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聖母・メグル=ハチミヤの伝説(アイドルマスターシャイニーカラーズ第2章レポ)※ネタバレ多々有り

―――届いたよ、輝き。
気が付けばもうシャイニーカラーズ第二章の公開終了日も間近、ヤバいヤバいと焦って朝イチの回に駆け込み視聴してきました。(もはや一日一回、8時過ぎからの回しか残っていない)普段の通勤とほぼ変わらない、何なら早いくらいの出発。休日のJRだからもっと空いているかと思ったけど意外と乗客がいたのでビックリ。師走ですね皆さん忙しいんですかね、お疲れ様です。この書き方で居住エリアが判る人には判るんですね世の中って怖いですね。判ってるならJRって書かないで電車って書けばいいのに。
 何でこんな朝の私の描写をしているかって、例によって文字数稼ぎです。ネタバレ満載の感想・お気持ち表明ダイレクトアタックなので、本題がいきなり目に触れてしまうとアレですからね。
例によって終始こんな感じの皮肉めいた口調で性格の悪さが垣間見える文章なので、嫌な予感がした人・ネタバレ絶対許さないマンの人・冗談を冗談と楽しめない人・自分と違う意見絶対許せなくていちゃもん付けるマンは回れ右推奨。

◆283プロあったもん!

 シャイニーカラーズさんって、現実企業さんとか他作品とのコラボが凄く多い印象なんですけど、それってやっぱり根幹に『実在性』っていうのがあるんだと思うんですよね、確か公式でもそこは大事にしてるって言ってたと思うんですけど。それの延長というか何というか、今回のアニメもそうだしゲームでもそうなんだけど、リアリティが凄くあるんですよね。勿論判りやすさも大事なので時にオーバーなギャグ表現だったり、ネタに走るようなことも稀によくあるけど、言ってみれば『今この瞬間の一つ一つ』に重きを置いている印象なんですよね個人的に。世界中の人が認知することなんて絶対無いし、縁の有無は運命論より確率論、付いてくる結果は神様にだってどうしようもない、だって神様は死んだ、って。
だから一人一人の足跡をキッチリと描く、起こらないから奇跡って言うんですよ、それは知ってる。だから必死に足掻いてみればもしかしたら自分たちが描いてきた軌跡を奇跡に変えることが出来るかもしれない。”透明”から”鮮明”に。”不可能”から”可能性”に。彼女たちの生き様そのものが”光空記録(シャイノグラフィ)”だから、結果なんて最後に振ったダイスの目が成功か失敗かどっちに転がったかだけの話で、経緯でどれだけ自分たちが後悔しないで足掻けたか、みたいなロックな精神を所々に感じるのが凄く好きでして。Dye the skyでも歌っている「未来なんて実はどこにも無い 描き出せ自分の手で 現在だけが存在の証明 刻み込め、昨日より強く」これがシャイニーカラーズの本質なんじゃないでしょうか。歩んできた過去はある、軌跡は奇跡に変えられるかもしれない。だけど未来なんて無い、あるのはただ未来へ繋がる『今』。そんなメッセージは常に投げかけられているような気がします。
だからなんでしょうね、5thライヴのDay1みたいな演出を平然とやってのけるのは。あれは最後のダイスが“失敗”の目を出してしまった世界線、だけど描いてきた軌跡そのものが否定されるワケじゃないっていう、何というか時代に沿っている考え方が好きです。根性論で「みんなで頑張れば何とかなるよ!」みたいな根拠のない根性論でもなく、「そこで諦めるのか根性無し!」みたいな昭和染みたパワハラでもなく、かと言って行き過ぎた諦観の冷めた目線で捻くれたダウナー姿勢ではなく、ちゃんと手を取り合って協力する姿勢はある。押しつけがましさがないので温かみを感じることが多いんですよね、その上でしっかりと現実の厳しさは突きつけてくる。何もかもが上手く行くなんてことは無いから、どれだけ自分たちが納得できるか、に焦点が当たっているような、そんな印象なんです。とってもとっても個人の意見です。
今回のシャニアニ、徹頭徹尾裏方というかライブとか『大舞台そのもの』より日常の仕事や生活とかの描写にこだわるのもそういう理由なのかなって個人的には受け取っています。言葉が悪いのは百も承知だけど、単純に「ライブシーンドーン!はい可愛い!(ファンは死ぬ)」みたいな判り易さだけを見せ場にするなら今日日ワンクールもいらないんですよ、ショート動画で作れちゃうんだから。素人考えで作るなら大抵w.i.n.g.で優勝するまでの経緯を描いて最終回付近で優勝して頑張ったねー、はいハッピーエンドー、の流れになりそうなんですよ。でも「それって別にもうゲームでやってるんだからそこはそっちで楽しんでもらえれば良くね?」とでも言っているのか、深掘りの為の経緯説明のようなシーンがむしろメインで描かれることが凄く多いなって思ったんです。そこはシャニソンにも似たような傾向が見られますよね、enza版で描いてきたお話を一旦無かったことにしてもう一度最初からはいスタートっていうのをPさん達にさせるのも違うし、かと言ってなぞるだけじゃわざわざ新しいプラットフォームでやる意味が薄い。「ライブシーンドーン!はい可愛い!(ファンは死ぬ)」だけじゃ結局ただのその場しのぎなんですよね。困ったら新アイドル増やしとけばいいんじゃねみたいな安直なのは現場を知らない頭でっかちの経営陣だけで充分ですよ食傷気味ですよ。最初の一瞬はいいけどすぐに飽きる、人間なんてそんなもんです、綺麗事だけじゃご飯は食べ続けられない。だからシャニソンでもenza版で描いてきたお話を別視点から「裏ではこういう話が一緒に進んでたんだよ」みたいな書き方をしてくるし、シャニソンも今回のアニメも、何というか攻めの姿勢を崩さないシャニマスファイティングスタイルだなぁと。
「決勝のシーン描かないんかーい!しかも結果そっちかーい!ってかそれこんな中盤じで決着つけるんかーい!」っていう、いわゆる王道を期待している人達にとっては容赦なく肩透かしを食らわせていくスタイルは本当にロックだなぁ……と尊敬の念すら抱く程です。大事なものは一つじゃない、何に価値を感じるかも人それぞれでいいんだとでも言ってくれているかのような、そういった意味でのメッセージ性は凄く強いなって感じるのがここまで見てきた総評でしょうか。

◆3章絶対ヤベぇじゃん。

 そんな感じでどうやって着地するのかなぁと思いながら見ていた第三章予告。この流れだと、きっとアンフィの1stライブをイメージした感じでライブをやり切って最終回って感じかなぁと思い始めていますが、事件が起こったのはその後。プレイ済みの人にはこう言うと判る『例の河原』の映像が来た時に朝イチで若干眠気が残っていた私の脳は一気に覚醒しました。「PiCNiC BASKET!さん!?PiCNiC BASKET!さんじゃないですか!?」
……おわかりいただけただろうか。河原に集まる283プロのアイドル達。タイミング的には予告映像の終わり付近で差し込まれた絵面。そしてこれは現在進行形で進む彼女たちの未来へ向けた物語。
つまりラストカットに声の出演は無くても、ストレイライト・ノクチル・シーズ・コメティックの姿が入るワンカットくらいは期待してもいいんじゃないでしょうか。期待させてくれ。夢だけ見てもいいよね?なお、昔の人は『人』に『夢』と書いて『儚い』と読んだそうです。何か嫌なことでもあったんですかね。

◆アイドルに「ママーーーっ!」って言うのはどうかと思ってたけど「お母様……」は言ってしまったかもしれない。

 さて、ざっくりと幹の部分にベタベタと手垢塗れになるくらい触れて来ましたが、ここからはピンポイントに刺さったところを。正確に言うと記憶に残っているところを。(ちょいちょい泣いてたから記憶が一部欠如している)
 いやね、何は無くともまずそもそも『ママ味』って何よと。ただママに甘やかされたいならお風呂屋さん行ってプロのお姉様にお金払って授乳手コキしてもらった方が早ぇ、おっぱい飲んでネンネしてな!!と過激な発言から入りましたが大丈夫でしょうか。
 今回記事タイトルにさせて頂いた八宮めぐるさんのお話なんですけどね?彼女、今回のシャニアニに限った話じゃないんですけど、本当に「強いな」って思わせるのが、彼女『自分にとって大事な人(友人仲間家族恋人関係性は不問)が困った時に手を差し伸べたい、何の損得勘定も躊躇もなく手を差し伸べられる存在』なんですけど、その上で『だけど、相手の意思を尊重できる子』なんですよね……厚意を押し付けない、これは本当に「強い」と思います。一方的な献身だけじゃ本当の意味で相手の為にはならないし、相手が依存するようなタイプだと自分に重圧が返って来てしまう、勿論彼女はそれでも受け止められる器量がある子だけど、あくまで相手が話し始めるのをじっと待つんですよね。辛そうな相手を見るのってやっぱりこっちも辛くなるじゃないですか、こっちから優しい言葉をかけてパパっと解決したくなるじゃないですか。だけど、それをしない。向こうから手を伸ばしてきてくれたら全力で引っ張って手を離さない、そんな子なんですよね。恐ろしいレベルのエアリーダー、彼女に読めない空気などない。酸素も窒素も二酸化炭素もどんと来い。これってママ……というか親が子供の成長を見守る感じに凄く近いのかなって、軽率に使われすぎて本来の意味が何だか軽んじられている雰囲気ではなく、相手の事を本当の意味で『リスペクト』するってこういうことだよなっていうのを体現しているような子。『太陽』ではなく『お日様』の子なんですよねこの子……あったけぇのよ……こんな世知辛い令和の世の中、柔らかな日差しで温めて日向ぼっこさせてくれる存在、それがメグル・ハチミヤ。あぁいかんまた目から汗が出てきた、ちょっと鼻かんでくる。

 えー、前振りが長くなりましたが、何の話かって4話で言い方がきつくなっちゃった灯織ちゃんが5話で真乃に謝るシーンですよね。八宮さん絶対判ってるんですよね、灯織が責める気持ちで言ったんじゃないことも、真乃がその言葉を悪意だと思ってなくてちゃんと真摯に受け止めていることも。4話のあのシーン、初見のめぐるのイメージだとその場で仲裁に入っちゃいそうなんだけど、めぐるも元気に振る舞っているようで実はかなり繊細な子なので、あそこで軽率に踏みこむようなことはしないんですよね。ソース?ソースは八宮めぐるさんのpSR『チエルアルコは流星の』のコミュですね、その話の考察を始めたらそれだけで第二章の感想文の量を遥かに凌駕してしまいそうなので割愛。底抜けに明るいワケでは無い、酸いも甘いも嚙み分けて育ってきたからこそ出せる暖かな雰囲気。それはさながらイエス=キリストではなくマリア様。本来の意味ではなく間違って伝わっている方の「右の頬をぶたれたら左の頬を差し出しなさい」を体現しているような子。愛を持って周囲と接する子。信頼を得るにはまず自分から心を開いて飛び込んで、例え自分が傷つけられても、笑顔で左の頬を差し出せる八宮めぐるさん。その光は儂には眩しすぎる……まぁ、だから本来の右の頬を打たれたイエス君の意図に近い冬優子が私の担当になったんですけどね。「はん、その程度?その程度じゃ痛くも痒くもないわ、もう終わり?ほら、左の頬も殴ってみなさいよ、そんなことされたってふゆは絶対負けないんだから!」とか言いそうじゃないですか。イエス君も結構ロックだったって聞きましたけど、ウチの冬優子もかなりロックでシンパシー感じますね。だって同級生に嫌味言われたから言い返した、先に殴られたから殴り返した、自分から喧嘩はふっかけないけど売られた喧嘩は残さず買い取る黛冬優子、そんな彼女は私の中で未来永劫永遠のカリスマ的存在であり続けることでしょう。ソースはpSSR黛冬優子『Starring F』ですね、恒常なんで皆さん読んでください。
「あーーっ!プロデューサーさんが隙あらばまたふゆさんの話してますーーっ!!」
 ……ごめんて。劇場版の話するね、はい。
 こんなこと言ってますけど私、イルミネさんのデビューライブシーンでマジで泣いてました。スタートの4ユニットのときは間違いなくめぐる担当イルミネ推しPだったので……(や、今もそうなんだけど如何せん冬優子がマジで震えるくらい私のど真ん中だったってのは別の話。これも語り始めると10万文字のラブレターになる)

◆「一度触れて『しまった』時に 二度と忘れられない夢になったの」

 イルミネさんのデビューライブシーンの何が天才的かってスポットライトの演出の描き方ですよね……ホントそれぞれの色の光で照らしてる演出が神すぎて「お金を、払わせてください……あ、今日は払ってた、じゃあ素直に泣こう」ってなりました。素直に泣きました。ご一緒の回でご覧になってたPさんごめんなさい、鼻すする音気になったよね、悪気は無いの……何度も言うけどイルミネさんって個人カラーだとピンク青黄色の言わゆる信号機色だけど、首元とか腰辺りに付いてるブローチとか留め具、あれはRGBなんですよねヒカリの三原色なんですよね……真乃が青、灯織が赤、めぐるが緑なんですよね……本来表現出来ない筈の『ヒカリ』の色を三人のRGBで表現するイルミネさんって発想に最初に辿り着いた方にホント土下座で感謝の気持ちを伝えたい。一度気付いてしまった時に、二度と戻れない現実(リアル)になったの。彼方先生のお書きになる歌詞は本当に心に突き刺さりますよね、触れて『しまった』という言葉。自分の意思だけでは辿り着けない場所へ導かれ実際に触れた時、自分に与えたものの大きさを知って心に刺さる、そんな素敵な経験を。
 というワケで正に三位一体を地で行くようなイルミネさんのライブシーンに涙しながら後は先述したw.i.n.gがまさかの折り返し地点で決着したり、メインで描くのはステージじゃなくその制作ドキュメンタリーという……現実と向き合う彼女たちの姿に涙したり、5話6話はなんかずっと泣いていた記憶しかない。前回第一章noteで「新規に優しくない」みたいな批判をチラチラと目にしてお気持ち表明したけど、逆に今回こそ「新規に優しくない」って言われたら「せやな……」って言ったかもしれない。まぁ1~4話見た前提だから各アイドルの説明はもう不要として(ってかそれでも「新規に優しくない」とか言うヤツがいたらそれは「『新規』じゃなくて『無知』って言うんだよ、そもそも勉強する気がないヤツが理解出来ないの当たり前でしょうよ」って鼻ホジする)、割と大事なところ結構すっ飛ばすのはシャニソンだけじゃなくて既にここから始まってましたね。w.i.n.gの扱いよ……や、違うな。w.i.n.gはenza版で自らプロデュースを手掛けて優勝した時の感動が一番だって確信しているからこそのこの描き方なんでしょうね。
 最終的には「シャイニーカラーズはアイドルゲームというよりビジュアルノベルゲームだと思う」と常に言っている私にとっては安心安定、直球はあんまり投げないから変化球に対応できる方は付いてきてください、お口に合わない方は無理しないで自分の好みの味のブランドへ行ってもろて……のファイティングスタイルがホントいつもながら大好きですってところに着地します。けどだからこそこのまま素直に第三章がサラッとライブに向けた準備だけで終わらない予感しかしないんだよな……と思いつつ、年明けちゃんと見に行けることを祈りつつ。

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