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(絶対言わないでね)から始まる会話


人に自慢話しても元気出ないけど、人に泣き言が言えるとなんとかなると思えるんですよ。

泣き言だったり、くだらないことだったり、人に言ったら引くかなーと思うようなことだったり。

僕は常々思うんですけど、(絶対言わないでね)から始まる会話以外、人と話していて楽しいことなんてないんですよ。

(絶対言わないでね)みたいなことが言える場所なのか人なのか、作ることができたら、実際には人生何も解決してないんだけど、まぁいいか、と朝を迎えられる気がします。

ラジオ「夜のまたたび」より

くだらない話をしていたと思ったらいつの間にか相手の俺様話を聞かされていた、なんてことはよくある。え、オチそこに持ってく?みたいな展開に唖然とするが、自分にも思い当たる節はある。

そんな後味の悪い会話もあれば、くだらない話をしていたのにいつの間にか「生きるってなんだろうね」みたいな心の服を一枚一枚脱いでいくような(と、ラジオの中で言ってた。)会話が生まれることもある。

20代の自分自身を振り返ると、小説家の燃え殻さんが「夜のまたたび」の中で仰っていた、(絶対言わないでね)みたいな会話しかしていなかったように思う。

30代は東京を離れて周りの環境が変わり、大人の階段らしきものを駆け上がっているうちに、(絶対言わないでね)みたいな会話ができる人との関係をどんどん手放してしまった。

そのことが、ボタンを掛け違えたまま年を重ねていくようで実はとても苦しかった。本当に話したいことが言えないまま上澄みだけの会話しかできなくなっていることに焦燥感を覚え、昨年から再び東京に戻り今年の40歳の誕生日は東京で迎える。

私の場合、現在は占星術の12ハウスという星回りにあたり、華々しい40代の幕開けというよりは、ここから「空っぽにする」時期に突入する。元々友達が少ない上に、環境が変わったことでここ数年の人間関係が一掃されつつある。

これを機にSNSからも距離を置こうと考えていて、オンラインの世界から片足を引っこ抜くと、笑ってしまうほどひとりの時間が増えた。繋がっているように見えて実は誰とも繋がっていない。それが分かっていて楽しめるほど自分は器用な人間ではないのだなと痛感する。

5月は千葉の川村記念美術館に足を運んだ。平日の午前中に訪れた館内はひっそりと静まっていて、マーク・ロスコの作品が飾られたロスコルームは、孤独を味わう人のための空間だと思った。一瞬、SNSにシェアしようかと思ったけど、誰にも言わずに自分の中にしまっておくことにした。

訪れた場所や観た映画読んだ本など心の琴線に触れた大切なものは、本当は不特定多数の人にではなく目の前の人にだけそっと打ち明けたい。いいね!の数なんか気にせず、(絶対言わないでね)の話ができる人と再び知り合っていけたらなと思う。20代の頃のように。

孤独な時期というのは自身の感性を磨き、本質を見極める力をつける時なのかもしれない。沢山本を読み、良いものと触れ合い、教養を身につけ、知らない世界を知る。くだらない日々の中くだらない会話の中に、生きるよすがを見出しながら年齢を重ねていけるように。

心の内をひっそり打ち明ける場所として、ふたたびnoteを活用していこうかと思っています。5月もお疲れ様でした。

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