『生きものの記録』(1955年)

2010年12月13日(月) 東京芸術センター

客は、私を入れて2人だけでびっくりした…

三船演じる鋳物工場の老社長が原爆と放射能の脅威に過剰に怯え、一家(と妾たちとその家族)のブラジル移住をもくろむが、当然家族たちは反対。
家族たちは、三船を準禁治産者にしてしまおうと家庭裁判所に話を持ち込む。

本業は歯医者だが、なかば趣味で家裁の判事?のようなことをしている男に志村喬。
三船と家族の言い分は平行線をたどり、家裁は三船を準禁治産者と認める。志村は、三船を「狂人」と簡単に片づけてしまえるのか、終始悩んでいる。

鋳物工場は火事になり、放火したのは三船だとわかり、彼はついに精神病院に入れられる。

ラストは、志村が精神病院に三船を見舞うシーン。
病院の階段で彼の家族とすれ違うが、家族は意気消沈している。

医者役に中村伸郎。
「彼を見ると憂鬱な気分になる。
この世の中で頭がおかしくならないほうがおかしいのではないか」
彼の後ろには、鉄格子に隔てられて大勢の患者がいる。

三船の部屋は個室だ。
すでに姿勢が不自然に、ベッドに座っている。
三船は地球を出て、今自分は異星に逃れてきたという設定の中で生きており、「地球の人口は(みんな異星に逃れたことで)だいぶ減ったのか」と志村に尋ねる。
何と答えていいかわからず黙っている志村から「地球の人口は減っていない」という答えを読み取り、「それはいかん」と興奮する三船。
ふと西日が照っているのに気づき、「何かが燃えているんじゃないか?」、
夕日を見て「地球が燃えている!」と叫ぶ。

再び病院の階段。
とぼとぼと帰る志村。
見舞いに訪れた根岸明美(三船の妾で、幼い子どもを抱えている)とすれ違う。
ここで映画が終わり、「終」の字が消えてからもしばらく音楽が続く。
音楽の早坂文雄の遺作ということなので、追悼みたいな意味もあるのだろうか。

話のタイプとしては、『生きる』に少し似ていると思った。
孤独に自己主張を貫こうとする個人を描く、という意味で。
こういう役に三船はどうなのかと思ったが、とてもよかった。
豪快という印象の役者だが、実はかなり神経質な人物だったと聞く。
この役がいちばん実像に近かったのかも、と思ったり。

クライマックスの火事のシーンで、焼け跡の工場に三船が寝巻姿で走っていくシーンに、クロサワ映画によく出てくる「風の中で吹き飛ばされそうになりながら呆然とたたずむ男」というイメージを見た。
妄執という言葉が連想される。

その後、三船が自分が放火したのだと告白し、その場の全員が絶句する。
三船は「こうでもしないとおまえら(家族)はここを離れないじゃないか。工場がなくなればおまえたちもここを動くと思ったんだ」と言う。
それに対し、工員の男が、
「それじゃ自分たちはどうなるんですか。
自分たちはどうなってもいいと思ってるんで?」
と聞く。
それに対し、一瞬ハッとして、工員たちに土下座するように、うろたえつつ、「おまえたちも連れていくからっ」と叫ぶ。
このシーンはよかった。

あと、印象深かったのは千石規子。
工場で雇われている事務員か秘書という役だと思うが、
エゴ丸出しの家族に対し、いちばん冷静に事態を見つめている役回り。
火事のシーンの前に、三船が倒れて鎮静剤を打たれて寝ているシーンがあるが、このまま死なれてはかなわない、遺書を書かせる書かせないで家族と妾たちがやいのやいのしているとき、
突き放すように、
「今は安静にしておくのがいちばんだそうですよ」と冷たく言う。
ここがすごくうまかった。
千石規子のクレジットには(東映)とあった。
クロサワのお気に入りだったのだろうか。

他に印象的だったのは、三船の妻の三好栄子。
夫には何も言えない気弱な妻。
この人は強欲ババアからこういう心優しい気弱な奥さんまで何でもやって、
しかもいつもハマっているからすごい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?