02. わかり下手は考え下手で話し下手で聞き下手

よ。人として強くなるために、ものの考え方を日々悔い改めろ
的なことをテーマにした哲学というより、全事象を分析する学問と詳細かしたほうがいいような話をつらつら並べるおはなし。
シリーズ 真実を疑う 前回は2019年8月の投稿でした。

結構閲覧者数多くてどうもどうもって思ってたんだけどね、
あれからだいぶ時間が経ったね。 めんどくさくなったの?
…半分そう。(正直ぃ!!

いやこの記事ね、書くのにものすごく時間がかかったんすよ前回。
それで、めんどくさくなった。 あ、はい。しょうじきだね。
でもそろそろ続き書こうかなと思ったので。かきます。

ただ、やっぱり初回が難しすぎたの。
でね、カジュアルにゆるーく短く書いていこうと思ったの。
全部合わせればすごい話になるーみたいな。
あの、デア○ゴスティーニとかアシ○ェットみたいなやつみたいな。

だけどね、この文章書かなかった理由もう半分がね、ここであるんだよね。
…凄まじく執筆難易度が高くてどこから書けばいいのかわかんなかった。

本当は今回、別の話を書こうと思ってたの!
ていうか何回も別の話を書こうと思ったの!
でも全部途中で筆が止まっちゃいました。
そんな下書きが何十本もあるよ。

一応小出しすると

・低きに流れないために頭に叩き込みたいよねーって観点
意識高いんじゃねぇ俺は普通だてめーが意識クソ低いだけだろを中心に
色々現代のあたまのわるさを正当化してるだけの集団心理バイアスぶった斬るよ。

・自分で生み出してないものを肩書きに使うのってどうなんだろ。
マーケティングにおけるキャッチフレーズは重要、
ただの消費者がえりまきとかげやってるだけの場合は…?
自他両面から見たメリットとデメリットについてつらつらまとめるよ。

・熱狂には消費的価値はあれど生産面での価値は0だよねって話。
アレやりたい、コレやりたい、できるようになるため何をすればいいのかという観点の獲得は、
思った以上に自分の熱狂からかなり外れた場所にまで広がっていて…まぁ、プロって大変だね。
今はその外れた場所までカバーしなくてもまかり通る側面もあるけど、
雇用事情のコンパクト化、効率化が進んでる以上、どんどん通用しなくなるだろうし、
なんとかしないとねって話をするよ。
むずかしそうだね。

・お金に対する考え方ってどうしたらいいと思う?
浪費?投資?こういう時金持ち父さん〜とかが出てくるけど、ちょっとその脇を掠めるおはなし。
実際ものの考え方がお金の使い方に繋がってこう誘導される〜みたいなことをお話しするよ。
ものすごくむずかしそうだね。

とまぁ、、書けるっちゃ書けるんだけどね、
書くのが難しいってのは知識としての難易度が高いというのも若干あるけど(若干と言ってる時点でそういう意味でも察してくれ

各内容の難易度を徐々に上げていく形でないとダメなんだけど、
どこから書いてもまとめの部分がだいぶ難しくなる。

つまりまぁ、なんだ。読めない文章にしたくないなーと思ってたら
どこから手をつけていいかわかんねぇ。
正直今の時点でも今回の記事が順番として
最適化できてるかはわからんけどまぁある程度は〜とは思う。

というわけで、マイルド〜なお話を今回はやっていきます。
真実を疑う 第2回〜。

まぁ第1回で、別に話し上手だからと言って確実に聞き上手になるとも言い切れんよみたいなこと言ったけど。
アレは○○会話術とかそういうマニュアルテンプレート化された内容で、
とても便利なんだけど、今はその一歩先の話をしたいなってはなし。

マニュアルは、理論に則り存在する。
その理論を吸収し切って、自由自在に扱えてこそ
マニュアルは真価を発揮するんじゃないかしら。
言ってみればそんなことを話すんだけど、そちら側の
ふわっとした角度からの話はせずに、
紙一重の逆位相というか、もっとディープでストレートというか、
多様性とか個人の自由とかそういうことを言い出す人に
いやそれ学習放棄の棚上げでしょって一蹴するノリでまとめます。
第一回からそうだけどね。

今回は3段階に分けていきます。

・知識の受け止め方が杜撰であるほど、心象や行動の全てが杜撰になる
・わかった!=理解したは論外
・無努力に獲得した知識や意見ほど当てにならないものはない

というわけで、

・知識の受け止め方が杜撰であるほど、心象や行動の全てが杜撰になる

これ手短に例をまとめると、一つのことに対して、
こういう捉え方があるね、あぁでもこういう見方もあるね、と掘り下げる癖(以下だるいので多角的分析と書きます)がついてないと、
いざ意見を出すときに多角的分析を欠いたいい加減な言葉が無抵抗に口から出てしまうというか、止めようがなく出てしまうというやつね。

例えばどのSNSでとは言わないけど、コンテンツの運営に対して
あれこれリプ吊り下げて物申す光景ってよくあるけど、

サービス業である
ってことを理解していれば、全く同じ内容の意見でも、
こうなるといいなぁはあったとしても、
なんでこうしないんだよ!とはならんだろってはなし。

さて、ここでいつも通りのおことわりが入りますが、
「いや、なるわ」とか「消費者の権利だろ」とか思った方は
ここから先の話は解読不可なのでブラウザバックでお願いします。

サービス業の厳しさにしてもサイクルにしても
何一つ理解してないことすら理解してない状況にあるというか。
まぁ、アレだ。接客業のお仕事やったらわかるんじゃないかしら。

まぁ、そういうと、公式ツイ○トについても、サービス業ゆえに、
そのツ○ートにリプライを送ったところで
各種お察しくださいな事情にもとづき、
そのだいたいはお察しくださいだよね。

ブラウザバックせずここまで読んでるみなさんは
たぶんお察しかと思いますということで。びじねすにこにこ。

と、このはなし聞いて、発言する前に言葉を一度飲み込むってワードが脳裏をよぎった方がいれば頭キレてるねーって話なんだけどね。

問題の本質は
飲み込む必要がある程精度が低いイメージが脳裏に想起されてしまう事と、
精度の低さを知覚できない事でしょうよ。

どうすれば飲み込む必要ない鋭い意見を
一発でバシーっと出せるようになるかを考えないと
なんにも話が進まないよね。

そこで例えばその多角的分析ってやつですよ。
こいつが骨の髄まで染み付いていればそれだけでも、
自分の考えの精度が低い可能性を抜かりなく疑いにかけられる土台が仕上がるはずですけどね。どうなんすかね。

言葉を飲み込むってのは、そこまでのエゴをコントロールできる
エスを持ち合わせていれば、実現できるけど、
そーも強い意志を持った方はなかなかいないよねというのと、
結果そのやり方は臭いものにフタになってしまうから合理的じゃないよね
って持っていき方もできます。

まぁなんだ。発言飲み込むのやめよ? 全部吐き出そう。 間違ってることも。
ほいで全力で内省的(あ、2021春M3の1曲目)になればいいと思うんだ要は。 もったいないよ。


この多角的分析の重要性を前提に話を進めるとね、

一つの知識に対して、ふーん、なるほど!わかった!までいったとき、
一つの吸収できた知識に対して一つの見方を獲得できた段階、
それ以上でもそれ以下でもないですよね。

うん、つまりはまだ多角的分析は一切行われていない状況下なんですよ。

・わかった=理解 は論外

これがどういうことかを一文でまとめると

知識に対しては解釈が必ず伴うはずですが(伴わなければただの暗記だね)
一つの知識に対しての二つ目以降の解釈を獲得するとき、
それは一つ目の解釈の時に生まれた感動とはまた異なる感動が
往々にして生まれうるものであり、
その知識群に対する解釈が確立される行程で
その全ての理解に付随する感動が、「わかった」だけで収束することは極めて現実的ではない。

安定して最初に言ってることが難しいので噛み砕きます。

例えば技術を獲得したときは一つの使い方しか知りませんよね。
ですが、その技術を知って以降、色々経験を積んでいく中で、
あ!あの技術ここで応用できるじゃん!って瞬間があるはずです。

などなど、つまり、一つの知識に対する2回目以降の理解のアプローチは
閃いた! びっくりした! など、わかった以外のさまざまなパターンがあるはずなんですよ。

つまりなんだ、吸収した知識が、隅から隅まで全部わかった以外の感動がないってことは、同じ知識に対する2回目以降のアプローチ含めて、閃きも驚愕も一切ないことになります。

のめり込んで学習していれば、そんなのありえませんね。
どれだけマニュアルが完璧になってもそれはありえません。

ここから、マニュアルを絶対視するな!
マニュアルは裏の裏まで読め!って話もできるけどね。
もひとつ。 ちょっと話が逸れるけど、ここからさらに踏み越えていうと、
そもそも論理的に完全解決している知識であればいいけど、
まだアップデートされうる知識に対して理解したわっていうのは、
極端なこと言ってしまえば避けたい話なのかもしれないね。
数学理解したわ! →じゃあ未解決問題全部解けるんだな!?
なんてなりかねな  極端すぎるわ

まぁ、知識なんてカテゴリによっては理解しても終わりがあるかもわからん分野もあるので、
どこまで理解するかが重要ってより、理解した気になってないかが重要ってことっすね。
まぁ、上の記述から推移して、わかったで終わりだと
そもそも、ほんとうにわかってんのか?っていう考察が
一切施されてないので、多分確実に理解した気になってるだけですね。
掘り下げるとここが抜けてた! とか言われてみれば確かに!とか
そういうのがボコボコ出てくるでしょ?
その感動は無理解故に生まれる感動ですよね。はい。

正直どこまで解析できていれば理解とするかは多分個人差だと思います。
裏の裏の裏の裏の裏の〜〜まで理解しに行くってなると、
禅問答レベルの話になりますね そこまでやれとは別に全く思いません。
むしろうるせぇよなんだよ意識高い系かよっておもうやつ。

ただただ純粋に、わかった!で満足する人は、
理解度が0%ではないことに重きを置きがちだけど、

理解において本当に重要なのは、100%を目指すことのはずだよ。
でないと痛い目にあうぞ。
(知識の受け止め方が杜撰であるほど、心象や行動の全てが杜撰になるって上でいったけどこれってつまりどういうことかわかってんなってこと)

はいな。ここまで話を持っていけば、最後の3つめの話に到達しますね。
むしろブリッジしすぎだよ何重結合だよってぐらいだけど。

・無努力に獲得した知識や意見ほど当てにならないものはない

ほんとは今回この話だけを単独でやろうと思ってたんだ。
無理ですわww

はい。たとえば発言。 発言には理解が伴いますよね。
ここで考えて欲しいのが、発言と理解を結びつけた時に
必ずこの4つのカテゴリのどれかに分類されることになります

・理解した上での理解する内容に関する発言
・理解していないことを承知の上での理解してない内容に関する発言
(いわゆるはったり、知ったかぶりなど)
・理解していないことすら理解していないまま理解した気になっての発言
・そもそも知らないし認知もしてない(完全なる無理解)

二番目と三番目は理解度で言えばひっくり返ることもあるので別に、
上の方が理解してるってわけではありません。一応釘をブッスリ。

無努力に獲得した知識や意見ほど当てにならないものはないって主題だけど、
これは4つどれにカテゴライズされると思う?

…答えは一番下以外のどれかです。
一番上ってこともあるの!?って思った方は、
信じるなとは言ってないと気づいてくれれば幸いです。

理解しきっていないがゆえに、発生する目線のズレが
たまに思いもよらなかった発想に結びつき、
面白い意見として繰り出されることもある。
いうてしまえばこれ偶発的かつ局所的ではあるけど
分類で言えば一番上になるよね。

逆に一番上にならなければ、ピントのズレた意見とか面白くない意見とか
いわゆるゲームアプリとかの公式ツイッ○のリp…(おさっしぃぃぃ

まぁ、これ色々な言葉に換言できるんすわ要は。
なんにもわかってないからこそ言いたい放題言えるとか、
言ったところでなんの責任も発生しないからっていうか、
更に何の責任能力もないから(心象や行動の全てがずs…)
言いたい放題言えるとか。ね。

デジタルタトゥーはこわいぞ。

ダブルミーニングでしっちゃかめっちゃかな方の言葉を
どう受け止めるかはあなた次第です。

さてさて、さっき上で知識という言葉を使ってきたけど、
本来この場ではもっと好ましいワードがあるので、
ここからはそっちに置換してすすめますね。まぁ解釈ですけど
無努力に獲得した解釈ほど〜 …察した?ならナイスです。

あ、なんで最初から無努力に獲得した解釈ほど〜って
書いてないの?って思った方は
ぜひ、記事の頭から読み返してください。
なるほどぉぉぉぉ!!!ってなるはず。

はい、これは言ってみれば他者が大した努力もせずに獲得した解釈ベースの他者の意見ですよね。

ところでその知識、(および解釈)にはこういうパターンもあります。
他者は努力しているかもしれないが、自分は大した努力をせず獲得した解釈 およびそれベースの発言。

これは結構細分化できますね。
気が向いたら自分で掘り下げてみてください。
ここではいくつか話しましょ。

まず学校教育で受けた知識は100%これに該当しますね。
その中で自分の中で咀嚼して掘り下げて自分なりの解釈を
二個三個と構築していったものは逆に100%条件から外れます。
純粋な努力して獲得した知識ですね。

なんで学校の勉強しないといけないの?

これ教育で受ける知識のパッケージをちゃんと分析してちゃんと理解したら
学校であろうと関係なくこの言葉は引っ込むはずですね。

まぁ、進学のためなどという社会的合理性に基づく動機(理解を軸に置いた観点で言えばミスリード)もありますけど。

それは動機であり根拠ではないだろ?
みたいな話もそのうちします。

あと学校教育に関連してある意味お約束のボケとツッコミ?で

ボケ「数学なんか何の役にも立たないだろ?」
ツッコミ「おめーが使ってないだけだろ!」

というのもありますけど まぁ割愛しましょ。
(わらったひとはたぶん数字遊び大好きさん)

さて、さっき他者は努力しているかもしれないが、ってわざわざ黒字で書きましたが、
どゆことかってとね。

ざっくり一部影響力あるひとってなるや。

まぁこいつはピックアップしやすい例が偉い人が言ってた!的なアレですわ。

偉い人 まぁ、努力して偉い人になった。それは間違いないですけど、
その偉いポジションへの最適化は、
能力が先行する場合だけでなく、設定が先行する場合もありますよね。

まぁ、有名どころ某16連射の名人、実はとてもゲームが苦手だった〜なんてストーリーあったりしますけど。
結局そのストーリーも実はゲームが上手いんだけど第二の設定作りに〜なのかもわかりません。どのみちどっちかが設定ですよね。働くって大変だな…。

でももし仮にその名人さんの発言が正しいとしたら、今までの数々の伝説やメディア扇動、ある種の社会現象は一体なんだったんだってなりません?

もはや他者がどうだとか自分がどうだとか関係ないんですよねつまりは。
入ってくる情報(には他者がその情報を生み出す努力がある)、
その情報の咀嚼(にはその意味そのまま情報を解析する自身の努力がある)。

その2段階の伝言ゲームにおいて解釈の努力が実現していないと、
結局のところ根拠なき情報の受け入れと
受け入れちゃう=知識の受け止め方が杜撰→心象や行動の全てが杜撰になる

タイトル。わかり下手は考え下手で話し下手で聞き下手。
その杜撰が、根拠なき熱狂を生み出してしまうことになります。

この根拠なき熱狂が何を生み出したか。
…ここからはあなたの知識でご想像ください。

わかったまではいいけど、
わかっていない部分がないか、そもそもわかった内容自体が正しいのか
そういったことまで考えてもいないのに正しいと思い込む。

こうやってわかった気になったことにより。
正しいかどうかわからない解釈が、正しいこと、わかったことになり、
そのわかってないまま口八丁手八丁で拡散される。

それをわからないひとが聞く。
聞いた人がしっかりわかるまでは
あいつのいってることおかしいぞって気付きようがない。

でも、わかった気になった人が生まれてしまうような難しい話である以上、
一人出ればたくさんでてしまうのはやむをえないか。
聞いた人たちの中から、言葉の真偽を最後まで確かめずに飲み込んでしまう方はどうしてもでてしまう。

考え下手な聞き下手が、わかり下手な話し下手の話を聞き。
時にわかり下手な話下手になる。

その積み重ねが大変なことを招くかもしれないもので。

みんながわかり下手な考え下手じゃなかったら、
あんなこともこんなことも起こらなかった。

その自分の杜撰な理解と、
杜撰な理解で解決したことにできてしまう杜撰な判断故に、
杜撰な行動ができてしまい。

その杜撰な行動が、杜撰さ故に認識できないところで、

誰かに危害を加えているのかもしれませんね。

まぁ、結論。 だからこそ。
わかった で理解した気になるのは 論外。
その理解に対する杜撰さが、自分の脳、耳、口をどんどん萎縮させていき、
情報取捨選択に対する努力を怠るようになり
あてにならない畜生みたいな言葉を、自覚することもなく吐くようになる。
その間違った言葉が広がりすぎた時、 災厄が起きる。

わかったをやめて、わかってないかもしれないと考えることが

大事なんだなぁ。

インフォデミックっていつからでてきたんだろ。便利な言葉だね。

この不条理に辛酸を舐めることになった、
あるいは…といった方にこの記事が届いていればいいんだけどな。

では今回はこの辺で〜。

…やっぱながくむずかしくなりますわ。

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