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現代のヘレン・ケラーと会話する

最近、重度の脳性麻痺のため体の一部しか動かせず、言葉も話せない状態の女性と知り合った。クライアントに同伴して、Art とかSwimmingに参加した先で知り合い、ご自宅にも伺った。もちろん、お膳立てをしてくれたのはコミュニティサポートワーカーとして雇われた新同僚。彼は、長年障害児のサポートの仕事をしてきたので、いろんなリソースを知っている。そして、クライアントの将来のためにコミュニティとのつながりをどんどん作ろうとして努力してくれている。

さて、彼女にはじめて会った時、車椅子に乗ってケアギバーがつきっきりで介助していた。日本でいうところの、肢体不自由でコミュニケーションも困難な状況だ。手足も拘縮し変形し、不随意運動もある。ことばも「あーあー、うーうー」しか出ない。ところが、彼女はタブレット型のコミュニケーションツールを持っていた。彼女は、高度の関節拘縮のために指先でのタップはもちろんできないのであるが、片肘を動かすことができた。また、首を動かすことができる。

何がすごいかというと、タブレットは本人のためにあるのではない。介助者や会話相手のためにあり、彼女はタブレットが発する音声を聞いて操作する。どうやら視力が良くないらしく画面は全く見ていない。首でスイッチを押すと選択肢を読み上げる音声が聞こえるので、それを聞きながら、自分が話したいテーマーやYES、NOの場所がきたら左肘で決定ボタンを押す。すると、女性の音声が聞こえる。それが、彼女の言いたい言葉なのだそう。

彼女が使用していたのは、このタブレット。タップできないので、首と肘を使って操作することができるようにカスタマイズされている。

最初は半信半疑だった。ただ偶然ボタンを押しているのかと思った。
けれど、自由な会話の選択肢もあり、わたしたちの質問に対して、脈絡のある返答をする。選択肢はたくさんはないので難しい会話は困難なようだし、何しろタップできないので選択にとても時間がかかる。でも、彼女は忙しく首を動かしてなんとかコミュニケーションを取ろうとする。動きが激しいと、ボタンの位置がズレてしまうため、介助者は適宜位置の修正をしなければならないようだ。また、時々デバイスもフリーズしたり起動に時間がかかったりとSF映画の通訳装置のように瞬時にコミュニケーションがとれるわけではない。

一体彼女は、どうやってこのデバイスの使い方を習得したのだろうか?お母さんに聞いてみると、22年前から使っているそう。昔は、目が見えたのだろうか?それにしてもこれは大変な努力の積み重ねの末にできるようになったと見ていいだろう。付き添いのケアギバーに聞くと「彼女はsmartだから」の答え。

このコミュニケーションツールがなければ、私は彼女は知的障害があってコミュニケーションができないのだなぁと思ってしまうところだった。肢体不自由で言葉も話せない場合は、初対面や普段から長時間接していない人にとっては、相手との意思疎通が困難だ。しかも、表情が不明瞭で呻くような声しか出ない場合は、意識障害があるのかも?と思ってしまう。

本当は、知的障害もなく、頭脳明晰なのに体が動かせなくて言葉も発せないとなると「何もできないし、わからない人」とみなされて意思決定の機会も与えられない。閉じ込め症候群みたいな感じだ。なんて恐ろしいことなんだろうと思う。しかし、彼女は外部とのコミュニケーションに成功した。私は、もっともっと彼女と話してみたいと思った。

私のクライアントも、肢体不自由で言葉も出ない。Yes,Noの表出がない。でも、視線で選択することができるし、いくつかの単語も知っている。人の識別ができ、特定の音楽や本が好きだ。かつて、コミュニケーションのトレーニングを散々したけれども無理だったとお母さんが言う。ドラベ症候群は知的障害も合併するから、脳性麻痺の人よりも障害は重いかもしれない。抽象的な概念の理解までは到達できないかもしれない。けれども、彼女はまだ10代。まだまだ先がある。挑戦する価値はあると考える。

医療の面では随分遅れているなと感じるカナダだが、時々おやっという部分でふんだんに税金が投入されている。障害者に対するコミュニケーション支援にしても、在宅ケアギバー費用にしてもそうだ。今回知り合った女性にも4人のケアギバーがいるという、なんという恵まれた国なんだろう。

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