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鮮やかな遊具

私は中学校の卒業まで、大阪の治安のいい住宅地で育った。家のすぐそばには図書館を併設した大きな公園があり、鬼ごっこなどをして遊んだ。
その公園の奥には神社がたっていて、その周りの緑が住宅地に唯一残された自然な場所だった。今思えばその自然も管理されたもので、手付かずなわけはなかったのだが。
公園に設置された遊具は、どれも鮮やかな色をしていた。真っ赤に塗られたたこの滑り台、青色のジャングルジム、オレンジ色のブランコ、幼い私にはどれもが特別輝いて見えた。そこで遊ぶことが自分の義務だと思ってさえいた。

しかし、自意識の芽生えと共にそこで遊ぶことに対してどこか幼さを感じるようになった。やがて小学校高学年になるとその鮮やかな遊具たちに見向きもしなくなった。私たちは、神社の周りに残された自然の中に秘密基地を作り、立ち入り禁止のフェンスの隙間を抜け、幼い体には大きな背徳感を味わっていた。

しかし、新興住宅地の大勢の子供の秘密を抱え込むには、その公園は小さかった。毎日何グループも公園の影に秘密基地を設け、翌日には別のグループの基地になっていることもしばしばあった。そんな状況では大人に見つかるのも時間の問題で、フェンスの隙間も埋められてしまった。

高校生で上京してきた私は、ときどきあの公園のことを思い出す。
きっとあの頃の私たちは、社会がもっと完璧なものだと信じていて、社会の隙間を見つけたことが大発見だと思っていた。学ぶにつれてどんどん広がっていく世界は矛盾や理不尽だらけで、幻想が崩れていく音が聞こえた。
幼いころに感じた、はっきりとした境界線で描かれた世界はどこにもないんだなと思った。雑然と立ち並ぶ高層ビル、次々にやって来る電車、真っ白に引かれた白線、どれもが曖昧になっていく。すべてが絡まり合った矛盾だらけの世界で、あの頃の鮮やかな遊具たちだけが形を保っていた。

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