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母が恋しくなる季節がやってきた

高校卒業後、実家の秋田県から東京に出てきて早5年が経つ。
上京後は年に1回、だいたいお盆。もしくはお正月には帰省していた。
しかしコロナ禍になってからは1度も帰っていないから丸2年は帰っていないことになる。
ちょうどコロナ禍になったあたりで勤めている広告代理店での営業の仕事が忙しくなりばたばたっと、毎日が光のように過ぎていた。

うちの会社では女性営業は珍しく、私は営業グループ7人のうち、唯一の女性営業だ。
女性営業が珍しいせいか上司やメンバーには自然と気を遣ってもらうことも多く、仕事は案外やりやすい。最近はどちらかというと同性である女性の事務さんに対して気疲れを感じることの方が多い。
普段は外回りが多いが1日中社内で事務処理なんて日もあり、そういう日のランチは事務さんのグループに混ぜてもらいランチを食べるのが定例になっていた。特別仲がいいわけでもなく、ただ全員ぼっち飯になりたくないが故に寄せ集まっているだけなので、いつも当たり障りのない会話をするか、社内の人の噂話をするかのどちらかでなんだか逆に疲れてしまう。ちなみに今日の話題は、部署内にかかってきた電話をある営業さんが社内にいる時も絶対に取らないことが気に入らない、という話だった。近々この輪から抜け出して、こっそりぼっち飯に切り替えようと思っている……。
仕事をある程度ひとりで回せ、波なく成果が出せるようになってきた頃、チームリーダーというポジションを任されメンバー2人を見るようになった。
普段の業務量+やることがさらに増えて、帰ってからはだいたいコンビニ食。やっとシャワーを浴びて着替えたら、そのまま力尽きる毎日だ。
ありがたいことに、たまに母がお米や海苔などを送ってきてくれるがしばらくお米を炊くことすらできていない。……そろそろ消費しなければ。
コンビニ食はできるだけヘルシーにしたいと思っているものの、それでも顔にはニキビがぽつりとでき、目にはうっすらとしたクマが消えないでいる。布団に入ればすぐに寝られるというラッキーな特技があるが、朝は無理矢理冷たい水を顔に浴び、頭に起きろと命令をしている。
会社には歩いて行けるほど近いのがかなりの救いだ。自転車でも良い距離だが健康のために歩いている。近いからその分結局仕事してしまうので、まあ良くも悪くもといったところか。

2022年になって10日ほどが過ぎ、またいつもの日常をいつものように過ごしていた頃、東京でも雪が降った。この時期は1年の中でもひときわ寒い。
大学サークルの新歓や会社での飲み会など、はじめて会う人にお決まりの出身地トークで東北出身と言うと、たびたび「寒いのは慣れっこでしょ?」と聞かれたが、東北人が皆寒さが得意なわけではない。

この日は朝からかなり冷え込んでいた。まだ暖房もつけていない部屋がいつもより寒く暗く感じてはいたが、外に出たら予想外にも一面真っ白な雪に覆われていて驚いた。

ちょうど毎年1月頃は、秋田県でも1年で1番といっていいほどの寒さになる。
私の住んでいた地元の秋田市は、秋田県の中では積雪量が少ない地域になるが、それでもこのシーズンは雪かきが必須だ。少ないといっても降る量はとても東京の比にはならない。

私は2人姉妹で姉がおり、母は私を32歳の年に産んだので今年で59歳、来年で還暦だ。あらためて、もう私の歳には子どもがいたのかと思うとすごいなと思うが今は毎日に追われていて、誘われる合コンにも面倒な気持ちが優先され何かと理由をつけて断っている。(入社してまもない頃に別の部署の先輩に告白されて付き合ったこともあるが、社内の事務さんとの噂を耳にし、つまり二股されていたと知って、1年で別れた。社内はいろいろと面倒なのでもうこりごりだ。)

母はまだガラケーを愛用しており、数年前にわたしたち姉妹の押しもあって一時スマホにしたが、使い勝手が悪かったらしくすぐにガラケーに戻してしまった。
連絡手段といえば基本LINEのやりとりになっているわたしは、東京に来たばかりの頃はちょこちょこ電話をしてたものの、今は母の誕生日と風邪をひいて暇な時、あとは母が携帯を押し間違えてかかってくるくらいで、本当にたまの連絡になってしまっていた。「連絡がないのは元気な証拠」とあまり私たちに干渉しないのはいかにも母、という感じだ。

父は私が中学生の時に心不全で突然亡くなってしまった。
専業主婦だった母は結婚前に働いていた職場の方の計らいで結婚前に働いていた会社で働かせてもらい、私を大学まで出してくれた。そして去年あたりに定年前退職をしていた。仕事もない趣味もないでボケたら困ると思い、姉と私が「絵を描いたり何か趣味を見つけみたら」とすすめると、母はいつも「やることはたくさんある。家の片付けがあるし忙しい」と言った。
私からしてみたら毎日暇そうに見えるのだが、永遠に終わりそうもない家の片付けと、相変わらずのTV好きで1日中TVをみたり、ご近所付き合いで「毎日忙しい」らしい。

どうやら夜中のうちに降り積もっていたらしい雪は、木々や花々、置きっぱなしの自転車など、あらゆるものを真っ白にしていた。
家から駅に向かう間にある、東京にしては珍しい畑道を通ってふと地元を思い出す。
高校生の時、母が雪かきの最中にぎっくり腰になっちゃってそれから何回か繰り返していたっけ。お母さん、今年は大丈夫かなあ。
私愛用の「蒸気の温熱シート」シリーズの腰にも貼れるタイプのものをあげたりもしたが、貼るのを億劫がって結局全部使い切っていないらしい。
どうやら母はあまり自分のケアとかをしないタイプみたいだ。

コロナが落ち着いたら、実家に帰りたいなあと思う。
実家に帰ると大好物ばかりずらりと並べて待っていてくれる母。
実家では、肩の力がだら〜っと抜けに抜けて私も姉も家事も何もせずひたすらに何かを食べ続けている。
最近はろくに自炊もできていないし、久しぶりに実家の温かいごはんが食べたいなあ。
定期的に帰っていたころは東京で見つけた母の好きそうなものをお土産で持っていってたりもしていたがここ数年帰れていないせいで何もできていない。
そういえば、去年は誕生日すらプレゼントをあげるのも忘れていたことに気がついた。
前にお土産でエシレのクッキーを持っていったら東京のものはこんなに美味しいものがあるのかってすごく喜んでいたっけ。
そんなことを考えていると急にスマホのバイブが鳴った。お母さんだ。
変な時間にかかってくることは前にもあったので、おっ、きたかと思いながらもしもし、と電話に出る。ただ足を会社に向かわせるだけの時間は暇なので、変な時間でも私としてはグッドタイミングだ。ちょうど久しぶりに声も聞きたいと思っていた。

「あらっまた間違えて押しちゃった!あ、あかり?」
(母は結婚して秋田に住んだ身で、出身は埼玉県なので特別訛ってはいない……たまに長年住んでうつった方言が出るくらいだ。)
「お母さん、久しぶりだね。元気にしてた?……なんかそろそろ間違い電話がくる気がしてたよ(笑)」
「ごめんごめん。こっちは元気よ。雪がすごいからいろいろと大変だけどね。東京でも雪が降ったでしょう。それで、仕事はうまくやってるの?」
「ちょうど会社に向かってるところで真っ白だよ……仕事は、まあそれなりに忙しいかな。」
「あまり無理しないようにね……。そうそうこの前近所の佐藤さんにお裾分けしてもらった牡蠣醤油っていうの?それがまたすごく美味しかったんよ。今後またなんかいろいろと送るから、ちゃんとごはん食べなさいよ。」

……牡蠣醤油、美味しそうだ。ありがたいな……と、なんだか胸がじんわり温かくなるのを感じる。
変わらないお母さんのハツラツとした声。お母さんを見てるといつまでも元気でいる気がしてしまうが、もうじき60歳。それと、お父さんのことを思うといつ何が起こるかは分からないよな、と思う。

よし、私も気になっていたお取り寄せのクッキー缶、頼んでみよう。お母さんの分とふたつ。
喜んでくれるかな。

私は静かに大きく息を吸い込み、足を進める。まだ誰も踏んでいないところの雪の音がサクサクサクっと軽やかに聞こえる。
前を見ると、真っ白な雪に光が反射してきらきらしているように見えた。

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