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情報の分解・編集から立ち現れる不可視のスマートシティ:連載「スマートシティとキノコとブッダ」ゲスト:豊田啓介

Photo by Michael Dziedzic on Unsplash

人間と異なるエージェントと共存する都市を実現するためには、コモングラウンドの実装が不可欠だ。

2025年開催の大阪万博のプランニングに携わる建築家の豊田啓介氏は、デジタルエージェントとフィジカルエージェントが共通の認識を獲得できる基盤「コモングラウンド」の重要性を説く。

人間とコンピュータという異なる知性のための環境をいかにつくり出すことができるのか。その実装のためには、どのような方法論が求められるのか。これから立ち現れるであろうスマートシティ像を探るべく、インタビューを実施した。

語り手
豊田啓介(Noiz Architects)

聞き手
中西泰人(慶應義塾大学 環境情報学部)
本江正茂(東北大学大学院 工学研究科)
石川初(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科)

デジタルとフィジカルが共通の認識を持つコモングラウンド

中西:豊田さんはコモングラウンドの設計に関して、さまざまなメディアで語っていますよね。改めて、コモングラウンドの意味と狙いをお聞かせください。

豊田:まず、コモングラウンドとは、デジタル側とフィジカル側がモノと情報を解像度高く相互に認識できるシステム全体のことです。フィジカル空間に存在するあらゆるものを汎用的なデジタル情報に変換して、人間とロボットやAIが共通認識を持てる状況にすれば、自律型モビリティのナビゲーションや新規アプリケーションやサービスの開発に役立てられます。

おそらくここ数年で、自律走行車とAR/VRに関するサービスが実生活の中に実装されていくはずですが、それらを提供するエッジ側が個別でSLAM(Simultaneous Localization and Mapping)化や環境記述のプロトコル開発などを全て自前でやるのは非効率的ですよね。

トヨタやパナソニックなどのものづくり企業をプラットフォーマー企業の第一世代とした時に、ヤフーやグーグルなど情報プラットフォーマーを第二世代、情報プラットフォーマーの知見を持ちながらモノを扱うアマゾンなどの第三世代、すでに存在していたモノの情報や属性を編集するUberやAirbnbなどの第四世代というかたちで、これまで潮流が移り変わってきました。来たる第五世代型のプラットフォーマーは、おそらく都市の既存領域を複合的に扱える企業になると考えています。これから重視される価値軸は、情報からモノ側に還っていくのではないでしょうか。

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図1 情報とモノ・環境の関係の進化とプラットフォーマーの変遷

ある程度のところまで、エッジ側のサービサーと環境側のプラットフォーマーがデータを提供し合ったほうが明らかに社会合理性が高いはずですが、そのための汎用性を持ったデータフォーマットを開発するインセンティブがないため進展していません。ただ、共通基盤なくしてサービス提供は難しいはずです。ちょうど2025年の大阪万博の話があったので、サービサーやプラットフォーマーが同じほうを向いて進めるように、公的に旗を立ててアジテーションしていくことを考えました。

先日、それを実装するためのサンドボックスとしての実験場とプロトコル開発を目指す枠組み、「コモングラウンド・リビングラボ」が大阪で立ち上がりました。大阪商工会議所さんを中心に、ITインフラ構築や建設、ディベロッパー、電子機器メーカーなど多様な業態から多くの企業が参加しており、あらゆるモノをデジタルで記述する共通基盤の実証実験を通して、人スケールで室内外をシームレスに扱える、Google MapのKML(三次元地理空間情報の表示の管理などを目的とした情報をXMLで記述するもの)のような、汎用3Dインターフェース記述方式の開発にも取り組みはじめています。

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図2 サービサーとプラットフォーマーが都市を巡るデータとAPIを提供しあう共通基盤:コモングラウンドのアーキテクチャ

系全体を見据える利他的な視点

中西:コモングラウンドの取り組みは、機械側に優しい環境を整えるという意味でポストヒューマンセンタードデザインに近いアプローチだと感じます。人間中心主義とポスト人間中心主義をどのようなバランスで取り入れながら、環境を設計するべきだとお考えですか?

豊田:難しい質問ですね。。。直球の答えになっていないかもしれませんが、、主体とすべきエージェントは人間しかいないと考えてしまう都市観・建築観は天動説的な視点だと考えています。たしかにわたしたちは人間なので、人間が利益を享受するために動くことは生物として間違っていないと思うのですが、現状は人間中心主義に寄りすぎています。例えるなら、巨人がいい選手を軒並み集めてしまったためセリーグが面白くなくなってしまうような状況かなと。自分だけがうまくいくことを考えるのではなく、系全体を育てるような群知性的な視点で考える必要があるのではないでしょうか。

コモングラウンドを実現するためにはエージェントと環境の軸と、デジタルとフィジカルの軸からなる四象限それぞれに対応する記述の方式が必要ですが、現状は人間の視点による記述方式しかありません。人間以外のエージェントであるロボットやAIなどの他者達の視点からも動きやすい社会をデザインしない限り、究極的にはわたしたちが受けられるサービスの質も下がってしまうでしょう。

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図3 コモングラウンドを取り巻く新しい他者達との共生

異なる領域とコラボレーションするためのノウハウ

本江:コモングラウンドの実装は従来の建設業的な都市デザインのアプローチでは取り組むことができない問題なので、異なる領域とのコラボレーションが必要になると思います。

豊田:3Dデータの記述様式の違いやその汎用性と目的の対応関係などを議論できる人が都市・建築領域には少ないため認識の解像度が低く、取り組まなくてはいけない課題の本質がうまく伝わりません。

例えば、BIMで環境記述できるのではないかという意見がありますが、BIMは建設設計を主目的としたソフトで属性情報の書き込みには優れていますが、デジタルエージェントが環境認識する目的でつくられていないため基本的に流用できません。また、BIMで記述できるのは都市の数%程度であって、道路や地下鉄とか街路樹など建物以外の要素には対応できません。

環境記述において最も可能性が高く、マルチエージェントがスムーズに動作するのはゲームエンジンです。BIMやCADはそもそも建築データのモデル化と静的関係性の記述を目的としたシステムなので、自律走行やARに必須のコンマ何秒という記述と可読性を前提としておらず、網羅的な情報を含むためデータが重く固くなりがちです。一方、ゲームエンジンのデータは、プレイヤーに遅延を感じさせずに多様な環境を記述することに特化しているため、より複合的な環境を記述しながら人の動きや物流をリアルタイムで取り込むインターフェースになると考えています。

BIMが持つ構造や設備などの見えない部分の情報や、材質や部材などの具体的な属性情報をゲームエンジンに組み込む方法や、データが存在しない既存領域のデジタル化、そのスキャンデータの取り込みなど、いくつか課題はありますが、物理世界とデジタル世界を連動させられる可能性があると思います。

一方で、こんどはゲーム業界の人に都市をゲームエンジンで記述することの意義が伝わりづらいという現状もあります。長期的には、都市や建築領域は単体のゲーム領域よりも可能性があると伝えても、最終的にいかにそのデータを使ったゲームを開発するかという話に落ち着いてしまいがちです。

領域の専門分化が進みすぎていて、実務においてもコミュニケーションが難しい場面に多く遭遇します。課題は多いですが、他領域とのコラボレーションのノウハウを養う領域横断のエコシステムが必要だと思います。それでも先日、CEDECでバンダイナムコ研究所の本山博文さんとゲームデザインと都市の可能性について共同で登壇する機会があったのですが、予想をはるかに上回るポジティブな反響をいただきました[1]。機は熟し始めているとも感じています。

絵として描ききれない未来の都市と建築

中西:豊田さんが提案されたSHIBUYA HYPER CAST. 2は、分解された要素を再度集めた場所をつくりたいという建築家としての欲求が現れた提案だと思います。ロボット専用の通路やドローン用の発着場などのマシンランドスケープに近しい要素と、植物などのナチュラルランドスケープの要素が融合している様子が面白いと感じました。マシンランドスケープとナチュラルランドスケープ、そしてコンピュテーショナルデザインの関係について、どのようなことを考えられているのでしょうか? また、大阪万博の会場計画にボロノイパターンを活用されていますが、その意図についても伺いたいです。

豊田:スマートシティの概念構築に関わるといつも直面する課題なのですが、これからの都市像や建築像はビジュアルとして描きようがないんですよね。20世紀までの都市や建築は形で表現できていましたが、これからはその新規性の本質が形やモノに現れなくなっていく。例えば、Uberは情報属性の変化でタクシーを生成しているものなので、車の質やデザインを変えることは求めないですよね。これからは情報次元の編集性をメタに表現せざるを得ない。

SHIBUYA HYPER CAST. 2は、これからの都市に現れるであろう要素を垂直に積み上げてビジュアルで表現したメタファーです。これからの都市には、その要素同士のバランスによって系として形が成立していくような中間的な構造が現れてくると思います。例えば完全自律走行社会であれば、敷地と道路がイチゼロで切り替わり物理的に固定されているよりも、交通量や時間に応じて道路幅が増減してトポロジーが動的に変化してもいいはずですよね。僕がアドバイザーとしてかかわった大阪万博の誘致会場計画はその実証実験の場となることを意図して計画しており、社会構造としても都市構造としてもより離散化や流動化、非中心化が進むということを前提に、新しい都市の要素とロジックを分析し、新しい合理性の下に再統合した形を社会で探索する機会にすることを意図しています。ボロノイによるネットワーク構造はそうしたリサーチや理論構築がまだできてない中で、一つの仮設としての新しいロジックの体現、仮のイメージという位置づけです。

キノコのようにネットワークを張る新しい都市のつくり方

本江:キノコの本質は、目に見えている形を持った子実体の部分ではなく不可視の菌糸のネットワークです。中間的な構造だけが形として現われるという話はまさにキノコの生態に似ていますね。

豊田:そうですね。キノコのメタファーで考えたことはなかったのですが、これからは単機能のオフィスや商業施設などを集約した高層タワーを建設するような大規模再開発から、菌糸のようなネットワークが張ることで生まれる離散性や編集性を生かした細分化された再開発に移行していくべきだと思います。

僕がスマートシティという言葉に違和感を覚える理由は、端的に言えばシティというひとつの閉じた領域で価値の再編が可能であるかのような印象を与えるからです。この場合菌糸にあたる、構造として見えない背後のネットワークによる編集性や情報の移動による圧倒的な価値構造の変化は、都市が郊外や地方、田舎や自然などとシームレスに接続し、双方向にいろいろな価値要素を共有できるところにあるはずで、都市に閉じたとたんにそうした大きな可能性を排除してしまうことになります。今起こり得る究極は、場所やモノとは分離可能な、情報による価値編集のネットワークのほうですよね。

その再開発によってできた「スマートシティ的なもの」は、新橋などの既存の街と見かけは同じですが、背後にそれらを繋いで成立させるプラットフォームが存在する点で異なります。ただし、それらの開発で生まれる都市は、初期は部分的にさまざまな「郊外」や「リゾート」などの「虚構」を寄せ集める形をとるようになると思います。要はディズニーランドのような、所詮虚構に過ぎない「実態」なので、情報と実態、それぞれの虚構性には備わり得ない、その土地の場所性や歴史、物語といった「デザイン」不可能なリアルの価値が高まっていくでしょう。これは、デザイナーによる制御の不可能性を前提にするという、なんとも歯がゆい状況にはなってしまいますが。

ネットワーク型の離散的な再開発においては、郊外や地方都市に拠点を持つディベロッパーに可能性を感じています。地方にある職住商領域の関連施設がネットワークでつながることで各領域のリモート化が進み、はじめて完全な無拠点居住が実現可能になります。さらに、高解像度に自分の感性をアバターに転送させられるようになれば、身体を伴わずに複数の場所に存在できるようになるでしょう。

ただ、最近よく職・住・楽・学の四要素の離散化と流動化が次世代のスマート社会の鍵だと言っているのですが、そもそも離散化が進んでいたエンタメに加え、コロナ禍で職と住の離散化と流動化が進み始めました。でも、最後のボトルネックとして教育領域の離散化と流動化のしくみがまだ全然進んでいない。これが大きなポイントだと思います。仮に教育領域のシステムがネットワーク状に構築できれば、週3日は都心、週2日は地方の学校で同じカリキュラムで授業を受けられるようになるかもしれません。また、このような教育機関の離散化が実現すると、例えば田舎のお神楽などを子供に習わせることができるようになるでしょう。現在の地方か東京かの二択しかない社会ではゼロにならざるを得ない地方文化も、100%ではないかもしれないけれど、数十%なら継承させることも可能になる。そういう薄さを許容して、薄い価値を流動化と離散化の恩恵を活かして多層に重ねる、そういう姿勢としくみが、これからの地方には重要になってくるのではないかと考えています。

変化する建築家の職能

石川:全体像を描けないというジレンマは造園も抱えています。賑わいを起こすことなどが目的ではあるのですが、つくったものが実現する環境を絵として描くことはかなわず、漠然と人が集まっているイメージに止まってしまう。そのイメージから本質とズレた設計が氾濫することが往々にしてあるのですが、それらの誤解を乗り越えて本質やロジックを伝えるための工夫やメソッドとして考えていることはありますか?

豊田:このようなことを言うと自ら建築家の職能を危うくする方向に進んでしまうのですが、、建築家が扱うものが形から現象的なものに移りつつあると感じています。ありとあらゆるものをコントロールし尽くして自然との対峙を見せることが20世紀的な建築の力であり価値だったとした時に、いま求められていることはおそらく100%コントロールせずとも間接的に因果関係を扱えるノウハウ自体がデザインになりつつあるのかなと。

扱うものが単純なモノや形から中間的な構造に変化していくと、場面ごとに対応すべきポイントが異なり、他領域との共通言語を都度つくりながらコラボレーションしていくことが求められます。そのノウハウや知見を体系化することは難しく、現状は個人がメタ的な知見を蓄積していかざるを得ないのかもしれません。

属性を分解・編集することで現れる新しい価値体系

中西:機能主義的な空間のつくり方を乗り越えていくためには、先ほどお話していたような新たな存在・他者:ロボットやAIだけでなく多様な生物や環境などへの利他的な視野と新たな価値観を備えた設計の方法論が必要なのではないかと考えています。これまでの価値観を超えるこれからの方法論ついてどのようなことを考えられていますか?

豊田:なんか月曜の朝からむちゃくちゃヘビーな質問ばかりじゃないですか?(笑)

そういう大きな視点で言うのなら、物理的な世界を拡張していく時代が限界を迎えていると感じています。人類は新大陸の発見などの物理的な拡張を数千年かけて行ってきたわけですが、大航海時代などを経て、持続的に開発可能な地球上の領域はほぼカバーしてしまってもはや拡張領域がない状況になってしまっています。これ以上拡張するのは宇宙ということで、やれ月だ火星だとなっているわけですが、僕はもうこれ以上はどうやってもペイオフしないと考えていて。秀吉が国内に褒章として挙げる領地がなくなったので、明を侵略しようとしてしまった状況に似ています。技術的に情報の属性をパラレルな次元で扱えるようになっている現在、単純な類推で宇宙への拡張を検討するのではなく、情報次元に世界を拡張していくべきではないでしょうか。

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図4 世界を拡張する2つのベクトル

身体を動かさずにオンラインで会議ができるようになったように、物理的にパッケージされている必要があると当然のように思い込んでいたもののなかには、技術的に属性を分解できるものがたくさんあると思います。そして、身体や物性に固定的にパッケージ化されていたものの属性を分解・編集して扱えるようになることで、これまでとは違う価値の組み合わせ新たにが何万通りも生まれるはずです。属性を分解するノウハウと、その編集ロジックの体系化は今後社会として積極的に取り組んでいくべき、それこそ新大陸なのだと思います。

人の量子化とそこから生まれる集合的な自己

中西:豊田さんは過去のインタビューで、個人のアイデンティティをデジタル上に置くことによってさまざまな場所や属性に存在できるようになった状態を、人の量子化というキーワードで表現されていますね。

豊田:個人の物理的な制約が緩んで、少しずつでも情報要素が編集できるようになり始めると、自己の境界が拡張されて、ある集団の一部としての集合的な自己意識、身体の一部の細胞が身体そのものを自己と感じるような、「集己」とでもいうような感覚が生じ始めるのではないかと思うんです。

新型コロナウイルスによって生まれた状況は、集団内に対する共感をベースにした集合的な自己意識が社会に認識された大事なプロセスだったと考えています。例えば、在宅勤務が増えたことで、地域の顔見知りの店などさまざまな地域コミュニティを生かすために自分ができる行動を意識するようになりましたよね。

このような集合的な自己意識があってはじめて環境問題などの地球規模の大きな課題に対応できるようになります。集合的な自己が概念として体系化され、方法論として確立しない限り、地球環境の問題に対処できません。

ぼくのなかではまだ漠然としたイメージしかないのですが……20世紀までの人間の科学や技術は、解像度の低い8ビットのドット絵のようなものだと思っていて、モノや身体性に閉じ込められて整数的な選択しかできなかった。それが急速な情報技術の進展によって、より連続的で流動的なヒートマップのような存在や所属の仕方、要は量子的な人や集団の在り方が顕在化しつつあるんだと思うんです。現にリモート会議をしながらニュースをチェックし、メールを打ちながら後ろにいる子供に目配せをするような、離散的な所属と行動は部分的に実現していますよね。

属性の分解によって生まれうる新しい価値の可能性

中西:このプロジェクトでは、ロボットやAIなどが存在する物理環境が、人間の知性や身体性のどのような側面を新たに引き出すかについて議論すべきだと考えています。そうしたことについて、2025年の万博の計画に際してどのようなことを考えているのですか?

豊田:僕が主導した2025年大阪関西万博の誘致会場計画では、従来のような物理会場だけでなく、バーチャル会場、さらにはそれらを接続するコモングラウンド会場の三つを、明確に異なる会場として計画することの価値を前面に押し出しています。トラヴィス・スコットがゲーム「フォートナイト」の世界で開催したバーチャルコンサートに2800万人を動員して話題になりましたが、それと同様のバーチャルな動員のあり方はありうるはずです。コモングラウンド会場はARアバター来場やロボットや建物に乗り移るアバター来場ができるように設計するなど、少なくとも、もはやゲートを通った物理的な身体の数でKPIが語られるものであってはおかしいですよね。とはいえそうした産業実装には企業や業態を超えた、大きな連携が必須になります。日本企業はどうしてもこうしたまだ不明瞭な先のビジョンに向けて大きな投資をする動きが苦手なので、万博を一つのマイルストーンにすることで、通常越えられない壁を超える機会にできるのではと考えています。先ほど触れた、「コモングラウンド・リビングラボ」の活動などがまさにそれにあたります。

石川:属性を分解して捉えるようになると会場という概念を揺さぶりますね。その視点からオリンピックについて考えると、集まってスポーツをすることの意義が問い直されるように感じました。異なる環境適正があるスポーツを同じ都市で同じタイミングで開催しようとするため会場建設問題などがこじれてしまいます。新しい開催の方法があるのかもしれません。

豊田:とりあえずは、新しく生まれうる価値の可能性を広げるべきだと思います。まさにオリンピックについても、気象条件などの統一が難しいかもしれませんが、別々の場所で予選会を開くこともできるかもしれない。他にも、3Dスキャンしたブロードキャスティング技術が発展しているため、VRゴーグルを使えば、まるで選手の隣にいるように感じられる新しい観戦スタイルも生まれるかもしれません。東京オリンピックは、スポーツの価値体系と体験の共有方法を根本から変えられるポジティブな機会になり得ると思うのですが、議論が全くされていないのがもったいないですよね。

[1] 都市をアソビ空間に変えてしまう! CEDEC 2020で示されたゲーム開発者と建築家の共創によるエンターテインメントの可能性, CGWORLD. https://cgworld.jp/feature/202010-cedec2020-toshi.html


(テキスト=秋吉成紀、編集=岡田弘太郎)

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