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夫が夜泣きの孤独に泣いた

普段泣かない夫が夜泣きの孤独に泣いた、不甲斐ない妻でごめん。というお話。


私の夫は理性的であろうとする。いつもいつだって。
お付き合いを始める時に私が男性不信になる経緯を告げたときは、私のことを思って憤り、目に涙を浮かべてくれた。
結婚式の時、娘をよろしくお願いしますと頭を下げた私の母が途中涙で喉を詰まらせ最後まで言い切れなかったのを見て目を真っ赤にしていた。
2018年夏。分娩台の上で呆然とする私の傍らでありがとうありがとう、とそれだけを繰り返してやはり目を真っ赤にしていた。この時ばかりは堪えきれずに涙が零れたと言っていた。


涙もろい人であるのに、涙を零すことを滅多にしなかった。
泣けば良いのにと言えば自分が泣くような資格はないからと困ったように笑う。
アニメやドラマでさえぐっ、と嗚咽を飲み込むような人。


言葉を荒げるようなこともまた、滅多にない。
冗談やネタで乱暴な口調になるが、明らかにネタであると分かる。
有名な芸人さんのネタをなぞるように使うのでネタじゃないと思う方が難しい。


結婚して以来、私は何度も彼に腹を立ててきた。
夕飯を作って待っていたのに連絡もなしに食べて帰って来た時。
誕生日に何が欲しい?と聞いてきてくれたからきちんとリクエストしたのに何もなかった時。
妊娠中お腹が大きくなって洗濯機(縦型)の中のものを拾えないから手伝ってと何度も言ったのに何もしてくれなかった時。
ああいけないこれではただの夫への愚痴になる。
とにかく私は赤の他人が家族になるのに必要な通過儀礼のような喧嘩をそれなりに繰り広げてきた。

ところがこの喧嘩はたいてい独り相撲だった。
常に理性的であろうとする夫は、私の不満をうんうんと頷いて聞いてくれていた。
黙って聞いて、さらに黙り、そして長く考えてから自分(夫)が改めなければいけないところを言った。
それでおしまい。私への不満もあるだろうに、言わないのだ。

多分夫の思考としてはこうだ。
“料理も洗濯も掃除もほとんどしてくれている妻に文句を言うべきではない”
彼が唯一私のすることに口を出したのは米の炊き方である。
私は硬く炊き上げるのが好きなのだが、夫は柔らかいご飯が好きだったのでもう少し柔らかく炊いてくれとのこと。
以降私は炊飯器の目安の水分量より多めに水をいれるようになった。


私の母も父も姉も、友人達も夫のことを知る人は皆「優しい」と評価する。
勿論私もそう思っている。優しい人だ、それは否定しない。
でも喧嘩になっても何も言わない夫のことを、私はなんだか寂しく思っていた。
どれだけ腹を立てたって悲しくて泣いたって、夫はいつも黙って聞いている。
彼には彼の思うところがある筈なのに。

“それ”は優しさか?

彼と喧嘩になるたびにこの考えが頭をよぎる。
二人でいる筈なのに一人ぼっちの感覚だった。
家族になるために向き合おうとしているのは私だけなのではとずっと不安だった。
優しさではない、無関心なのだと思えたから。

先日、娘が久々の派手な夜泣きをした。
連休中から夜泣きはしていたがこの時は別格だった。
夜中の二時にギャン泣きで目覚め、結局それからずっと泣いて落ち着いてを繰り返して再び夜を迎えたのだ。

抱っこしてあやしても効果のない娘を泣き止ませるのはいつも音楽の鳴るおもちゃたち。
がしかし連休でずっと家にいて見飽きていたのかもしれない、どれもこれも娘の涙を止めることはできなかった。
タイミングの悪いことに私はその夜ひどい頭痛と吐き気がして鎮痛剤を服用していた。
そのため眠気がひどく、起きねばと思っているのに体が動かなかった。
ひどいと思いつつも夫に押し付けた。幸い夫は了承してくれた。

薬のせいですぐに意識が沈み、次に気づくと2時間ほど経過していた。
しまった寝すぎた!と慌てて覚醒するとギャン泣きしている娘を抱えた夫が寝室に入って来たところだった。
ベッドの上に娘を横たえた彼は珍しくも疲労困憊といった様相。
「ごめん、寝ない」と呟いた彼が憔悴しきっていたので私の意識はさらにはっきりした。
慌てて娘を抱えて寝室を飛び出した。


いつも理性的であろうとする彼があんな風に暗い顔をするのは珍しかった。
しまった、やってしまった。私は焦っていた。

夜中泣き止まない子どもと二人きりになる孤独さを知っていた筈なのに。
眠気に負けて彼一人に押し付けてしまった罪悪感が湧いた。
車に乗せて山道を延々と走って少し寝た娘は、そのあと結局ギャン泣きとうとうとを繰り返した。

生まれてから今までで最悪の夜泣きの夜から二日後の晩、寝かしつけた娘を寝室に残して歯磨きをしていた私は夫がぽつりと呟いた内容に驚いた。

「流石に泣いたよね」と。彼は言った。


当然と言えば当然である。
泣き止まない娘と深夜二人きり。
妻は薬のせいでぐーぐー寝ていて助けてくれない(ごめん)


泣いたということを自分から私に告げるのはとてもとても珍しかった。いや初めてのことかもしれない。
つまりそれだけ彼が心を痛めた証拠なのだった。

彼を孤独にした申し訳なさと後ろめたさと、ほんの少しの安堵。
彼も愛する娘に対してなんで泣き止まないんだろうと肩を落とすことがあるのだ。
私が産後鬱で不安定だった時期に同じようなことがあった時、彼はこんな風に気持ちを打ち明けてはくれなかった。
今話してくれたのは私がその時よりも回復しているから。それだけだろうか。

違うといいな、と思った。
彼が以前よりも私を、家族として傍に置いたからだと思いたかった。
夜娘と二人きりにしてごめんね、孤独だったねと言うと彼は困ったような顔をして笑った。

「分かってもらえるだけでもう、十分です」

分かる。その気持ち分かるよ。
愛する娘と一緒なのにつらいとはこれ如何にって気持ち。
実際子どもと過ごしてみて楽しいとかキレイなことばっかりじゃないって突きつけられたけど大々的に言うのはちょっと…非難されそうで言えないわ。みたいなあの気持ち。
それを分かる分かるって頷いて共感してもらえた時のあのふっと肩の荷がおりた感覚。

旦那も今そんな感じなんだろうなあと思って思わず肩を抱き寄せた。一人で戦わせたことを詫びる。

「いつもありがとう、不甲斐なくてごめん」
そんな私に夫は謝らなくていいと笑った。

ゆっくりすぎて日々の成長がなかなか実感できない娘のことで、私達はお互いに悩んでいる。
お互い様だと分かっていた。でも分かっていなかった。
夫はいつだって冷静で、私みたいに取り乱したりしない。
夜中に娘と二人きりで、孤独だと一人ぼっちなのだと無力感で泣く人なのだとは分かっていなかった。

喧嘩をしていても独り相撲だと思っていた。
多分これからも夫が私にあからさまに不満をぶつけることは滅多にないだろう。
でもそんな態度にやきもきする必要はないのかもしれない。

だって夫は本当に我慢できなくなったら泣いて、それを私に教えてくれるようになったからだ。
これがつらかったんだよと、時間を置いてでも話してくれるようになった。

喧々諤々とやりあえるような夫婦になるべきだと思い込んでいたけれど、
夫にとってはこれが家族になるための向き合い方なんだな。
私は勝手に一人で「喧嘩しつつも話し合い、方向性を確かめたい」と突っ走っていた。


旦那が実は泣いたんだと教えてくれたその日の夜、なんだか急に腑に落ちた。
私は一人ぼっちなんかじゃなくて
旦那を置いて一人でずんずん目的もなく歩き始めていただけなのかもしれない。

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