あるゲーム内ギルドのコミュニティの維持について

数年前にあるゲーム内ギルドを作ったときは学生メンバーが多かった。それが社会人が増えるようになり、その中でどうやってコミュニティとして存続させていくのかを考えた時の思考整理用メモと方針案。


【これまでの分析】
①昨年、一昨年とかわって、みんなが同じ時間に集まって遊ぶということがなくなってきている。また遊んでいるゲームも統一性がなくなってバラバラになってきている。
②なぜか?を考えれば、学生から社会人というように立場が変わってきていることがあると思う。社会人になれば社会に対する責任も問われるし、ゲームに費やす時間や姿勢に変化が生まれることは当然。
③これからを考えれば、より一つのゲームをみんなで固まって遊ぶというのは、このメンバーだと難しくなっていって当然なんだろうな。数年後には家庭をもつ人も生まれてくるんだろう、そうしたら現実世界で問われる責任が大きくなり、それが大きくなればなるほど、気軽に時間を忘れてゲームを、とはいかなくなるだろう。いま社会人になって気軽に集まるっていうことができなくなっていっていること自体が、その大きな流れの一部分ともいえる。
このことは一人の学生が社会人へ成長していく過程ともいえるし、それは環境に応じてうまれていっているものともいえると思う。
④だが、周りの環境や自分自身の段階はバラバラ。その成長も人によって差が生まれて当然だ。

まとめると、
①社会的な責任が問われて自然と浮上できなくなる人
②社会的責任は一定負っているけれど時間を作り出して遊べる人
③まだそんなに責任を負うことなく遊べる人
というように、時間の経過とともに分化していくんだろうな。
これはどの段階にいるからいいとか悪いとかというよりも、必然的に分かれていくものだろう。それも数年単位で変わっていくんだろう。

【評価】
遊ぶゲームが変わることも、遊ぶ時間帯が変わることも、普段的に遊ぶ仲間・人数が変わっていくことも、そもそも気軽に遊べなくなっていくことも、環境が変われば不可避的にうまれていくもの。
このこと自体は普通だし、どちらかといえば人間的自立としてはいいこととも言える。
一方、反対に避けられないのが分散化にともなった「人間関係の希薄化」としてある。
長期的なつながりを残していくことを考えるのであれば、環境が変わっていくことを前提として、この希薄化をどうするのか、を考える必要がある。

まあ、とはいえ、これもtwitterをはじめとしたSNSでだいぶ補うことはできる。
それにそれでおおむね十分というのがいまの現状だろう。

ただ時々聞く「たまには集まって遊びたい」という声がある。


【方針=concept】
そこで
①共通のゲームで遊ぶことを前提としたつながりから、生活をより大事に、生活に関心を寄せあう関係になればいいんじゃないか。これは「なればいいんじゃないか」といってはいるけど、実際の現状がこうなんじゃないか?
いわば、中学や高校の同窓会じゃないけれど、そんなイメージ。同窓会の中で何をやるのかはその時次第。雑談になるときもあればボードゲームなんかになるときもある、それは自由。半年に一回、一年に一回くらいで遊べる場所を設けられたらいいのかな。
ゲームやるときだけ参加、雑談だけ参加、ど自由、全部自由。

②もう一つ、これはやってみたいなと思ったこと。
みんなが同じ時間にうまく集まれないのであれば、それを前提にして、なにか一つのことをたのしむことはできないのか?と思ったときに、
「Minecraftでrealmsを買ってワールドをつくって、そこにみんなが集まって、互いが好きな時間にログインして、好きな時に世界を発展させていけたら楽しそう。」と思った。
もちろんマイクラに対する熱もあがるときがあればさがるときもある。
ログイン率や浮上率は不均等がうまれるだろうという予測はつく。
だからrealm。スタンスとして、あくまで一つのワールドをつくっておくから、遊びたい人が遊びときに用に。
というイメージ。みんなで一つのワールドを発展(建築とか)させていくイメージ。


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色々かいたけど、ようするに、

1,たまにはあつまろう
2.みんなでマイクラしない?

ってこと。

もう5年目になるけれど、一つのゲーム内ギルドから生まれたつながりを大事にしたいなと思ってからこんなことを考えるようになった。

というだけのメモ。

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