本当の自分なんて、誰も見ちゃいない


小学校高学年の頃、学校から帰ると一番にWindows95の電源をつけて、
インターネットエクスプローラーを開いて、
誰かからレスが来てないかなぁ〜と、いつも使っているBBSをチェックしてた。

「知らない誰かからのコメント」がもらえたときの、あのちょっとした高揚感だったり、
「繋がるはずのない誰か」とコミュニティを通して心を通わせることが出来ることの魅力って、どうしても忘れ難い。

その頃、書き込んでいたのは、
他愛もない日常のことや、中学にあがったらこんなことしたい、って近い将来の夢や、まぁ、恋バナみたいな。
取るに足りないネタであっても、読んでくれるお友達がいたんです。友達っても、会ったことないけど。

それで、最近。
匿名で、インターネットサービス上に投稿をしてみたんだけれども、
まぁ見事に総スカンな訳です。リアクションが、ゼロ。

匿名でも実名であっても、文章を書く時に手は抜きたくないし、
自分で言うのもなんだけど、なかなか頑張って書いていたつもりなんだ。
でも、誰も見てない。誰とも触れ合わない。

「コンテンツが良ければ、どこに書いても、バズります!!!」

って日頃自分でも言ってただけに、
あ、全然あかんやないか、と。

「コンテンツが良くても、誰かがメガホンもって最初に拡散しないと、バズりませんし、読まれません。」
が正解のようです。

インターネット上に文章を書く以上、やっぱりリアクションが欲しい訳です。
リアクションが要らぬのならば、個人日記にでも書いて鍵をかけておけばいい。

リアクションをもらうためには、個人を認知させる必要がある訳です。
昔はHN文化だったから良かったけど、今は実名文化。
実名を認知させなきゃいけない、、けどこれは、超ハードル高い。
何かあったときに、逃げも隠れも出来ないし、
全てが検索にひっかかってしまうし、消えない。

だから、実名で書けることなんてたかが知れてる。

先日友人から

「インターネット上で実名アカウントで、心境だだ漏れさせて、塩谷さんは勇敢だねぇ」

って言われたんだけど、いやいや、思ってることの10分の3くらいしか漏れてないっす。

別の先輩から

「いつも塩谷さんが、悩みとか葛藤をFacebookに投稿してるの見て、若い頃を思い出します!」

って言っていただけるのは嬉し恥ずかしだけど、
もっともっとおぞましい考えがたくさん詰まっているのです、出せてないだけ。
本当の悩みや葛藤なんて、見せモノには出来ないじゃないか。

そうやって、「美味しく食べてもらえそうな部分」だけをトリミングして壇上に上げているわけで、
そこにいるのは実名アカウントであっても、自分ではない。
みかんゼリー(果汁3%)であっても、みかんではない、くらいの成分の違い。

だから、本質を知りたかったら、
会いに行かなきゃいけないし、
笑ったり泣いたり、時間をかけなきゃいけない。
その場合は、一対一じゃないといけない。
生涯で付き合えるお友達の数なんて、10人にも満たないんだろうな。

結局、何を言いたいかって、
インターネットで解決できないことは、
ゴマンとあるんだよってことだ。

そこに見える他人の姿なんて、ほんの一部でしかないってことだ。

みんな、インターネットを通した「ありのままの私」なんてものに、騙されぬように。

(でも、生かされることも多いから、そんな気持ちを、
実名でここに書いてるって矛盾も発生するのです。)

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