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忙しない日々にハナを

皆様お疲れ様です
まだ仕事をしている方もいらっしゃいますね
いつもありがとう

私が伝えたいことはこういう事。
何かしらの可能性を加味して行動していたい。
傲慢に聞こえるかもしれないし、
自分を見事に削っている感覚もある。
でもね、コンビニで飲みたい飲み物を探している時
後ろで見たいなって思っている人がいるなら
私の選ぶ時間を待たせたくない。
みたいな。伝わるかな。

私が後ろで待っている人だったとして
すでに私が見たいコーナーを見ている人がいるなら
ゆっくり見て今日の気分を探って欲しい。
だからと言って、私がゆっくり見ていいよね?とはならなくて。

なんだかすれ違いが沢山あって。

優しさのつもりで動いていたことが
優しさではなくなって
でもその優しさを諦めると
私ではなくなって
その人に寄り添おうとすると
ゴミをポイ捨てしたような感覚に陥る。

無下限、帷、んー、優しさの?それが
一気にパンと弾けるような感覚に陥ります。

優しさで傷つけるなら
優しくありたくない
でも自分の優しくしてあげられるテリトリーは
破りたくない、破るべきではない
他人がより優しいと感じる範囲を
探って生きていきたい。

私は、私1人で生きているわけではないから。

言葉を羅列しているようで、結果な気がする。
結論、ゴールが見えたようで
すごく恐ろしい。

優しさとはゴールがないものだと認識していたのに
強いられることによって一瞬にして
ゴールテープが張られたような。

1人じゃ泣けない。
いなくなりたい。なんて1人じゃそんな理論さえ成り立たない。
なんて残酷なんだろうか。

冷たい語尾ばかり並べやがって。
自分のことなのに人ごとか!
こんな日に限って、自分に優しくなれない。

誰かに優しくされて、噛み締めて
やっと自分を優しく見つめられるのにな。

苦しいです。
でも休めないです。
誰か、休ませてください。

助けて欲しいなんて言えなかったのに
すんなり助けてと言えるほど
そのくらい張り詰めた感覚が

一気に千切れそうで。

怖いです。

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