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鐘嵐珠の孤独は、誰も語れない


 挨拶代わりにしては物騒なツイートが並んでますが、どうも。
 「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会TVアニメ2期 第9話」を観た直後に、Twitterタイムラインで異様な感情に包まれていた、ちーくゎーさーです。

 今回は鐘嵐珠の話です。
 同時に、筆者自身の話です。

 この記事は、2期9話を軸にして彼女の心情を汲み取り、解釈し、考察して、且つ筆者に襲いかかった感情の数々を交えて綴っていこうと思います。
 




1.  鐘嵐珠、という人物

 まず、鐘嵐珠 (以下、ランジュ) という人物をざっくり復習します。
今回はアニメでの話なので、2期8話までのランジュのみとします。

 まずは初登場のシーンから

 2期1話にて、三船栞子 (以下、栞子) の前に颯爽と登場。
 彼女は栞子との関係を匂わせつつ (ランしおは幼馴染)、同好会との合流を求めます。
 そして、香港から『スクールアイドルをやる為に』来日したと言います。動機は「スクフェスで見た同好会メンバーそれぞれのパフォーマンスでトキメいた」との事。
 しかしその後のトラブル、ランジュの楽曲初披露などを経て、彼女は「同好会には入らず、ソロでスクフェスに出る」「支えられるのではなく、与えるアイドルでいたい」と同好会に言い放ちます。更に、侑ちゃんのスタンスに対して疑問に思い、問いかけ、提言までします。ここで侑ちゃんはしっかり譲歩、反論し、互いに立ち位置や関係を認識したり次のスクフェスで対峙するといった感じで場は締めくくられます。
 この回では、ランジュのだいたいの立ち位置やスタンス、楽曲性や人間関係などが垣間見えました。

 その後のランジュは

ソロのストリートライブで成功していたり

虹ヶ咲箱推しオタクムーブしていたり

スクフェス合同開催の首脳会談に出席していたり

幼馴染が心機一転する現場に居合わせていたり

スクフェスで注目を浴びるソロパフォーマンスを魅せてきました。

 ほぼ全ての場面で圧倒的存在感の彼女、様々な特徴が見えてきました。

・絶対に自信を崩さない (少なくとも人前では)
・ソロでスクールアイドルをする事にこだわりがある
・他者の実力を認めた上で自身のスタンスを貫く
・箱推し
・ソロで動いていない場面がほぼ皆無

 一切の隙がない、シリーズ最強のソロスクールアイドルと言っても遜色なしといった実力。性格も嫌味がなく、更にはオタ活まで真剣という親しみやすい要素も。
 まさに完璧、独立峰、他人への依存もないという意味では太陽など「恒星」に喩えられます。
 恒星という喩えは、彼女が虹ヶ咲で最初に降り立った時に披露した楽曲
「Eutopia」の歌詞からも汲み取れます。

Top of the top! Top of the world! Top of the top!
(I AM THE BEST!)
這地球就是繞著我轉 (世界は私を中心に回っている)

「Eutopia / 鐘嵐珠」歌詞より

 
 そんな彼女は 2期8話 Cパートの際に

ここに来た価値は十分にあった。後悔はないわ。
……バイバイ

 虹ヶ咲を去ろうとします。



 虹ヶ咲 2期9話 は、そのような経緯を抱えて始まります。



 

2. 「無理よ!」


 始まります、と書きましたが
 2期9話の挿入歌後の話から、今回の話をします。

 というのも、「鐘嵐珠」の真に抱えていた感情、本心はここにあり、極論「鐘嵐珠」にとっての 2期9話 はこのパートが全てです。

 とはいえ、あらすじが無いと何も話がすすまないので、軽くまとめます。

帰国すると言ったランジュ。ミアは成し遂げるべきことの為に引き留めようとするが失敗。「ランジュの為の最高の一曲」で試みようとするも、「私の曲じゃない」と言われ、再度失敗。ミアは困惑と怒りを抱えるも、璃奈ちゃんに本心を打ち明けることなどを経て、作曲にある確信を持つ。帰国直前、同好会によって足止めされていたランジュはミアから「ミア自身の曲」をぶつけられる。

 そしてランジュへ
 ミアは「キミは、どうする?」
 栞子は「アナタと一緒にスクールアイドルをやりたい」
と言葉を投げかけます。

 もし彼女が叶えたいものが「私というアイドルを実力で証明したい」だったら、栞子からの提案がもっと前だったら、ふつうだったら彼女は頷いていたはずです。彼女の表面に現われていたものに対しては、これで満たせていたはずです。



無理よ!


 そうではありませんでした。

 そして、筆者には何の違和感もありませんでした。


「私は、誰とも一緒に居られないの」
「仲良くなりたいと思うのに、どうしても上手くいかない」
「だって分からないんだもの。なにが悪いのか、なんで避けられるのか」
「相手の気持ちが分からなくても、認めさせることは出来る、って」
「ただひとりの、友達のことも、分からないのよ?」




 彼女がもっとも求めていたのは、【心を通わせられる相手】【居場所】でした。




 それだけならまだ、よくあるシーンなのですが、筆者にとって何よりも辛くなったのは
「これまで」も含めて「すべて筆者と重なった上で、この告白をした」
ということでした。


 急に自語りですが、筆者は比較的影響力のある人だと思っています (次の空白まで自語りです)。もし無いのだったら、今までの活動でここまで反応貰えていないし、最近は某所で匿名で反応貰いまくってニコられまくっていますし (今度この話もしたいな)。あるという事にしてください。そして集団にもよく飛び込み、色々とコミュニケーションを取っていたりします。
 また、必ず他者の意見を認めます。筆者は多様な意見があることこそ重要と思っており、合わない意見も拒絶ではなくまずは許容から入ります。
 そして、同時にひとりです。どの集団でもそこそこ仲良くこそなりますが、必ずといっていい程に単独行動になってしまいます。自分からはソロ行動を善しとしている辺りも含めて。
 数少ない友人の決心する現場に居合わせることがない、外野がちなところもです。相手の本心を知らなかったことの裏付けともいえます。
 そのツラさを決して表に出さない、必ず何か別の理由のウラに置く、それを誰かに気付いて欲しい、それに気付かれたことはない、そして既に何度も失敗したことがあるからこそ本心の曝け出さない。

 ありとあらゆるシーンで「自分だったらこうする」といった行動をランジュは実際にやっていて、考え方まで一致していて。
ここまで「行動原理が一致した」キャラクターはアニメの鐘嵐珠が初めてでした。最早すこし共感性羞恥まで現われる可能性までありました。

 だからこそ、この一連のシーンはツラく感じました。しかも、ミアちゃんの渾身の一曲に対しても
「そうじゃないんだって……!いや、確かにそうなんだけど、そうじゃないんだって……」
という、アニメ全体を観ているならどう考えてもズレた感想まで出てきました。本当に良い曲なんですけどもね。

 このような心情がある前提でみていくと、2期9話 のあらゆるシーンもちがった見え方になるはずです。

 「スクールアイドルをやり切ったけど、同好会はそれ以上だった」
といったランジュの台詞 (概略) も、実力以上に同好会が「ソロ活動だけど、仲間でライバル」だったことを様々な意味で思い知らされたことを意味しているような言い方になります。もっと言えば、ランジュはここにも「居場所がない」と感じて帰国を決意したのでしょう。
 ミアの「決めつけないで欲しい」といった台詞が、「実力が及ばなかった」といった意味でランジュを汲み取ったが故のものだった辺りのすれ違いもまた悲しかったです。
 「最高の一曲」を交えた提案も、ランジュは「いいわ」と承諾しましたが、その一曲が本心を満たすものでは決してないという前提があるといえるので、ランジュは ”仮に、本当に最高の一曲が来たとしても" ミアの楽曲を一蹴していたでしょう。筆者もそうします。必要なのは、曲ではありません。

 ランしおが話しかけるタイミングで被ったシーンも、息が合うという意味では相性の良さが窺えますが、それによる気まずさや空気感でツラさが一層増します。
 「スクールアイドルに憧れていたこと、ランジュに黙っていてごめんなさい」
といった謝罪にランジュが驚いたのも、謝るのはそれに気づけなかったランジュの方だと思い込んでいたが故のものでしょう。これに対して栞子が「怒っていませんよね……?」と訊いたことから2人の距離感が見えてしまいツラく、返しも「怒ってなんかいないわ、ただ……」と口を紡いで目を逸らすランジュがあまりにもツラいです。決して本心の言えない彼女と自分がまた重なってしまった瞬間でもありました。
 そもそも、唯一の友人にすら本心を打ち明けられないこと自体が、本当に悲しく、淋しいものでした。


 ここで、彼女の2つの台詞を取り上げます。

スクールアイドルをやる為に、香港から短期留学で、虹ヶ咲学園に来たの!
私自身を証明する為にね


 『スクールアイドル』とは、観客とアイドルとの関係の上で成立しています。それはランジュも熟知しており、また作中でも特に璃奈ちゃんを介して言及されています (彼女も、会場のみんなとツナガリたい!と言っていますね) 。
 ランジュにとって、スクールアイドルとは
「数少ない、他人と心を通わせられる瞬間に立ち会える機会」
といった意味も含まれていたのかも知れません。
 そして、そのスクールアイドルになるといった行動こそ、
「心を通わせられる相手や、居場所が欲しい!」
という本心が最も表れたものだといえるのではないでしょうか。

 "私自身の証明" も、
「鐘嵐珠というスクールアイドルが最高であるという証明」
という意味だけではなかったのでしょう。

「私がここにいる、居場所があるという証明」

 こう捉えると、彼女の行動や思考は本当に一貫しています。同時に、それのみが拠所となりかけていた彼女の窮地にも見えます。

 

 他のシーンも、「友達になって欲しい、しかし自分からは言えないし、言っても居なくなるだけ」というランジュの心情を前提に、見返してみてください。"慣れている" 彼女だからこそ全ての行動、言動は先を、"ひとりである" 未来を見据えているものに見えるハズです。



3. 「ここにいるみんなが、誰のために来たと思っているんだ」

 ここまで、彼女の孤独について触れていきましたが、それを経たこと、同好会、栞子、そしてミアにより、ランジュには仲間ができました。
「ここにいるみんなが、誰のために来たと思っているんだ」
「もう一度、ここから始めませんか……?」
「ボクたちはもうビジネスパートナーじゃない。これからよろしく、ライバルさん」

 単なる言葉だけではなく、純粋な気持ちを伴っての行動がもたらした結果の数々。そして、本心を曝け出したことによる氷解、気付き。大団円。

 少なくとも、これでランジュはやっと始められたのだと思います。

 もしかしたら、鐘嵐珠にとって本心もまだ表面しか出せていない可能性はあります (過去の経験からまだ無意識で信用できていない、筆者もそれ※)。しかし、今まではその表面すら出せなかったのだと思います。その意味では、友達と、やっと友達らしいことが出来たように見えます。



4. 筆者より

 彼女は救われました。
 筆者は、そのような 2期9話に、このような言葉をかけようと思いました。

















 ここまでが、彼女の物語でした。
 正直、ここまででも筆者が Twitter で大変な感情になっていた理由の大半は説明できています。というか、結論だけ言えば「自分と何もかも重なりまくっていた鐘嵐珠が、最後に完璧な大団円を果たして感謝以上の何かになっていた」ですし。

 しかし筆者自身の話をしますと。
 今後、決して筆者は救われなくなる、といった事実も突きつけられたな。
 といった感情がすこし後から襲いかかったりしました。

 というのも、重なったからこそ、もう同じ結末を人生では辿れないと思うんですよね。
 もし、この記事やあの話を観た人が自分に対してほとんど同じコトをすることで友達になろうとしてきます。その人を信用できるでしょうか。

 2期9話が「100点」だからこそ起きてしまった、可笑しな悲劇です。
 この話が良かったからこそ、人生でそれ以上が起きないと悟っています。作品というのは、現実よりも理想であると誰もが理解しているハズですから。

 また、それを裏付けるように、少なくとも筆者の Twitter タイムラインや拡散されたツイートに、筆者と近い感情を持っていた方は "ひとりもいませんでした" 。
 なんとも皮肉な話ですね。「ひとりの子も、ひとりじゃない」と示した回で、自分はひとりであると再認識してしまうなんて。
 この感情を共有できそうな人、同じ感想を抱いていた人、本当にいませんでした。ミアちゃん回 (またはりなミア) でもあったからというのもありましたが、何なら R3BIRTH組、ランしお、ランミア回でもありましたが、ランジュに対する感想ツイートも何処か他人事のように思えるものばかり流れてきました。実際に他人なので、それはそうなのですが。



 鐘嵐珠という、別時空の自分のような人が救われたので、自分は自分のように喜び、そして感謝しました。
 同時に、自分は決して救われないと、再認識したりしました。






 あなたも、友達は大事にしましょうね。










5. 追伸


・その1

 見返した時に思い出したんですけど、 2期2話 でエマちゃんが「ランジュちゃんは本当にひとりでやりたいの?」「ランジュちゃんを見ていたら、本当のことを言ってないんじゃないかって思えたんだ」って言ってましたね。核心を突いてないか?あとQU4RTZ組の他 3人は近い気持ちになっていたり、かすみんが一生違和感抱いていたりしたのは解釈一致。
 訊き方と時期がよくなかったんだろうなと思ってます。接点が乏しかった時期にあの訊き方で友達になれるかというと、なれるケースの方が少ないだろうなと。同好会への勧誘じゃなくて、入らなくてもいいから友達になりませんか?だったりしたら、もう少し未来が早まってそう。ミア、栞子加入などの順序がありましたね駄目でした。


・その2

 ランジュほんとそういうところだってば (既視感)。
 2期10話のシーンなんですが、「誰かと一緒に写真が撮れずにモヤモヤしている」ランジュが暫くずっと描かれているの、本当にカナシミの解釈一致です。というか、"本心もまだ表面しか出せていない" "やっと始められた" からこそ描かれたシーンですよ、これ。「え?あの話の後にこれで悩むの?」という感想もあるかもしれない。「あの話の後だからだよ!!!てか、いつもこれだよ;;」って返しておきます。あるあるといえば、あるあるなんですけども。
 ともあれ、ランジュみたいな娘を描くにあたっての制作陣に対する信用がまた厚くなってしまいました。



※ 唯一、この話で近い感情を持っていた知り合いが筆者にひとりだけいた (これが救い?) んだけど、その人との話で出た話だったりします (9話一連の流れで本心すべて曝け出せるのか?みたいなニュアンスでした) 。そこ無意識だったけど確かに曝け出していないわ過去の自分、ってなりました。元気にしてるやろか。


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