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頭に虹がかかっていない。そんな娘のこと

義実家に娘を連れて遊びに行ったある日のこと。
義母から娘を一度大きな病院で診てもらったら、と言われた。
生後半年ほど経ったその頃、娘はまだ首すわりもしていなかった。
哺乳瓶でミルクを上げる時に抱っこするのは怒らないが、泣いているからと抱き上げると息を止めて怒った。
チアノーゼが出るほどに泣き暴れるので、泣き始めても寝かせたままお腹のあたりをとんとんしてやるしか術がない。
義母はそれを心配したようだった。
憤怒痙攣というそれ自体は、ネットで見ると稀にだがあることのようだから、と言ったけれども彼女は納得しなかった。
義母は保健士であり、子どもをたくさん見ているけれど娘のような子は見たことがないそうだ。

首すわりも完全にはすわっていないけれどもあともう少し、といった段階で体重の増えも順調であった。
けれど
目が合わないし、おもちゃを握れない。
目の前をがらがらが行ったり来たりしていても、追視をしない。
日中はミルクの時間以外は寝てばかりで、夕方ごろに覚醒して朝方まで泣き叫んでいる。
身長と体重は成長曲線の平均内だが、頭囲だけは平均を下回り始めている。
自治体の生後3ヵ月健診や6ヵ月健診で他の子と様子が違うことには、本当は私も気づいていた。

でもそれを誰かに指摘されると恐ろしかった。
認めてしまったら終わりだと思った。
旦那も義母に「心配しすぎだ」と言っていたからきっと同じ気持ちだったのだろう。


生まれてくる娘のことを思ってお腹が大きい時に買いそろえた赤ちゃん用のおもちゃは、インテリアと化していた。
娘の小さな手が握る筈だったがらがらも、音の出る布絵本も、頭の上でくるくる回るメリー(これは旦那の姉のお子達からのおさがりだ)もなにもかもが持ち主に触れてもらえるのを待っているのに。


義母に言われてから数日、旦那に病院の予約をお願いした。
何もないなら何もないでいいじゃないか。はっきりさせよう、と二人で決断した。
県内で唯一の子どものリハビリ病院は非常に予約が込み合っており、半年待ちだと返答があった。
待てと言うのなら、待ちましょう。
だが何の幸運か予約に空きが出たので当初の段階よりもずっと早く診てもらえることになった。
生後8ヵ月になった娘と、実母と義母と旦那と私の5人で病院に行った。

総合受付を済ませて、小児神経科の受付で改めて問診票を書いた。
そこにはむなしい問答が続いていた。
首は座りましたか、あやすと笑いますか、追視はしますか、音に反応しますか、寝返りはいつしましたか……どれにも丸をつけられない親の気持ちを少しは考えてくれよ!と待合室で盛大にやさぐれた。
憤怒痙攣のことを備考欄に書いて受付に提出した私の目はきっと真っ赤だった筈だ。
小児神経の待合室は新生児のような赤ちゃんから中高生までたくさんの子どもが自分の順番を待っていた。
娘と同じような子は、一人もいないように見えた。
元気に飛び跳ねる子どもたちを直視できない自分が恥ずかしくて消えたかった。

やがて順番が来て大所帯で診察室へと入った。
娘はすぐにCTをとることになり、結果はすぐに出た。
パソコンのモニターにうつる娘の頭部CTを、医師がペンで示した。

「娘さんには脳梁がないようです。脳梁欠損といいます」

私は事ここに至ってもまだ「何も問題ない、心配しないで」と言われるのを期待していたことを自覚した。
だから先生の言葉の意味を理解するのが遅れたし、旦那が掠れた声で「脳梁ってなんですか」と聞くのも夢の世界で起きたことのように遠かった。

「右脳と左脳を繋ぐのが脳梁です、連絡手段のような、架け橋のようなものです」
「なくても大丈夫なんですか」
「脳梁欠損の方は結構いらっしゃるんですよ。問題なく育つ方もいらっしゃいます」

頭がぼーっとしているうちに、先生と旦那の会話が進む。
私の肩に手を置いてくれたのは母だった。
励ますつもりか母も何かに縋りたかったのかは、分からない。

「娘さんは発達の遅れが目立つし、理学療法の必要があります。外部からの刺激をたくさん与えてフォローしましょう。午後から理学療法士の評価を受けてください」

普通はこの理学療法士の評価を受けるにはまた別の日に予約をとるのだそうだ。
しかし娘の現状、一日でも早く始めた方が良いとのことで特別に枠をとってくれたようであった。
理学療法を受ければいつか娘は“普通”になるのだろうか?
答えを聞くのが怖くて、声にはならなかった。


病院からの帰りの車内、初めて娘を腕に抱いたあの幸せな瞬間を思い出していた。
2,800グラムの小さな生まれたての赤ちゃん。
黒目しか見えていなくて宇宙人みたいなのに、世界で一番可愛いと確信したあの瞬間。

この小さな命を私が守り育てていくんだ、と使命を背負ったあの日。
いつか娘と手を繋いで歩くことを信じて疑っていなかった。
そんな日が来ないかもしれないだなんて、考えもしなかった。
脳梁欠損という言葉を知ったあの日、私は確かに絶望の中にいた。


娘は現在1歳9ヵ月。
相変わらず寝たきりである。
理学療法のおかげで寝返りをマスターし、ずりばいにも挑戦中である。
抱っこへの抵抗はやや薄まり、憤怒痙攣も随分と減った。
目が合い、名前を呼ぶとにやっとする。
抱っこするとマスクをはぎ取るようになった。
メリーは娘に乱暴に引っ張りまわされたために十数年に及ぶ役目を終えた。
がらがらを握らせると歯固めかのようにかぶりついている。
おもちゃたちは傷が増えたり壊れたりしたけれど、待ち望んだ出番に喜んでいるのだろうかそれとも壊されやしないかと怯えているのだろうか…。

壊れたメリーを片付けた私と旦那は、喜んでいたことを書き添えておく。
絶望の中にだって喜びはあるのだ。

いただいたサポートは、車で往復4時間弱のところにある娘の病院に通う際のガソリン代や駐車場代に使わせていただきたく思います