『港祭りに来た男』(1961年)

2012年6月9日(土) 新文芸坐

二度目の鑑賞。
やはりとても好きな映画。

冒頭、花園ひろみが海岸で子どもたちに囲まれて七夕伝説の話をしている。
七夕祭りが迫っている。
港町に大きな船が着く。

眼帯をしてひげ面の大友柳太朗。
水島道太郎率いる大道芸人集団の一員だ。
彼らは、実は貧しい漁師暮らしが嫌で、一攫千金を狙って港町を飛び出した人々だったりする。

息子に出て行かれた高橋とよは、その中に息子がいるとも知らず(息子は覆面をしている)、大道芸人たちに群がる子どもたちを叱る。
息子はそっと、母の小屋に金を置いていく。
金を見つけ、驚く母。

「化け物」と呼ばれる大友も、実はこの港町の漁師だった。
美しい娘・丘さとみと相思相愛だったが、貧しい暮らしを恥じて
夫婦になろうと言いだしかねるうちに、沢村宗之助の殿様が
丘さとみを側女として召し抱えてしまう。
それを嘆き悲しんだ大友は、港町から姿を消し、
九十九の傷を作って「武士」になり、港町に戻ってきた。

七夕が迫る時期、このときばかりは婚外の男女であっても、
好き合った相手とペアになり、男女色違いの手拭いを交換して
踊り狂ったあと、舟上での交わりが許される。
性的におおらかである、というよりも、
結婚がいかに恋愛から遠いところにあったかを思い知らされる。

しかし、揃いの浴衣を着て盆踊りを踊れるのは漁師のみ。
大友は「武士になったぞ!」と自信満々で丘さとみの前に
現れるが、丘は漁師に戻ってほしいと言う。
大友は、漁師に戻ろうと思う。
しかし、大友に付きまとっている千原しのぶは、
「漁師には戻れない。あなたは武士だ」と言う。
千原は、いちばん強いと思っていた自分の男を大友に斬られた、
という過去を持つ。

殿様の前で丘に求愛し、殿様の逆鱗に触れた大友は、殿様に呼び出される。
七夕祭りの当日、大友は漁師として、みんなと揃いの浴衣を着て
殿様のもとに出向く。
丘さとみは「漁師には手出しできないはず。どんな挑発にも乗ってはいけない」と忠告する。
しかし殿様は、自らを「漁師だ」と言う大友に対し、
「武士としてここにいる者たちを倒して門の外に出れば、武士としての褒美も取らせるし、丘との仲も認める」と甘い罠を放つ。
大友の武士への欲望は、再び頭をもたげてしまう。
武士の身分も、最愛の人も、両方手に入れられる、と。

大友が刀を振るっていると聞きつけた丘が、城へ走る。
大友のチャンバラシーンとの平行モンタージュ。
見事門の外に出た大友が丘に抱きつくと、
待ち構えていた者たちが鉄砲で二人を撃ち抜く。
泣ける……

水島道太郎に子どもを売ろうとする貧しい漁師の描写も、
笠原和夫らしくて良かった。

―――

同じノートに、『大友柳太朗快伝』から田中裕子のインタビュー部分の
抜き書きがあったので、併せてここに転記する。

―大友さんからお電話がありませんでしたか。

田中 お電話をいただいたことはなかったです。お手紙を。また皆さんと会えることを楽しみにしているっていう。大事に取ってありますけど。私は自分が困ったとき神様ってのを勝手に作っちゃうんで、別に何教とかどうだとか何もないんですけど、何かのときフッと思い出す顔が父親だったり、大友さんだったりする時があるんですよ。本当に仏様みたいな顔だってさっき言いましたけど、仏様でも神様でも、どっちでもいいんですけどね。向こうで大友さんが、まだあの綺麗なすずやかな目で見ててくれるかと思うと、みんな順番に向こうに行くにしても、なんか楽かなと思いますね。大友さん想うと、いつも居心地の良い静かな気持ちになるんですが、あれは何なんだろうな。きっと、大友さんが持っていらっしゃる静かさだと思うんですけど。何かできるって思わない、むしろ自分が何にもできないと思っていらっしゃったすごさなのかな。そんな大友さんだから、みんな見つめちゃうんですね。あんなすごい方が、少年のように恥ずかしそうに立っていらした姿を、私は今も見つめています。

『大友柳太朗快伝』P40


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