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『人数の町』:感想編

Hi,フェロー!!どうでした?鼻の穴の形が可愛い映画でしたよね!!!

というわけで、“観た人向け”の感想編ですけども。

やっぱり最近観る映画の評価軸として、「コロナ禍後の時代感に刺さるかどうか?」っていうのが個人的にあったりするんですが、本作は、制作はコロナ禍前なんでしょうけども、にもかかわらず、むっちゃくちゃ“芯を食ってる”話になってるなと思いました。だからすっごい面白かった。

緊急事態宣言の名の下に外界に出ることを抑制され、10万円とかの定額給付でとりあえずの生活を保障され、「デュードという名無し」としてリモート的なワークなどで“頭数”を担い、大勢であるモノをワーッともてはやしたり、ある物事をダーッと貶したりして過ごしてたあの数ヶ月間。その前々から今現在も、そうだったっちゃあそうなんだけど、この世の現実がけっこうなディストピアだって、皆んなが気がついちゃったこの2020年に公開されるには、むちゃくちゃ芯を食ってる映画だと思ったんです。

映画の中では、宣伝文句にも明言されているように、“人数の町はディストピア”という立場として描かれていますが、じゃあ“けっこうなディストピアになってる現実社会”と比べて、ぶっちゃけ「どっちがどう??」っていう問いかけは、エンタメ以上の問いかけとして響いてきちゃう今日この頃だと思います。ヨーロッパではいくつかの国がこのコロナ禍を機にベーシックインカムの社会実験を始めてますしね。香港デモに対する中国政府の態度と「黄色いツナギの人たち」を比べても香港の方がよっぽどキビシイ感じですし。

それらを踏まえて、人数の町、どうですか??案外“アリ”じゃないですか???

っていうのが、僕にはいちばん面白いところだったと思います。

仮に「子ども達の保育環境と教育」の設定、アレを改善したら大分アリ寄りになんないですか?

劇中では「頭キーン!」の装置が、強制収容を意味してて、それゆえ人数の町はディストピアという位置づけなんですが、ソレがなくても町の住人たちはたぶん逃げない(逃げても戻ってくる)し、だからむしろ「頭キーン!」装置なんてナシにした方が、より確実に住人たちを従順に囲うことができて、結果的により恐ろしい仕組みになり得ていただろうなって思わないっすか?

だからもし、僕らが人数の町に行くバス乗り場の地図をもらったとして、行くか行かないか?行かないならなぜ行きたくないのか?その答えが、観た人にとってコロナ禍後の社会を生きてく指標になったりするんじゃないかなって、思いましたねー。

そう考えると、あのラストシーンって、捉え方、悪くも良くも考えられますよね。胸糞悪いと切り捨てる人もいれば、あれが勝利だと思う人もいるでしょう。そういう振り幅の大きな結末もまた、イイ映画だったなと思います。


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