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protocol-2. 「映画見」という人と、そのプロトコル。

例えばSNSやリアルでの会話の中で、「映画が好きな自分を指す呼称」って、どんなふうに言ってますか?

「映画ファン」?

「映画好き」?

それとも「映画マニア」?

なかなか自分で「シネフィル」なんて呼ぶことはないでしょうけど、ちょっと迷ったりすることないですか?僕は少し迷います。

ホントは自分的には、そうなりたいという希望も込めて「映画見」と名乗りたいんですが、その「映画見」という呼称が、どこで誰から見聞きしたのか、もしくは自分で考えた造語なのか忘れてしまいましたし、そもそも伝わりにくいので、僕は映画が好きな自分を呼称する時は、無難に「映画好き」なんて言ったりしています。

「映画見」っていうのはシンプルに「映画を見る人」を短縮してるんですが、まさに「シンプルに映画を見る」というか、あんまり映画に対して熱量というか、グイグイしてない感じの響きが気に入ってます。

「映画ですか?はい、フツーに観てますよ。」くらいな感じ。

フツーにお酒をよく飲んでる人のことを「酒飲み」っていうみたいに。またはフツーに歌を唄って暮らしている人のことを「歌唄い」っていうような。

映画を観に行くテンションが、「肉食いに行く」とか「カニ食いに行く」って程熱くはなくて、フツーに白米を食べるように映画観てる感じでしょうかね。それくらいのテンションで、僕は自分を「映画見」と呼べるような映画見になりたいです。

自分を映画見と呼ぶために、鑑賞本数が多い必要はなく、

自分を映画見と呼ぶために、映画業界や作品について豊富な知識はいらないし、

自分を映画見と呼ぶために、映画に対する熱い愛は別に必須でなくていい。

だから映画見は、鑑賞本数や映画知識や映画愛が少なくても、それを媚びたり、保険をかけたり、映画を語ることに気後れしたり、しなくていい。

逆に鑑賞本数や映画知識や映画愛に溢れていても、それを他者に求めず、威張らず、かと言って遠慮もすることなく大いに語る。

僕はそういう人を「映画見」と定義して、そういう人になっていけたらいいなと思っています。

映画趣味を、ひとりだけで充分に楽しめるのなら、自分が映画ファンでも、映画マニアでも、シネフィルでも、好きなように楽しめるでしょう。

でも映画を通して誰かと出会い、感動を語り合ったり、面白さを共有したりしていくのなら、ある程度の約束事(プロトコル)は意識したほうがスマートかなと思います。僕は映画を趣味にしてから、それでいくつも失敗してきたような覚えもあります。

もちろんこの文章をここまで読んで頂いてる方に、そういう「映画見であってほしい」ということではありませんし、いろんな人の「自分の呼称」とか、映画に対してどんなスタンスでいるか?どんな感じで映画を楽しんでいきたいか?みたいな話が聞けたら嬉しいです。そしてその人その人にとってのプロトコルも教えてもらったりなんかして、共有とかできたら最高だと思っています。

基本この連載の全文掲載は、メンバーの方向けのコンテンツですが、当サイトの基本理念みたいな内容かなとも思いましたので、全文一般公開でいきますね。



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