へ向けて1つの作品を完成させるべく練習している。戦争系を題材にしていることもあって、正直言って少し扱いづらい。75年も平和だったわけで、ぬるま湯に使った自分たちからは想像し得ぬ苦労があったのだろうが、それを想像して作り上げねばならない難しさがある。




さて、今日の居残り練習のことだ。

クラスが30人弱の中集まったのは半分ぐらいだっただろうか。今日は休みが多かったし、バイトがある人もいるし、授業間が長いと億劫になってしまう気持ちも理解出来る。

幸いにも自分の周りのパートの人は揃っていて、一種の掛け合いのような部分も練習する事が出来た。

だいたいしゃべり方は分かっている。何度同じセリフを口に出したことか。

こう思っていた。別に手を抜いてやろうと思ったことはないし、自分も手を抜いてるつもりは無かった。


録音もしていたが、演技が終わったあとにそれぞれ今の演技で思ったことを言い合った。他の人も色々言われていたが、自分は少し喋りが早いのと語尾が消えて滑舌が不明瞭であることを指摘された。

正直喋りが早いのは自覚があった。何となくそんな気がしてたし。でも語尾が消えていて滑舌が不明瞭であることは自覚が無かったから、言われた時に「えっ?」と思ってしまったしそんな訳ないでしょとも思った。



そんな時先程の録音を再生した。自分の番が近づく。


確かに語尾は消え、滑舌も不明瞭であった。


意識していない部分から自分の欠点を指摘され、それを改めて分からされると人は強烈なショックを受ける。本当に言いようのないショックだった。でもそれは指摘してくれた人が悪いのでは決してない。言い方が悪かったのでもない。自分の落ち度だが、そこに"気付いてしまった"ことが辛かったのだ。ただただ逃げ出したかった。平然を装ってはいたが瀕死級のダメージを受けた。


あまりにもショックだったため、該当箇所含めその他全てのセリフを明瞭に言い、語尾が消えることのないようにした。

最後に通しでやった時に「よくなったね!」と言われたし、「ここ上手かったね!」と言われてテンションは回復した。男とは単純な生き物であることも改めて理解出来た。



でもこれは演技を齧ってる自分(著者)だけに当てはまることだろうか? 自分は違うと思う。人間は言葉を使ってコミュニケーションを取る。言葉で人を幸せにすることも出来るし、人を傷つけることだって簡単に出来る。

自分の滑舌が不明瞭であったせいで大事な要件が伝わりきらなかったことがあるんじゃないか?或いは間違った形で伝わってしまったことはないか? 自分の声は意外と聞き取りづらいんじゃないか?

自分の声を録音して聞いてみて欲しいとまでは言わないが、意図しない伝わり方などを防ぐために自分がどういう話し方をすれば良いのかは考えてみてほしい。

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