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【皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい。『愛がなんだ』の話】

(2019年4月20日  無人島キネマ・ブログ版 初掲)

「ひとり自営業」になってからもうすぐ丸5年が経ちその間、家庭と仕事以外の自分の居場所を求めてうろうろしてきた。

なんらかのグループに入れてもらって寂しさは和らぐものの、そのうち良くも悪くも自意識が働いて、勝手に気を遣う自分とその分気を遣われたい自分にくたびれて、そこから逃げ出したり逃げられたりしたことは両手で数えるくらいある。その度そういう自分のめんどくささを反省してきたけれど、それは自分で背負えるものとして、人様にめんどうをかけるという意味のめんどくささでなければ、それはそれで自分の個性なのかなと思えるようになった。

なんでもかんでも自分のせいにして、不器用で可哀想な自分にイジケるのはある意味ラクな生き方ではあるけれど、案外誰しもその人なりのめんどくささを抱えていて、それを察して認めたり受け入れたりして、「お互い様」で、合えばラッキー合わなきゃサヨナラでも仕方がないと覚悟するのも、それもそれで潔い生き方なのかなと思えるようにもなった。

誰かと恋愛関係に限らず友人関係でも利害関係でも、関わりを持とうとするとき、「結局皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい」ということに自覚的になることは、別にあきらめでも開き直りでもなく、実はけっこう誠実な在り方なんじゃないかなと思ったりもする。

皆大なり小なり寂しいんだと解ることだけでも自分の寂しさから解放されるし、皆多かれ少なかれめんどくさいんだと解ることで生きづらさは自分の中でも相殺できる。そうやって余分な肩の荷を下ろして立ってるところこそが自分の居場所で、そこにフツーに立っていれば、立ち止まってくれる誰かがいるかもしれない。いないかもしれないけど、いろいろ背負ってうろうろ彷徨うより少しはマシだ。

たぶん多くの人にとって、そんなん当たり前に若いうちに学ぶべきことで、僕はずいぶん遠回りをしてきたような気がするけど、同じようなところにたどり着くまでに道のりは人それぞれで、それを個性と言うのかもしれない。

そんな「同じようなところにたどり着く道のりの人それぞれ」を見せてくれるのが『愛がなんだ』という作品だと思う。

例えば「恋」とか「愛」とか「幸せ」とかに、“統一的なルール”とか“普遍的な勝ち負け”の基準があるとしたら、主人公のテルコはえらく“負け”や“損”を強いられているように見える人である。
それでも全然懲りなくて負けや損を重ねるテルコに、最初は「イタい女のトホホな恋愛」に笑いながらも、次第にイライラしてきて、

「お前、ちょっとそこに正座して聞け。いいか、愛っていうのはだな・・・」

と説教のひとつもしたくなる観客の人もいるかもしれない。

でもね、

そういう“正しさらしきもの”を掲げる人に対して、「好きとか愛とか、なんだってんだ。うるせぇ、バーカ」って言っちゃってもいいんだよ、という映画。

だと僕には思えて面白かった。

「シンドイ恋愛あるある」的なエピソードをひとつひとつ、これはアリ・それはナシってワイワイ仕分けするのも楽しいかもしれない。あなたの隣の人が、この映画を観てどう感じたか、それをもって何かの発見があったりするかもしれない。

テルコ、マモル、スミレ、葉子、仲原。恋愛においての姿勢や志向はばらばらにバラエティに富んでいて、見ていて楽しいけれど、「皆、自分の愛されたいように愛されたくて、自分の愛したいように愛したい」ということに気がついて受け入れていくという意味では、気持ちがいいくらいベクトルが揃ってる。

一歩先を行ってるのは江口のりこ演じるスミレ。安藤サクラに似てることを絡めて何かボケようかと思ったけどやめておく(笑)。
自分の求める愛し方、愛され方に自覚がある感じの人。こういう人の周りには「自由な風」が吹いていて、一緒にいると楽しくて気持ちが良さそうなイメージがある。でも例えば別荘BBQに集合かけてみれば「案外人望がない」ところがちゃんと描かれているのはフェアでエライと思う。
スミレの自由さは、おそらく天然モノの自由さではない。「尽くしてくる男は、イザ付き合ってから“自分系”になる」っていうような、勝ち負け損得の認識をちゃんと持ってる。その上でそういうものを意識的に遠ざけることで獲得した自由さが彼女の選択であり魅力なんだけど、それゆえの寂しさとか虚しさみたいなものもちゃんと引き受けてる人だと思う。

成田凌演じるマモルをクズ野郎と思う人は多いのかな。スミレに雑に扱われる後半のワンコっぷりを見て、ザマァ!って思う人も多いのかな。
仲原の説を借りれば、「王様を残酷にしたのは、それに仕える家来なのだ」ということで、マモルをクズにしてるのはテルコであったり、反面スミレや葉子が女王様になってしまうのは、マモルや仲原の逆説的なエゴであるとも言えるのかもしれない。
でもマモルは王様のように愛されたかったわけでもないし、ワンコのように愛したかったわけでもない。恋愛の勝ち負け損得は別として、自分の求める愛し方愛され方という意味では結局いちばん人に振り回されていた登場人物だ。33歳になるまではガンバレ。自信のなさを克服できたら好転していくよ。

仲原と葉子の関係性は、テルコとマモルの関係性とのいい対比になってる。仲原はテルコに対して「似た犬同士」な意識を持っているけど、テルコは仲原に対して「真逆」だとすら思ってる。
仲原はとってもイイ奴だし、テルコに話した「王様と家来」の考え方もよくわかる。「幸せに、なりたいっすねぇ〜」っていうつぶやきは、“叫び”だってこともよくわかる。
本当に葉子のこと好きだったよね、心から葉子のためを考えたよね、むっちゃ頑張って諦めることを決めたよね。わかるぜ、今度飲みに行こう。何も悪くないし何も間違ってないよ、テルコに「うるせぇバーカ」なんて言われる筋合いもないよな。
でもさ、正しい答えが正解になるとは限らないのが恋愛っていうクイズだから。落ち込むことないよ、そのうち幸せになれるって。
じゃあ僕が女だったら仲原と付き合うか?っていったら付き合わないけどな(笑)。そういうもんさ。

観る前は、自意識的な何かを突きつけられて苦い気分や苦しい気持ちになるのかな?なんて思っていたけど、観てみたらむしろ痛快というか気持ちの良い映画だった。
今泉力哉という監督の作品は初めてで「こういう作家性の人なんだな」とか思うところがなかった分、物語に没頭できたような気がする。

「えー、カレシいないの?もったいなーい」とか「いいかげんそろそろ結婚したら?」とか「なんでウシダさん家庭があるのにいつまでもモテたがってるんですか?」とか「やっぱウシダさんってめんどくさいですね!」とか言われがちな人にオススメの映画(笑)。


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