【みんな、ちゃんと、めんどくさい。『きみの鳥はうたえる』の話】
(2018年10月8日 無人島キネマ・ブログ版 初掲)
“ダメふわ系男子”に対するコンプレックスが、僕の中でスゴい。
「ダメ男なのに(だから?)フワフワしていて、なんだか放っておけない。」そんな感じ系男子。
僕の人格“ダメ重系男子”の対極的な存在だ。ウシダを形容するワードの筆頭には「めんどくさい」がデーンと鎮座してるわけだけど、“ダメふわ系男子”は「めんどくさくなさ」の象徴であるとも言える。
最近の“ダメふわ系男子”としては『寝ても覚めても』の鳥居麦が記憶に新しいが、僕の中で最強の“ダメふわ系男子”は『南瓜とマヨネーズ』のオダギリジョーが演じたハギオだ。あいつはヤバイ。
どうやらそんな“ダメふわ系男子”を柄本佑が演じるらしい。
とりあえず、映像作品としてむっちゃ良かった!
函館の街の色合い、朝や夜の時間帯の色合い、晴れや雨の光の色合い、
役者たちの演技、その演出、切り取る場面の視点、非の打ち所なく観心地が良い。
石橋静河演じるヒロインの実在感もすっごく良かったし、染谷将太の「笑ってるのに泣いてるように見える、優しそうなのに怒ってるようにも見える笑顔」の演技とか、もう素晴らしかった。
この映画を僕が観たのは10月の上旬だったけれど、夏の終わりの時期に観返したくなる作品になるだろうなと思った。
さて、柄本佑演じる“僕”は、どんな塩梅で“ダメふわ系男子”だったか?
・・・実はダメふわ系男子じゃなかった!
少なくとも僕にはそう見えた。そしてそれが良かった。
「めんどくさい関係を望まない」「だから他人の生き方にどうこう言わない」「さらに自分の生き方をどうこう語らない」
そんな感じだから、「一緒にいて楽しそう、ていうか楽そう」という気はする。たぶんヒロインの佐知子が“僕”に惹かれたのもそういうところなんだろう。
でもその“僕”の行動をよく見ていると、佐知子についての嫉妬が一貫して見て取れる。佐知子が他の男の話をした後は抱き寄せたりする。静雄と佐知子が接近するとさりげなくでも必ず割って入る。そのくせ言葉ではめんどくさくないカンジなことを言う。めんどくさくなさを保とうとする故のめんどくささ。そして結局保てなくなっちゃうというめんどくささ。
“僕”だけでなく、佐知子も静雄も、周りの登場人物も、そしてきっと映画を観ている観客も、人はなんだかんだとめんどくささは抱えていて、その人どうしが付き合うことはやっぱりめんどくさくなる。「自分のめんどくささと向き合おう!相手のめんどくささを受け入れよう!」とかそういう、それこそめんどくさい物語ではなくって、僕にとっては「ああ、みんなちゃんと、めんどくさいんだな。」って思えた映画だった。
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