見出し画像

スーパーカジュアルなのか、あえて考えないようにしているのか。カナダ人の心の機微。

<要約>
明日手術する高齢のがん患者と、極めてカジュアルにDNRの話をした。という話。

私の雇用主一家はとても忙しい。
家族の中心に掌中の珠である私のクライアントがいる。
毎日のようにてんかん発作が起きる難病で自力体動もほとんどないため24/7介護、家族+看護師、ケアギバーのチームでお世話している。

さらに、高齢だが自立しているおばあさまがいる。
先述しているように、明日おばあさまの手術がある。
大きなオペだが、手術当日に入院して3日で退院する予定だ。カナダにしては長い方だ。普通は当日か翌日退院する。

最初、悪性の診断がついたとき、おばあさまは「老い先短いから手術しなくてもいいの」と言っていた。このカナダの医療事情では、いつ検査や手術の順番が回ってくるのかわからないからだ。若い人に譲りたいと言っていたものだ。

ようやく手術の順番が回ってきた。
荷物の準備はできたのか聞いてみた。
何しろ、週末おばあさまの甥っ子夫婦が、カムループスから遊びに来ているから、忙しい。これが、手術に関係ある訪問とかでは全くなく普通にバケーションなのだ。バーベキューやったり、ディナーに行ったりととても手術前夜の雰囲気ではない。
さらに、こちらでクラシックカーのショーがあるとかで、男たちが自前のクラシックカーを持ってきている。バンクーバー島ではよくクラシックカーの愛好家のイベントがあるのだ。今日は、みんなでイベント会場まで行ってしまった。

明日、9時にはここを出なければならないんだがなぁ。
さすが、カナダだぜ、みんなおおらかだ。
しかも、体力あるな、疲れないんかい!(皆還暦近い)
手術なんて、おかまいなしなのだ。

私も、大ごとじゃないように思いたい。
あんまり怖がらせたくないのだ。
3日で退院してくるなど、日本人だったら不安すぎるだろう。
高齢の全身麻酔ってだけで、リスクあるし、手術でもしもの時が起きたらってことも考えておかねばならない。術後の疼痛コントロールも高齢なので、フェンタニル、以上!というわけにはいかないだろう。

退院後の生活についても準備が必要だ。
おばあさまが顔を見せたので、トイレや風呂に手すりがあるかどうか、食事はどうするのか聞いてみた。手すりなどは既にあるといい、食事は温めるだけでいいものを購入済みだと言う。(いわゆる二世帯住宅に住んでいて、食事は別々にとっているのだ)さすが、準備がいい。

術式は、始めラパロ(腹腔鏡手術:侵襲が少ない)だったのだが、腫瘍が大きくなったためラパロは無理となり開腹手術になったと言う。さらに、どの程度切除するかは開腹後、腫瘍の広がりや病理検査を見て決めるとのことで、子宮全摘になるかもしれないとのこと。私は、婦人科手術の知識や経験はあまりないので、肉腫の場合子宮温存するのかどうか知らないけれど、既にmassが子宮よりも大きいのだからてっきり全摘するのかと思っていた。おばあさまは、記憶がしっかりしていて、麻酔医からも連絡があり、硬膜外麻酔と全身麻酔の併用となることも説明してくれた。

そんな立ち話をしてるなか、おばあさまが、
「DNR」のことを決めなければならないと囁いた。

*DNRとは、"Do Not Resuscitate"の略で心肺蘇生をしないと言う意味で、終末期の患者に意思確認し、サインをもらうことで万が一の時にCPRでの蘇生をしないということだ。

おばあさまはまだ、サインしてないと言う。手術室に入ってから、ベッドに横になった状態でサインするんだと言う。マジか???
「私は、もう年齢的に、蘇生する必要はない、寿命だから」という。
DNRを希望するようなニュアンスだ。

明日手術すると言う人に、
「DNR、大賛成!」とはいい難い。
さすがに無神経な気がする。
実際問題、手術では何が起きるかわからない。
私は内科だったけれど、緊急の手術に送り出す経験は多かった。術中術後命を落としてしまった患者はほとんどいなかったけれど、ゼロではない。術中の思いがけない大出血や、もともと肺の機能が悪い患者が亡くなってしまったことがあった。

私は、言葉を選びながら(とはいえ、拙い英語なので選択肢は少ない)、
「DNRについて考えることは、重要であること」
「DNRにはいくつかのステップがあること」(他の看護師の受け売りだが)
「いつでも、考えが変わったら撤回できること」
「急いで決めなくてもいいし、決められなかったら、決めなくてもいい」
などと言ってみた。
日本人は、死について考えることを忌避する場合が多くて、DNRの意思表示をしない患者や家族が多かった。なので、不必要な心肺蘇生をしなければならないことがよくあった。(末期癌の患者にCPRしても、実際、生き返ることはない)

そして「人生の最後について、深く考えることはその時を迎える準備をするうえで、心に平穏をもたらす」と頑張って伝えた。ちゃんとした英語だったかはわからない。

ChatGPTに訳してもらうと、こんな答えが返ってきた。
"The idea that deeply contemplating one's own mortality can bring peace of mind and help prepare for the end of life is a widely acknowledged concept. This perspective is often associated with end-of-life planning and a philosophical approach to mortality."
全く、言えていなかった(笑)

おばあさまは、
「私にはFaithがあるからきっと大丈夫」といい
私も月なみだが、
「あなたには、Faithがあるから、神様の助けがありますね」
(全然かっこいい言葉が浮かばないのだが・・・)
としめくくった。


母屋では、今日も宴会の様相だ。
おばあさまは、DNRについて家族と話す時間はあるのだろうか・・・
私とは立ち話だったが。

あえて、忙しくして恐怖を打ち消そうとしているのか、そもそも手術を深刻に考えていないのか・・・
そんな私も、忙しい雇用主一家の思惑に乗って、あまり細々世話を焼かないことにした。手術予定表も見せてもらわなかったし、どんな麻酔や麻薬を使用するのかも聞かなかった。きっと、なんとかなる。なんとかなるんだ。
ここは、カナダだから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?