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8.秋震

 電話が鳴り続けている。生まれた時から、ずっとだ。夢の中でも鳴り止まない。

 今晩は満月。時折、木目模様の悲しげな雲がかかる。 外に出た。秋風が肌を刺す。ポケットに手を入れたまま、前かがみで歩いた。 街は人で溢れていた。近付くとどの人も私に似てくる。 電話の音が激しくなった。私はすぐに白いセーターの彼女を見つけた。じっと立って、こちらを見つめている。身体が震えた。私は駆け寄り、頭を下げた。 「草原にいきましょう。月が観たいわ」。彼女は、そう言って微笑んだ。

 草原では、年老いた芝生が群舞している。早すぎた落ち葉が歌っている。 彼女は草の上に座り、空を見上げた。「月が欠けていく」。確かに月は中心から欠け始めた。恥ずかしげな月面に懐かしい虹がかかる。 彼女は白い林檎を膝に乗せていた。そして、ためらいがちに差し出した。林檎は月明りに赤く輝き、彼女の手の中にするりと吸い込まれた。

 切なくなった私は、彼女を抱きしめた。彼女の胸から電話の音が聞こえてくる。私は胸に耳を当てた。いつも私を呼んでいた音だ。私は、彼女の胸肉に手を入れて、受話器の形をした心臓を握り出した。桜色をしている。彼女は激しく震えた。

 闇が深くなった。月は見えない。私は受話器を耳に当てたまま、癒しようもない傷口に深く身を沈めた。肌は夜光貝のように光っている。波が近づき、受話器が痙攣した。私の体液が、つかのま燃えた。

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