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キノコの知性、森の知性。人間の想像を超えた知のネットワークが都市のビジョンを変革する:連載「スマートシティとキノコとブッダ」ゲスト:深澤遊

スマートシティの構想において、その限界となるのは実は人間の知性かもしれない。利便性や効率性だけにとどまらない都市、単なる人工物ではない都市を構築していくためには、ヒトの認識の外側にある「知」を取り込んでいかねばならないのではないか。今回は、菌類に記憶力・決断力があることを発見した森林学者、深澤遊氏を迎え、菌類、そして森が編み上げる巨大な知のネットワークについてうかがった。
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深澤遊 (東北大学大学院 農学研究科)
中西泰人(慶應義塾大学 環境情報学部)
本江正茂(東北大学大学院 工学研究科)
石川初 (慶應義塾大学 政策・メディア研究科)

キノコは記憶力と決断力を備えている

中西:人類は昔から「人間の認識を超越している知性」に思いを馳せてきました。神様や妖精、妖怪はもちろんのこと、SF映画の中であれば映画『2001年宇宙の旅』に出てくる人工知能HAL9000や、スタニスワフ・レムの小説『惑星ソラリス』に出てくる知性を持った海。そして昆虫や鳥などが群として持つ群知能も人間の認識を超越していると思います。そういう様々な知性のひとつとして「粘菌が巡回セールスマン問題を解ける」ということは以前から知っていました[1]。しかし、深澤さんの研究成果「菌類が決断・記憶能力を持つことを発見」[2]を見て激しい衝撃を受けました。菌類、キノコに決断力や記憶力があるのか、と……。さらに深澤さんの著書[3]を読んで、最近はDNA解析が進んで「キノコが植物よりも動物に近い」ということが分かってきたと知り、我々の認識はまだまだ追いついていないと思いました。

 私たちはそのような「人間の認識を超越している知性」が今後のスマートシティ構築にとても影響を与える存在なのではないかと予感しています。
深澤さんはどのようなきっかけで「キノコに知性がある」という仮説を持ったのですか?

深澤:ぼくは森林生態学という分野の中で菌類の研究をしています。菌類を中心に森の中の生物多様性や生物間相互作用が興味の対象になっているのですが、以前から「森の中の相互作用は脳のニューロンの相互作用に似ているな」と思っていました。
 それで、ある朝、目覚めたら突然、「菌糸体は知能を持っているんじゃないか」と思い浮かんだのです。当時、よく脳科学の本を読んでいたので、その内容と自分の研究が頭の中で結びついたのではないかと思います。菌の知能を検証する実験アイデアをいくつか思いついて、ホストの研究者(当時は英国滞在中)に相談したら大層おもしろがってくれて、ああいう研究になったのです。

中西:それからもうひとつ、「木と木の情報交換に菌糸のネットワークが使われているのではないか」という記述に出くわしてびっくりしました。

深澤:「菌根菌」という樹木の根っこと共生する菌がいます。菌根菌がひとつの木の根っこと他の木の根っこを繋いでいることがザラにあるんですね。樹木は葉っぱなどが傷つけられると体内に「警報物質」を出すのですが、その警報物質が木の根に至り、菌糸を通して他の木に警報物質が流れることがある。警報物質を受け取った木は安全な状態なのに危険を想定してちょっと防御する。そういう情報伝達がなされているらしいんです。

中西:うーん、人間はなぜ、そういう知性のネットワークから断絶されてしまっているのだろう。

本江:何も教えてもらってないですね(笑)。

中西:もしかしたら、そのネットワークから断絶されているのは人類だけで、鳥とか猿とか、他の動物は感じているのかも。その可能性もゼロではないですね。

深澤:今、ぼくの後ろの景色、見えますか?
(註:当日はZoomによる遠隔座談会を行っていた)

本江:森ですね。鳴子の森。
(註:深澤氏は宮城県の鳴子温泉にある東北大学大学院農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センターで研究活動をしている)

深澤:鳴子の森の中に住んでいます。ぼくは森の中に住むだけで「生物多様性のネットワークが持つ知性」にコミットできているんじゃないかと思っています。だから都会でも仙台の青葉通りみたいに木を植えてそれを増やしていくだけで違ってくるんじゃないかな。

石川:それは、都市を緑化する新しい理由になりますね。「こんなに木を切ってしまったら都市の知性が下がります」みたいな理由は、今までありませんでした。

本江:最近のニュースで「北欧の保育園で芝生の園庭に木を何種類も植えて、泥で遊べるようにしたところ、そこで遊ぶ子供たちの免疫が上がって病気になりにくくなった」という記事がありました[4]。これは「人間の体内での菌との共生」の話でもあるし、「菌の知性のネットワークの中に人が織り込まれている状態」でもあると思う。その指標として免疫アップが測定されているわけですね。ただ、これを「免疫アップして良いことなので幼稚園には木を植えましょう」みたいな話に着地してしまうと、なんというか、「人間と自然の大きな繋がり」という話が矮小化されてしまう気がします。

都市のような巨大知的生命体を理解するには

中西:キノコの話でさらに興味深いと思ったのは「人間がコントロールできるスケールを超えた生き物だ」ということです[5]。1998年に米国オレゴン州で見つかったナラタケ(オニナラタケ)は大きさが965ha(10平方km)。ぼくには生き物の大きさとして理解できない。

本江:それは都市の大きさですね。

中西:そんなに巨大でも同じDNAを持ったひとつの生命体らしいのですが、そうなんですよね?

深澤:ひとつの生命体ですね。ナラタケはキノコの部分以外にすごく太い菌糸の束を作ります。太さ5mmくらいの肉眼で見えるレベルの束。そういう針金みたいな菌糸をいろいろな場所で採取してきてDNA解析してみたら同じDNAだった。だから同じ個体だと分かったわけです。ただ、菌はちぎっても両方生きているので、そんなに広大な範囲だと同じ個体でも繋がっているかどうかは分からないですが。

中西:大きいだけではなくて、年齢も2400歳なのだそうで。都市と同じくらいの大きさの生き物が年齢2400歳で、しかも知性も持っている……。どうもピンときません。なんか『惑星ソラリス』の世界に近い。どうやってそういう知性と付き合えば良いのか。

本江:深澤さんはシャーレの中にある「個体だな」と思えるサイズの菌で実験されている。それが巨大になって、切れ切れの形でも同一個体で、何らかのコミュニケーションをしながら決断したり記憶したりしているということですね。言葉では分かるんだけど、どのようにイメージすれば良いのか……。深澤さんは菌のネットワークの巨大さとそれに知性があることをどんな出来事として捉えていますか?

深澤:難しいですね……。シャーレのサイズの細かい菌糸だと、たとえば温度を変えたりした時の成長速度を簡単に測れるので、メカニスティックに理解できる。しかし、巨大になるとそのような比較はできない。生態学の研究では、野外に出かけていってあらゆる生物から成る群の振る舞いを見ていくので、菌の巨大ネットワークもその中の一つですね。群全体の振る舞いは複雑系なのでイメージしづらい世界です。ぼくもそれがどんなことなのか考えていますが……まだよく分からないですね。

DNA解析により一気に明かされるキノコの世界

石川:深澤さんのお話を聞いていると、脳神経科学者が研究の説明をされているのにとても似ている気がしています。

深澤:実は、ぼくの今回の研究成果を脳科学の学会で発表したら、とてもウケが良かったのです。菌類のネットワークは脳のネットワークと似ているので興味を持たれたのかなと思います。
 菌には種類によって個性があります。今回の論文で使っているのは1種類の菌だけですが、研究室では数種類の菌を培養しています。種類によって菌の伸び方が違うんです。論文の菌はエサを見つけたらそちらに伸びていくタイプ、他の菌にはスタート時点で方向を決めちゃってそちらにだけ伸びていくタイプもあります。

石川:融通のきかないタイプですね(笑)。

深澤:そうですね。なぜそのようにタイプが分かれるのか、どちらがどう有利なのか、知りたいと思っています。

石川:なぜか個性がある。そういう株に愛称をつけていたりしますか?

深澤:はい、つけています(笑)。論文の菌はファネロカエテ・ベルティナ(Phanerochaete velutina)という学名なのですが、「ベルティナさん」と呼んでいます。

中西:愛称で呼んでしまうということは深澤さんの中に「知性のある生き物だ」という感覚があるということですよね。

本江:名前だけでなく、我々は「菌の世界の出来事」を知らないので、ボキャブラリーが乏しいですね。「腐っている」くらいしか言葉がなくて。それが我々の偏った世界認識を示している。だから、深澤さんが「土の中の出来事の豊かさ」に関する知識を広めてくれると「(人間の)環境に対するビジョンの更新」に繋がっていくのではないかと思います。

中西:深澤さんのご著書を読んで驚いたことのひとつに「DNA解析によってキノコの分類がガラリと変わった」ということがあります。それもたかだか、2000年以降のことらしいですね。

深澤:そう。DNA解析によって従来の分類が是正されて学名がどんどん変わるので研究するほうも大変なんです(笑)。

中西:「『キノコ界のことがこんなに分かっていなかったのだ』ということが分かった」ということを知って目から鱗が落ちました。テクノロジーが発達したことによってキノコの世界が近くなってきている。野生に戻らないと友達になれないはずなのに、逆にテクノロジーを進化させることによって違う形で友達になっている。深澤さんの「森の中に住みながらDNA解析やコンピュータを使って研究していくスタイル」に新しい共生の可能性を感じます。

石川:かっこいいですね。

中西:キノコと人類がどう付き合っているかという視点から人類を考えようとする『マツタケ―不確定な時代を生きる術』という本があるんです[6]。文化人類学の人たちが書いた本。文化人類学ってアマゾンの部族やネイティヴアメリカンなどの集落に入っていって、人(研究者)が人(集落民)を観察してエスノグラフィ(民族誌)を記述していくという方法がオーソドックスな研究スタイルでした。この本では人と人の営みではなくマツタケとの人の営みを通じていろいろな人々を描いていくという手法をとっています。たとえば、オレゴンの中国系移民がマツタケを採集して、そのマツタケが日本に送られてすごく高い値段で売られて、京都のマツタケとせめぎ合っているというように。このような研究スタイルは「マルチスピーシーズ人類学」と呼ばれる新しい研究スタイルで、人間が他のモノや生物とどう関わっているかを描いていく人類学です。スマートシティの未来ビジョンにはこのようなスタイルも欠かせないと思います。
 AIやロボットが世の中に普及する時代では「人間とは異なる知性」との境界が新しくなるでしょう。人間は安全に生きるためにクマや狼といった他の動物と闘って駆逐し、それらとの境界を更新する歴史を歩んできました。それが、今度は自分たちが作り出した新しい「他者(知性)」によって他者達との境界が更新されていくのではないか。なので「人間とは異なる知性を持つ他者達」から人間を捉える視点はとてもおもしろい領域だと考えています。

倒木更新がつくり出す森の大いなる循環

中西:さきほど「森はあらゆる生物から成る群で、群全体の振る舞いは複雑系だからイメージしづらい」というお話でしたが、その複雑な植生によって人間が感じている無意識的なものは森によって違いますよね、きっと。この森にいるとホッとするとか、あの森に行くとシャープな気分になるとか……。ランドスケープアーキテクトの石川さんはどのように森と付き合っているんですか?

石川:そうですね……。あわてないことですかね。

中西:あわてない。

石川:ちょっと触れ合っただけでは付き合えない。じっくり腹を括って一緒に過ごさないと分からないですね。あわてずに子供を育てるかんじ。

中西:タイムスケールで言うと、10年とか20年というかんじですか?

石川:そうですね。ランドスケープという話で言うと、何も生えていないところに植えて茂るまで育てていくので、付き合うというか、育てる。植物や土壌って設計できないから、だんだん成長していって、あるところからはもう「委ねる」というかんじになるんですね。それが、たぶん緑との付き合いかたのひとつの作法なんじゃないかな

中西:そういう意味で言うなら、木が死んで土に還るまで考えないとキノコとは付き合えないですね。

深澤:ぼくが研究しているのは「木材腐朽菌」という木を腐らせるキノコです。森は生きた木で成り立っていると思われがちなんだけど、木が死んだ後もその木は森の一部なんですね。死んだ木にはキノコが定着し、キノコの群集によって分解されて土に還っていく。その「土に戻っていくまでの長い時間」にあらゆる生き物が上に定着したり中に住んだりしている。「倒木更新」という用語があるんですが、これは「木が倒れて死んだ後、その倒木の上に次世代の木の子どもが育ち、それが大人になって次の森になっていくプロセス」のことです。倒木の上にどんな木が育っていくかは、どんなキノコが倒木を分解するかに影響されています。人間の短絡的な思考だと、木が倒れて死んだら「分解してしまう前に薪に使おう」ということになると思いますが、倒木をそこに放置しておくことは、長期的には全然無駄なことではなくて、森を形成していく重要なファクターなんです。

本江:深澤さんの本の中に「木が倒れて、その内部で腐朽菌が戦国時代を繰り広げながら棲み分けていく」というくだりがあって、ワクワクしながら読みました。その時間、倒木が土に還るまでの「大きな時間」ってどのくらいなんですか?

深澤:うーん……樹種によって異なりますが、たとえば、スギなどの針葉樹は遅くて、100年単位のスケールだと思います。特に、寒いところにある北方林は立ち枯れして骨みたいに乾燥すると分解が進まなくなるので何百年もかかりますね。木というものは元々、炭素の塊で養分がほとんどないのです。分解していくと、養分濃度が高まるのでそこに菌が定着できるようになります。

中西:情報系のタイムスケールだと、秒とか分という単位が普通で、長くても数週間、すごく長くても数年というところですね。制御系だとミリ秒。森のタイムスケールとの大きな差を感じます。

本江:リアルタイムと言ったりもしますしね。

中西:スマートシティの話って「電気代が安くなります」とか「交通事故が減ります」といった目の前の利益の話になりがちで、「都市とはどうあるべきものか」という大きな話にはなかなかならないんですね。でも、そういう大きなタイムスケールでスマートシティの在り方を考えることはとても大切だと思います。

 私も妻も郊外のいわゆる「ニュータウン」と呼ばれるところで育ったのですが、5分くらい歩いた周囲のエリアには古いお寺や神社がたくさんあるし、ニュータウンの造成と共にできた神社もあるんです。ニュータウンでもそんな感じですから、日本人はきっとスマートシティにも神社を作るんだろうなと思います。地鎮祭をやってシンボルツリーを植えてお祓いをするんでしょうね。
(註:トヨタが建設を進めるWoven Cityでも2021/02/23に地鎮祭が執り行われた。トヨタ、「Woven City」地鎮祭を実施-あらゆるモノやサービスがつながる未来の実証都市「Woven City」、東富士(静岡県裾野市)にて着工-
 そういう感覚はスマートシティのタイムスケールを広げてくれる気がしますが、それでも現在構想されている多くのスマートシティがターゲットにしているタイムスケールは小さい気がします。もっとスケールを広げたい。

石川:ゆったりして、いろいろと諦めるということ。

中西:諦めることも大切……。私は前職で東京農工大に居ましたが、農学と工学でタイムスケールがちがうので、農学部の教員と工学部の教員とで会議をすると話がずれてしまうことがあると聞きました。

石川:建築学の人と造園学の人の間でも同様のことが起こりますよ。建築学の人は「様子を見る」というアティテュードが欠落している。造園の人はある程度までやって、最後のほうはいい加減にして様子を見るんです。それ以上は決めなくていいだろうみたいな。

本江:深澤さんはキノコとシンクロしながら暮らしていて、ふと我に返ると、社会の中で他の人と違う感覚になっていたりしますか?キノコ的なタイムスケールというか。

石川:ヒト・キノコギャップと言うか(笑)、そのようなものは?

深澤:どうですかね……。キノコということなら、普通に培養して実験で菌を扱っている分にはけっこうタイムスケールは早いですね。菌類という意味ではタイムスケールが短いけれど、森林という意味では長い。ぼくは、菌類の短いスケールと森林の長いスケールの両方に触れているかんじですね。木が育っていくプロセスや倒木が分解するプロセスを考えている時は長いスケールの思考になっていると思います。

複雑な生物間相互作用こそが「森の資格」

石川:深澤さんのおっしゃる「森」というのは……どこから森になるんでしょうか? 公園の樹林は森ではないですね。都市計画や建築の専門家たちはちょっと緑があるだけで森と呼ぶんです。造園の専門家は規模が大きくないと森とは呼ばないという意見の人が多いです。

深澤:「樹木の多様性が高くて、ただ木が植えてあるだけではなく、哺乳類、土の中の生き物、キノコなど様々な生物間の相互作用が起こっているところ」が森ですね。個人的なイメージとしては、苔むした大きな倒木があると、森。

石川:倒木更新がサイクルになっているところ。そうすると、明治神宮も森の資格があるかどうか、ギリギリのところですね。

中西:「森の資格」。おもしろいですね。おまえはまだ森とは言われへん。500年足りへんぞみたいな。

深澤:結局、自分に関係のあるところまでしか想像力が及ばないですからね。だからこそ、森がどんなメカニズムで出来ているのかを研究する中で、自分に直接関わらないことに気づけたりするのがおもしろいです。

本江:自分に関係ないことが森で起きているわけですが、それは自分のことと地続きだと感じますか?

深澤:短いタイムスケールでは自分に関係ないかもしれないけれど、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな、巡り巡って何十年か先に自分に返ってくるかもしれないというイメージはありますね。

石川:私はアウトドアシューズを履いたりゴアテックスを着たりして森に行くたびに「本当は仲間に成れていない」という感覚があるんです。自分の「系」を守って一時的に森という「系」に行き、また街に帰ってくることの疎外感。「都市をまとって森に行っている」というかんじですよね。深澤さんは「森と私」という関係性でどのような結びつきを感じていますか?

深澤:ぼくも山登りは好きでゴアテックスを着ます……。

石川:原罪のようなものを感じるんですよ。

深澤:そのあたりを突き詰めると……山に登る時に食料も狩猟して自給自足しながら登る人がいますが、そのようになりますよね。

菌糸の知性がつくり出す「環境の記憶」

中西:都市というものはそもそも、石川さんが言っていた「ゴアテックス」に近い存在で、「本来は自然のサイクルの中にあるべきところから、一回、遮断することで快適性を確保しようとする一種の装置」なのだと思います。
 深澤さんが書かれた本の中で「もし、人間が『巨大な知性に呑まれて生きている』という感覚を持てれば世界観が変わるのではないか」という記述を読んだ時に、とてもワクワクしました。人類が森に居ることは知性に包まれた状態だけれど、都市に住むことはその知性から切り離された状態にあるのではないか。「どういう知性の中に包まれれば良いのか」という考え方で住む場所を決めるという思考回路ができると、利便性を超えた新しい暮らし方が見つかるのではないかと思います。

深澤:さきほどの「ナラタケの巨大ネットワーク」を考えてみた時に……その巨大ネットワークは、養分や炭素が不均一な森の土の中で、養分がたくさんある場所から少ない場所へ転流したり、倒木分解したりして得た炭素エネルギーを別のところで共生植物に与えているかもしれない。つまり、菌糸の巨大ネットワークが森の養分の再配分をしているかもしれないですね。そういう知性を知ることができれば、森の上手な管理を知ったり森の将来の姿を予想したりできるかもしれない。そんなことも考えています。
 たとえば……仙台の青葉通りにはケヤキの木が並んでいますが、ケヤキはアーバスキュラー菌根菌と共生しています。それなら、広瀬通りには外生菌根菌と共生しているコナラやドングリの木を植えれば、違うネットワークができることになります。多様な樹種とそれに共生する菌根菌ネットワークを考えてみるとおもしろい。

石川:仙台の知性を高めるために。

本江:ケヤキの知性だけでなく、違う知性も並べていく。

深澤:日本の森ってけっこうおもしろいんですよ。アーバスキュラー菌根性の樹種と外生菌根性の樹種がミックスされて森ができている。ロシアや北米の北方林ではマツ科やブナ科の木が多くて外生菌根性の森になっています。また、南のアマゾンなどの南方林ではアーバスキュラー菌根性の森になっている。つまり、場所によって「菌と木のネットワーク」が全然違うんです。しかし、日本の森には両方のエリアがあります……。日本の造林樹種はほとんどスギとヒノキですが、それらはアーバスキュラー菌根性の樹種です。スギやヒノキを伐採した後、外生菌根性のコナラやクリを植えてもなかなか育ちません。アーバスキュラー菌根性のカエデやミズキなどしか育たないんです。これは、土の中がアーバスキュラー菌根菌ばかりになっているからなんですね[7]。

本江:菌糸が「杉の記憶を持つメディア」になって土の中を保っているから、違う樹種は仲間に入れてくれない、と。

深澤:そう。まさに「環境の記憶」を持っているんです。

本江:菌糸が知性を持っていて、それが神経みたいなものとして記憶装置になる。その結果、「環境が全体として知的である」という状況になる。そしてさらに、その記憶には偏りがあるわけですね。

中西:だとすると、スマートシティにはセンサーを増やすのではなく菌を増やすべきかもしれない。そうやって1000年単位のサイクルを考えていくのもスマートシティかもしれない。森の中でテクノロジーを駆使してキノコと暮らすのが未来の生活かもしれない。

ゴアテックスを着て森へ行き、自然とつながる

石川:我が家の裏庭にDIYで作ったウッドデッキがあるんです。作ってからもう10年経つので、腐り始めたり、キノコが生えたりしています。あれが「考えている(知的活動をしている)」と考えると、自分の世界観がかなり揺さぶられるなぁ……。
 子どもたちにそのような「森」感覚を持ってもらいたい時に、どうすれば良いんですかね。元々、備わった感覚なのか、教育し直すべきなのか。

本江:うちの娘も花が咲くと喜んでいるけれど、キノコが生えてくると微妙に嫌な顔をしています……。ごめんなさいね、深澤さん(笑)。子どもの「キノコ」像を変えることで、それをきっかけに「環境」像を変えていくには?

深澤:うーん……でも、気づきはいろいろありますよね。うちの息子はよく庭で立ちションしてるんです。

石川:おお、庭で。

深澤:ウッドデッキから特定の場所に向けていつもおしっこしているんですが、いつも同じ場所にしているのでアンモニアが高濃度になる。すると、そこからウワッとキノコが生えてくるんです。それを見ると、目に見えない「土の中にいるもの」を感じますね。

石川:「自分の身体とつながっている」感がありますね。

本江:そのキノコを食べるとサイクルになる。

深澤:食べられる種類も何種類かあります……。モグラのトイレからしか生えないアンモニア菌というものもあります。そのキノコを見つけたら、掘るとモグラの巣を見つけられます。菌根菌なので、共生する相手の木が必要。つまり、木、モグラ、菌の三者の関係でキノコが出てくるんです。モグラは葉っぱを集めて地下30cmくらいのところにボール状の巣を作ります。そのすぐ横にトイレを作るんですが、トイレが分解されないとモグラにとっても汚いですよね。だから、「浄化共生」なのではないかと言われています。

石川:生分解性トイレですね。

深澤:はい、そうなんです。

石川:それはおもしろい。

中西:さきほど「森の中に住みながらDNA解析やコンピュータを使って研究していく深澤さんの研究スタイルに可能性を感じる」と話しましたが、今のお話のように、自然とつながることが森に住むということなんですね。自然とつながりながらコンピュータやDNA解析を武器にしてやっていくということ。一番新しい「テクノロジーと自然とのつながり方」だと思いました。
 つまり、昔に戻ること、自然に還ることだけが「善」なのではなく、両方やれば良い。さきほどの石川さんの原罪感覚を乗り越える答えでもある。

石川:ゴアテックスを着て森へ行き、自然とつながろう、と。

中西:スマートシティの発想に森やキノコのような「人間の認識を超越している知性」を取り込むというのはそういうことなのではないかと思いました。

さらなるキノコの知性のメカニズムを求めて

本江:そろそろ時間も迫ってきたので、今後の展望の話など。深澤さんの研究で、菌には知性があり、「方向を記憶していること」と「その方向に行く決断をしていること」が分かったわけですね。となると、今後はどんな展開を考えていらっしゃいますか?「意思はあるのか」、「欲望はあるのか」、「自己と環境の関係に関する認識はあるのか」など様々な知性の概念を確かめていくということなのでしょうか。

深澤:ええと、ひとつはメカニスティックな方向性ですね。ぼくがやっている菌糸だけでなく、酵母などでも「記憶」の研究はされています。具体的にはDNAの発現を調べるという方法です。植物ではDNAの中に過去の出来事の記憶が保存されているというケースがけっこうあるんですよ。菌糸でもそのようなことがあるのかを調べたい。

 もうひとつは、「菌糸のネットワークの中で情報が統合されているのか」、あるいは「局所的な反応の積み重ねでそのような知性的なものが創発されているのか」、そのどちらなのかを調べたい。具体的には「電気信号が流れている様子を可視化する」とか、「情報伝達物質が流れる様子を可視化する」などの方法で調べたいと思っています。

 記憶、決断、予測といった能力は、おそらくさほど高度なメカニズムがなくても実現可能で、単細胞生物の粘菌や酵母でもこれらの機能が知られています。単純なメカニズムによる知性(環境応答)が集積することで脳のような高度な知性が創発されるのではないかと思っています。単純な知性から高度な知性までの間は連続的で、情報ネットワークの複雑さの増加に伴ってどこかで飛躍的に高度な知性が発揮されるようになる相変異のようなことが起こるのではないかと思っています。これに関連して、菌類の菌糸ネットワークがどれだけ複雑な課題解決能力があるのかという研究も今後やって見たいと思っています。

 脳細胞の一つ一つが私たちの「意識・知性」を知ることができないように、生態系がもし知性を持っているとしても構成単位である私たちがそれを知覚することはできないのかもしれません。ただ、昔から感覚の鋭い人がいて、生態系の意識のようなものを感知すると、それが神様として認識されてきたのではないかと思っています。これは生態系があってそこに生物間の相互作用があればどのようなサイズスケールでも生じ、小さいものは氏神様のようなものから、仏教など世界的な宗教まで行くのかもしれません。そして生態系が違えば神様の性質も違う。。。そういう意味で、キノコからブッダまでというキャッチコピーは我が意を得た感がありました。

本江:「土壌の中で菌糸が何かを考えながら有機物の分解や樹木との共生を行なっている」というビジョンは、生態系というものに対する従来のイメージを覆す可能性があると思います。土壌全体、環境全体の中で、それぞれの戦略を「意思と欲望と記憶と決断」によって展開しているというのは強烈に豊かなビジョンなので、その根拠となるメカニズムの研究が進んで、うまく言語化されれば、人間が都市をつくる在り方も変わってくる。

石川:深澤さんのご研究はもっと広く読まれないといけないですね。脳神経科学者のお話にも似ているので、多くの方々の興味をそそるでしょうね。

中西:スマートシティのいろいろなところに、今日うかがった発想がリンクしていくとおもしろいですね。都市としてのゴアテックスやスマホを身に纏って森の中へキノコを感じに行かねば。

【2020年10月27日 Zoomによるインタビューにて】

(テキスト・編集=清水修 Academic Groove

[1] 粘菌コンピュータ, https://ja.wikipedia.org/wiki/粘菌コンピュータ
[2] 東北大学プレスリリース, 菌類が決断・記憶能力を持つことを発見 脳・神経系を持たない微生物の知能 (2019/11)
[3] 深澤 遊, キノコとカビの生態学―枯れ木の中は戦国時代―, 共立出版 (2017/7)
[4] 森の自然を取り込んだ園庭が園児の免疫を改善か, https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/news/overseas/00033/, 日経BP (2021/03/01最終アクセス).
[5] Strange but True: The Largest Organism on Earth Is a Fungus - The blue whale is big, but nowhere near as huge as a sprawling fungus in eastern Oregon, Scientific American (2007/04).
[6] アナ・チン, マツタケ ―不確定な時代を生きる術―, みすず書房 (2019/9).
[7] 深澤 遊, 九石 太樹, 清和 研二, 境界の地下はどうなっているのか : 菌根菌群集と実生更新との関係, 日本生態学会誌 63巻 2号 p. 239-249 (2013).


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