藤原さくらの3rdアルバム『SUPERMARKET』が楽しみなので、なんとなく、これまでの音楽活動を振り返ってみた

2020年は藤原さくらメジャーデビュー5周年目にあたる。

そして、ついに、藤原さくらの3rdアルバムが10月21日にリリースされる!

タイトルは『SUPERMARKET』。

今年初頭、年内リリースを目標にニューアルバムを制作中だと明かされたあと、8月9日に行われた配信ライブ「配信音楽会2020」で、ようやくアルバムの完成とリリースの決定がアナウンスされた。

「とにかく新しいアルバムが待ち遠しい!」

きっと藤原さくらファンの多くはそう思っているのではないだろうか。

なにしろ、スタジオ・アルバムとしては2017年5月に出た『PLAY』以来となり、3年5か月ぶりのリリースとなるのだ。しかも、2018年9月に出たEP『red』から、今年の2月に発表したデジタルシングル「Twilight」と「Ami」までの約1年半、そもそも曲自体をまったくリリースしなかった。なんで3年もアルバムを出さなかったのかはよくわからないが、とにかく、3rdアルバムはファン待望のアルバムなのだ。

で、藤原さくらの3rdアルバムはどんな感じの内容なのか?

2月のインタビューでは、藤原は「来るべきニューアルバム」について次のように言っている。

今までとは毛色がかなり違う……自由度が高いし自分の趣味に走りまくっている……以前だったら「ここまで振り切ってしまって大丈夫かな?」と思っていたところまで、今回は挑戦しています……全体的にかなり攻めた内容になるはずです。


かなり攻めた内容」とは、どういう意味だろうか。

3rdアルバム『SUPERMARKET』には、2020年上半期に連続リリースした藤原さくらの新境地とも言うべき「Twilight」「Ami」「Waver」「Monster」の4曲が入る。また同インタビューでは、他にジプシージャズラップの曲が入ると答えている。ラジオでは近年愛聴しているLo-Fi Hip Hopに影響を受けた曲を制作している旨の発言をしていた。
つまり、”攻めた”という言葉には、端的に、これまでの藤原さくらの楽曲には見られなかった新しい音楽に挑戦しているという意味が込められているはずだ。

さらに、藤原さくらのホームページでは、このように記されている。

藤原さくらの唯一無二のシンガーとしての側面をさらに深化させながら、実験的なサウンドメイキングが配合され、ジャジー&フォーキー、オルタナティブ・ロック、ポップ、ソウルなど自在に横断する音楽性が意欲的かつ自由度高く描き出された作品が完成しました。

これらを読むだけでも、3年5か月ぶりのアルバムへの期待は高まるばかりだ。『SUPERMARKET』は「新しい藤原さくら」を聴ける作品になることは容易に想像できる。

収録曲はすでに発表されているが、詳細はまだわからないことが多い。アルバムの全貌はこれから徐々に明らかになっていくだろう。

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このnoteは、藤原さくらの過去の活動をざっくりと振り返ってみようと思って書きはじめたものである。

3rdアルバムがリリースされようとしているこのタイミングで、過去の作品や活動をいったん見返してみよう。そうすれば、よりニューアルバムを楽しめるのでは、と考えたのだ。
音楽の細かい話はほとんどしていない。
これまでの藤原さくらのキャリアをアルバムごとに時期を分け概括しているだけである。

結果的に、文字数は15000字を超えてしまい、予想以上に長い文章になってしまった……。いったい誰が読むというのだろう。笑
でも、せっかく書いたので公開する。笑

言うまでもないが、このnoteは、わたしの主観的な視点から書かれた文章である。想像の部分も多い。事実誤認もあるかもしれない。書ききれなかったこともある。
この文章を書くにあたって、藤原さくらのフォトブック『SCENE』や、過去のWEBや雑誌における記事やインタビューなどを参考にした。

どこかに、暇つぶしにでも読んでくれる人がいたら嬉しい。


はじめに

今まで藤原さくらは、インディーズ時代に1枚のフルアルバム、メジャーになってからは3枚のEP(ミニアルバム)と2枚のフルアルバムをリリースしてきた。

AL『full bloom』(2014) 
EP『à la carte』(2015) 
AL『good morning』(2016) 
AL『PLAY』(2017)
EP『green』(2018)
EP『red』(2018) 
AL『SUPERMARKET』(2020)←NEW


これら作品ごとに時期を分け、藤原さくらの活動をざっくりと振り返ってみたいと思う。


『full bloom』(2014年)

藤原さくらは、10歳の頃、父親にクラシックギターをもらったことをきっかけに音楽をはじめる。作曲もその頃からやっていたようだが、一曲を完成させるよりも、Aメロだけとか断片的にしか曲が作れなかったらしい。YUIを好きになり、プロのシンガーソングライターになることが夢になる。父親の影響で、幼少時から洋楽・邦楽を分け隔てなく聴いて育ったという。憧れのミュージシャンはビートルズ、特にポール・マッカートニー。音楽以外にも興味のあることが多く、マンガを描いたり、体操をやったり、中学では陸上部に入部したという。

そして15歳のとき、藤原さくらは音楽の道を志し、プロになるべく本格的に活動を開始する。まもなく福岡市内のボーカル・スクールに通いはじめる。そのボーカル・スクールで開催されたオーディションを受け、現所属事務所アミューズと育成契約を結ぶことになる。生まれて初めて受けたオーディションだった。
そのあと、高校時代はライブや楽曲制作の経験を積みながら、自主製作盤のミニアルバム「bloom1」「bloom2」「bloom3」をリリースする。そして、18歳のとき、高校時代の集大成として、インディーズ・レーベルから初のスタジオ・アルバム『full bloom』をリリースする。

今でも『full bloom』を好きなファンは少なくない。それはおそらく、J-POP的要素の割合が多く、それを活かす形で洋楽的要素を混ぜているので、J-POPを聴いている耳にもとっつきやすい作品だったことにあるのではないだろうか。英詞の曲も一曲しか入ってない。また、池窪浩一がアルバムの全曲を編曲していることもあり、一枚の作品として統一感があるのも聴きやすく感じる要因だろう。
曲によっては、"中二病"とも思える攻撃的な歌詞が書かれているところにある種の若さを感じる。

後年、藤原は『full bloom』について次のように語っている。

もともとJ-POPを聴いていたのがちゃんと洋楽を聴くようになった、ちょうど中間くらいの頃の曲ばかりなので、J-POPと洋楽がうまく共存してるような気がするし、日本語の曲も多いし、あのときにしか作れなかったアルバムだなって思ってて。

「J-POPと洋楽」を共存させること、それが藤原さくらが志向している音楽的なテーマだ。彼女にとっては、洋楽にはワールドミュージックの意味も含まれている。他のインタビューでは、彼女が憧れているポール・マッカートニーのようなポップな部分とコアな部分が共存したような音楽を作ることが目標だと言っている。
『full bloom』で表現されたこの音楽的なテーマは、そのあとに制作することになる『à la carte』や『good morning』と通底したものであり、藤原さくらは高校時代にすでに自分の音楽的な志向を持っていた。

まあそもそも、この「J-POPと洋楽が共存した音楽」を目指すこと自体は、特段珍しいものではない。重要なのはそれが意味する内実だ。

ここで彼女が言っている「J-POP」という言葉は、日本語で歌われている日本のポップ・ミュージックという意味だと思われる。現在はJ-POPは単に日本のポップスという意味で使用されているが、以前はもっと別のニュアンスが込められていた。そもそも、J-POPという言葉自体は比較的新しく作られたものだ(1988年にJ-WAVEで作られた言葉だと言われている)。藤原さくらの音楽とJ-POP、ここに大瀧詠一の「分母分子論」や最近の音楽の聴取環境などの話題と絡めて何か書いても面白いかもしれない。……この話を広げると、さらに文章が長くなるのでここではやめておく。

※この洋楽と邦楽の区別だったり、J-POPという言葉だったりは、文脈によって意味合いが変わる。邦楽とJ-POPもイコールではない。このJ-POPという概念についてはもっと深掘りできるだろう。

藤原さくらは、洋楽ライクなサウンド重視の音楽だけをやるつもりはないし、かといってJ-POPだけを作るつもりは毛頭ない。邦楽しか聴かないとか、洋楽しか認めないとか、そういった偏った考えを当たり前だが彼女は持っていない。彼女はアニソンもボカロもK-POPも聴くし、中南米の音楽やアフリカの音楽も聴く。そうした世界中の音楽から影響を受け、自分の音楽を「ポップ・ミュージック」として昇華したものにしたいと常々語っている。
これは、日本の音楽において、正統的な音楽観をもっているといえるのではないだろうか。
日本語でも英語でも歌う。英語で曲を作りたいのならば、英語の発音がネイティブでなくても、やるべきだという考えだ。
英語を使うことについて、彼女は過去にこう語っている。

私、英語がすごく下手だったですけど、「できるようになってから英語で歌おう」じゃなくて、下手だったときも歌っていたからこそ、英語の先生にも「上手だね」って言われるようになった今があるんですよね。たとえ100パーセントの自信がなくても、ちょっとでもできるようになったらどんどん表現していく。それってすごく大事なことだし、みんなにそのことを伝えたいなと思ってツイートしたんです。


そして、上京して一年が経過し、19歳になった藤原さくらはついにメジャーデビューする。

『à la carte』(2015年)

2015年3月18日にリリースされたEP『à la carte』で、藤原さくらはメジャーデビューを果たす。レーベルは、ビクター内のレーベルであるSPEEDSTAR RECORDS。

アラカルトとは「一品料理」を意味し、タイトルには「“いろんなタイプの曲がここにあるから、リスナーがそこから好きなものを選んで食べられるように”っていう意味」が込められている。

前作『full bloom』ですべてを出し切ったあと、福岡から東京に活動の拠点を移し、音楽一本の生活を送るようになる。新生活で得た経験が詰め込まれた作品だ。高校時代に作った「My Heartthrob」以外は、すべて彼女が上京してきてから作られた曲である。全6曲中4曲が英語詞になり、前作に比べて一気に英語詞の割合が高まった。
「Just One Girl」ははじめてテレビドラマ用に書き下ろした英語詞の楽曲だ。メジャーデビューしてはじめて作ったMVは「Walking on the clouds」だが、この曲も英語詞だ。インディーズ時代にMV化したのも英語詞の「Ellie」だった。どの曲をMVにするのかを決める判断基準はその曲を多くのリスナーに推したいということにあるのだろうが、バイリンガルでもない日本で生まれ日本で活動する日本人のシンガーソングライターのスタートとして、これほど英語詞の曲を積極的に出すのはかなり稀有なケースではないだろうか。

『good morning』(2016年)

『à la carte』から約一年後の2016年2月17日にリリースされた『good morning』は、藤原さくらメジャー1stスタジオ・アルバムである。

メジャーデビューから一年が経過し、ミュージシャンとしても人間としても成長した中で満を持してリリースされた。カントリー・ジャズ・ソウルなどの音楽的要素やワールドミュージックの影響が色濃くある楽曲集である。音楽性は前作『à la carte』からの延長線上にあるアルバムと言えるが、前作との違いは、日本語詞のポップな曲が増えたことだろう。

『good morning』は、文字通り、「朝」がコンセプトのアルバムである。
夜に自宅で作業をしていたらクレームが来て、朝に曲作りをすることが多くなったことがアルバムタイトルの由来。作曲を朝に行うようになってからは、明るめのポップな曲が増えたらしい。
前作に比べて日本語詞の曲の割合いが増えたことで、より間口の広いアルバムになったといえるだろう。特に、M1の「Oh Boy!」やM2 の「『かわいい』」のように日本語詞の明るめのポップスは前作にはなかった新しい要素だ。また「かわいい」での歌唱に見られるように、ボーカルのレンジが広がったように思える。
すべてが新たに書き下ろされたわけではなく、「I wanna go out」「1995」「これから」は高校時代に書かれた曲である。それらを名うてのアレンジャーによって二十歳の藤原さくらが歌う必然性のあるアレンジへと変貌を遂げている。

総じて言えば、
『à la carte』と『good morning』はミュージシャンとしても音楽的にも、これからどの方向にも進んでいけると思わせる多様性をそなえたポジティブな初期作品となった。
リスナーは、藤原さくらは次にどのような音楽を作るのだろうかと楽しみになったに違いない。
彼女自身も、これから「アルバムごとにいろんな自分を見せたい」と高らかに宣言していた。
洋楽・ワールドミュージックを背景にした豊かな音楽性と日本でのポピュラリティのバランスをとった音楽をつくること。簡単なことではないが、藤原さくらがやろうとしていることはきっとそういうことだ。

ところが『good morning』がリリースされたあと、予想外の仕事で、藤原さくらは大衆性を獲得してしまう。

ドラマ出演(2016年)

藤原さくらは、2016年4月からフジテレビの「月9」枠で放送されたドラマ『ラヴソング』に出演する。
メジャーデビューから一年。今度は女優デビューだ。
フジテレビ月9ドラマ、ヒロイン的なポジション、歌を歌う女の子の役。しかも、福山雅治プロデュースで主題歌「Soup」を歌う。これは大抜擢と言っていいだろう。前年の12月頃からオーディションが始まり、結果、見事役を勝ち取った。
ちなみに、公表されている限りでは、藤原が受けたオーディションはボーカル・スクールに通っていたときに受けたものとドラマのものだけで、そのどちらでも結果を出しているということになる。
ドラマでの演技が評価され「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」において新人賞を獲得するなど、初めての演技にもかかわらずある程度のインパクトを残した。

残念ながら、ドラマは視聴率的には振るわなかった。しかし、担当したドラマ主題歌「Soup」はスマッシュヒットする。初めてCDシングルをリリースし、CDショップでお渡し会などのイベントも開催する。テレビの音楽番組やバラエティ番組にも出演するようになり、いわゆる"芸能人"的な活動もするようになる。ほとんどがドラマに出演した影響だろうが、それまでの音楽リスナー以外の人たちに知られようになり認知度を上げていった。2017年に入るとファンクラブも設立しファンは増えていった。

とはいえ、
一部のファンは、シンガーソングライター藤原さくらがドラマ出演という予想外の角度から脚光を浴びたことにかなり戸惑ったのではないかと思う。藤原さくらの音楽に魅了されてファンになった人の中には、複雑な思いを持った人も少なくなかったのではないだろうか。もちろん、有名になったりファンが増えること自体は素晴らしいことだ。だが、このような形でテレビ・芸能界的な磁場に入ることによって、彼女のやりたい音楽が制限されてしまうのではないか。ファンの一番の懸念はそこにあった。

ドラマに出た影響は、音楽活動にも波及していく。
もちろん、ある程度のポピュラリティを得たことで、音楽活動における効用もあった、とはいえる。フジロックやロッキンジャパンなどの大型フェスに出演するようになったことは、日本の音楽シーンで活動しているくうえで重要なことだった。

そうして、藤原さくらを取り巻く状況が大きく変化したあと、2ndアルバム『PLAY』がリリースされる。

『PLAY』(2017年)

藤原さくらは、1stシングル『Soup』と2ndシングル『Someday / 春の歌』の2枚のCDシングルをリリースする。その流れで、2017年5月10日にメジャー2枚目のスタジオ・アルバム『PLAY』がリリースされる。ちなみに、2ndシングル以降藤原はシングルをCDパッケージではリリースしなくなる(2020年時点)。

『PLAY』は、簡単に言うと、彼女がJ-POPと正面切って向き合う中で作られていったアルバムだ。藤原は音楽を始めた当初から、J-POPと洋楽の共存というテーマをもって楽曲を制作してきたが、このアルバムでは音楽以外の部分も含めて大衆性というものと対峙したといえるのではないか。

ドラマで使用された福山雅治・井上鑑プロデュースの「Soup」「好きよ 好きよ 好きよ」と、映画主題歌としてカバーしたスピッツの「春の歌」という、本人が作詞作曲したものではない曲が3曲収録されている。これが、他のアルバムと決定的に違うポイントだろう。
タイトルの「PLAY」には、「演じる」「楽器を演奏する」「遊ぶ」などのいろいろな意味が込められている。上記3曲以外の楽曲は、「他の誰か」になりきって、演じるように歌詞を書いて歌っている。ドラマでの「他の誰か」を演じた経験が「PLAY」というコンセプトにつながっている。

アルバムは「Soup」「好きよ 好きよ 好きよ」「春の歌」の3曲に、どのような曲を加えていくかというアプローチで制作されていった。バラエティには富んでいて聴きやすい作品にはなっている。ただ、終始アルバムの統一感みたいなものはまとまりきらなかった印象がある。
それに、自分の音楽性と大衆性の両立という課題は保留にされたままだ。ここで重要なのは、ドラマに出演したことではなく、人の作った曲を歌うことでもない。大衆性を獲得したあとの、自身の音楽性との折り合いつけ方である。

福山雅治との仕事

ただ、これだけは確かだと思うのだが、ドラマだけはなく音楽制作においても、福山雅治と一緒に仕事をしたことは藤原さくらにとって何ものにも代えがたい経験となったに違いない。
そして、音楽家・福山雅治の有能さをあらためて感じた。

「Soup」「好きよ 好きよ 好きよ」はドラマ内で藤原さくら演じる佐野さくらが歌う曲として作られた曲だ。同時に、藤原さくらが歌う曲としても作られた楽曲だ。福山雅治は、ドラマの世界観に合った曲を作るのと同時にミュージシャン藤原さくらの曲をプロデュースするというじつに難しい仕事をこなしている。
今までの曲と並べて聴いても藤原さくらのイメージから"そこまで"大きく変わっていない(と思われる)のは、楽曲のプロデュース・アレンジがドラマにも藤原さくらにも配慮しているからだろう。
それに、バンジョーやフィドルやアコーディオンといった楽器の音色が響くカントリー要素のある曲が、日本のヒットチャートに入るのもかなり珍しいことではなかったか。言うまでもなく、編曲を福山とともに手掛けている井上鑑の存在も見逃せないものだ

ただ、もちろん音楽に対する趣味趣向はそれぞれだ。福山雅治が作った2曲に対しても、それまでの彼女の音楽的イメージに誤解を与えてしまうものだったのではないかという評価をする人もいるだろう。そのような見方は理解できる。
ドラマに出るまで、テレビ的にはまったくの無名の存在だったわけで、テレビでのイメージがのちのち彼女のアーティスト・イメージや彼女の音楽性の固定観念になってしまう懸念はあった。TVの影響力は下がったと言われて久しいが、ほぼ無色に近い素材に偏向した色を強く塗り付けてしまうぐらいの力は、テレビにはまだある。

ドラマでのイメージがイコール自分のイメージとなってしまうことや、作詞作曲していない曲が自身の代表曲となることへの戸惑いはゼロではなかっただろう。
だが、本人は冷静に自分の状況を理解しているようである。そして、誠実に自分の仕事と向き合い、新しい世界での人との出会いが、彼女の成長の糧になっていることがわかる。

ドラマに出演したことで、監督さんやスタッフさん、共演者の人たち、そしてもちろん新しく出会ったファンの人たちと、本当にたくさんの出会いがあって。それで感じたのは、「ドラマがなかったら、みんな出会えなかった人たちなんだな」ということ
この先のステップをいくためには、受け入れなければならないこともたくさんあった……いろいろと悩むことが多いけど、全部肥やしにできればなって。“春の歌”で歌ってるみたいに、<食べられそうな全てを>食べていこうと思っています

ドラマを通して多くの方たちに知ってもらえたので、そのことはちゃんと受け止めたい」と謙虚に自分の置かれている立場と向き合っている。「Soup」がいい曲だったからこそ、いつかは「この曲を超えたい」という貪欲な思いも屈託なく語っている。



ここでいちおう書いておくが、

たまに、「大手芸能事務所は所属アーティストを"商品"としてしか見ていない」とか、「本人の意向など二の次で事務所は儲けることしか考えてない」とかいった批判を見かけることがある。ビジネスなのだから儲けることに優先順位を置くのは当然のことだと思うのだが、特にアミューズのような大手芸能事務所は音楽業界だけではなく芸能界全体でビジネスを展開しているせいか、アーティスト個人の意向を踏みにじる形で仕事を行っているのではないかという疑念を抱く人が多いのかもしれない。アミューズに対するイメージの問題でもある。
しかし、わたしは、芸能事務所やレコード会社などのいわゆる「運営側」が、アーティストのやりたいことを抑圧している、アーティストの活動のすべてをコントロールしているという陰謀論めいた考え方はしないようにしている。応援しているアーティストが、自分が期待したような仕事をしなかったりするとき、実はアーティストが望んでそうしたかもしれないのに、すぐに条件反射で「運営が無能」「アーティストは被害者」といった短絡的な批判をしないようにしたい。そのような見方を全否定するつもりはないが、あまりにも単純すぎる。これは、半分は自戒を込めてそう考えている。
もちろん、あらゆるビジネスがそうであるように、すべてがアーティストの思惑通りに進むことはなく、運営側がビジネス的に"仕掛ける"局面もあるだろう。音楽産業は、アーティスト以外にも、芸能事務所・レコード会社・広告代理店・プロモーター・メディアなどの多数のプレイヤーによって動いているわけで、その中でビジネスとして音楽を続けていく以上、すべての仕事が自分の思うがままにはならないのは当然のことだ。とはいえ、まったくアーティストの意志が尊重されないのかといったら、そんなことはないだろう。ルールを破らない限りは。

閑話休題。

藤原さくらの演技への挑戦には驚いた。もしかしたら本人的に乗り気でない仕事なのではないかとも疑った。
しかし、ドラマ出演を含めた自身の活動に対する発言を読んだり聞いたりすると、マネージャーなどの助けを借りながら、主体的に仕事を選びとっていることは十分に分かるし、なにより音楽以外の仕事で得た経験値を音楽へと還元させることで、自分をさらに成長させようとしている貪欲な姿には非常にポジティブなものを感じる。
しかも、ドラマに出演をしたことがのちに、劇団☆新感線の舞台の仕事につながっている。出演作品は少ないけれど、役者のキャリアも確実に積み重ねている。2016年に蒔いた種は、仕事においてもそして人間関係においても、これからの彼女の人生においていろんな花を咲かせていくことだろう。


さて、
2017年の7月、アルバム『PLAY』を引っさげたツアーが幕を閉じる。彼女にとって過去最大規模のツアーだった。
そして、中野サンプラザでの2デイズ公演が終わった日、それ以降の活動に小さくない影響を与えるであろう変化が起こる。

担当マネージャーの交代である。

初めての担当マネージャーの交代

PLAYツアーの最終日、公演のラスト間際のMCで、藤原さくら本人の口から、約3年間ずっと二人三脚でやって来たマネージャーがツアー終了後に担当を外れることが伝えられた。

初代担当マネージャーは、藤原さくらが2014年の春に上京して仕事を開始したときに就いた、と思われる。もうひとり、元ポルノグラフィティのマネージャーだった棚瀬氏も藤原さくらを担当していた。こちらは、担当マネージャーというより、エグゼクティブ・マネージャーのような活動を統括するような立場だったのではないかと思う。わからないけど。

アミューズの運営がどのような人事体制によって行われているのかは当然知らないのだが、おそらく、日々の活動の雑務からアーティストの活動運営を行うのが担当マネージャーで、その上にエグゼクティブ・マネージャーのような中間管理職的なポジションの人間がいて、さらにその上には会社全体のマネージメントを管理している役職があるのだと思う。わからないけど。

初代担当マネージャーは、ファンから"でんでん"というニックネームで呼ばれ親しまれていた。音楽活動に専念するために上京し一人暮らしをはじめた藤原さくらにとって、でんでんは頼りになる大切な存在だっただろう。ふたりとも新人同士だった。いっしょに芸能界でのそれぞれのキャリアをスタートさせたのだ。
女子ふたりきりで、ギターなどの重い荷物をもって全国のイベントに行くことも多かったという。フェスではひとりで物販を担当していた。顔を出すことは少なかったが、ネット配信にもたまに出演したりして、ファンにも知られた存在だった。
人事異動は一般企業では普通にあることなので、ことさらドラマティックにとらえる必要はない。だが、音楽活動をやっているアーティストにとって、しかもほぼ社会経験がないソロでやってるシンガーソングライターにとっては、担当マネージャーは毎日いっしょに行動をともにする相棒ともいえるような存在であり、良くも悪くもアーティストに大きな影響を与えてしまう存在だ。

アルバム『PLAY』のクレジットにはふたり(でんでん、棚瀬氏)の名前が入っていたが、2018年のEP『green』ではふたりの名前がない。おそらく棚瀬氏も、同時に、PLAYツアー後に藤原の担当から離れたか、もしくは他のポジションで今も関わっているのかもしれない(ここら辺のことは、内部事情ゆえに、わからないことが多いので、わたしの想像に過ぎない)。

メジャーデビュー以来、音楽以外では素人同然だった藤原さくらを"一人前"のシンガーソングライターに育てたのは間違いなくこのふたりの功績だったと言って過言ではないだろう。


ちょっと時間を戻そう。

藤原さくらは、ドラマの出演後、テレビでの仕事も始める。2017年4月にはポンキッキーズのメインMCに抜擢される。ポンキッキからの流れをくむ子ども向けバラエティ番組だ。BSで放送されていたこともあり、のんびりと長期的にやるものだと思われたが、2018年3月にシリーズ45周年で番組自体があっけなく幕を閉じてしまった。

ドラマに出演しアルバム『PLAY』を出し全国ホールツアーを成功させ、テレビの音楽番組にも出演し音楽以外にもレギュラー番組も始まり、「藤原さくらはこれからはいわゆる芸能界的な仕事をしながら音楽活動をしていくのかな」と思われた。音楽活動においても、他のアーティストたちと同じように、「シングル曲を作りタイアップを組んでCD化→それを3回ほど繰り返す→曲が溜まったらアルバムを作る」というようなJ-POPサイクルでやっていくのかなと漠然と思っていた。だが、結果的に、そうはならなかった。

しかも、藤原さくらは、2017年5月にアルバムを出してから2018年2月にデジタルシングル「The Moon」を出すまで約10か月、新曲をリリースしなかった。新曲を出さないのでプロモーション活動もなく、単発のテレビ出演はあったが、自分のレギュラーラジオ以外では、メディアに出る頻度もだんだん少なくなっていった。
当時、これはビジネス的観点からみて意外なことだと思われた。なぜなら、せっかくドラマに出演したり映画の主題歌を担当したりと、自身の音楽のファンも増え、マスメディアに出るようになり認知度が上がっていて、売り込むチャンスだったのにもかかわらず、10か月も新曲を出さなかったのだから。
もちろん、曲のリリースこそしていなかったが、フェスやイベント、他アーティストと仕事はしていた。だが、曲を出さないことでメディアへの露出は確実に減少したし、はたから見ていて、どことなく活動のスピードが落ちたように感じられた。それまでの勢いを無駄にしているのではとも思ってしまった。

新しいマネージャーによる(小さな)変化


話が前後して読みにくいかもしれないが、話はまたマネージャーの話題に戻る。

出会いあれば別れあり。
そして、別れあれば出会いあり。

2017年7月、藤原さくらの新しい担当マネージャーに就任したのが、"みちるさん"と呼ばれる女性マネージャーである。みちるさんはでんでんと比べると、あまりというかほとんど姿を表に出さない(これが普通だと思う笑)。

わたしは、この新マネージャーみちるさんが、藤原さくらの活動の方向性を徐々に修整していった、と思っている(おそらく藤原本人の意志もあっただろう。ここから先はまったくの想像だ)。

藤原さくらは、ドラマで、たったワンクール=3か月間、テレビというメディアに出ただけだったのに、その影響は大きかった。
別に演技をやることが藤原にとって悪いことではない。が、ドラマのイメージや主題歌Soupのイメージを藤原さくらの音楽にそのまま当てはめる人は少なくなっただろう。

たとえば、ドラマに出たことの影響で明らかに変わったのは、メディアで着る衣装だ。ドラマ出演以前はファッションや衣装もカジュアル志向(というか、かなりラフな感じ)だったが、ドラマ出演後は若干アイドルの要素が入った"ふりふり"したフェミニンな衣装を着ることが多くなったように思えた。いわゆる「女性シンガーソングライター」的な型に当てはめようとしていたように見えてしまった。ドラマの放送が終了したあとも、ドラマのイメージを踏襲した衣装やへスタイルだった。もちろん、それが間違っているというわけではない。ただ単純に、衣装の変化に違和感があったのだ。とはいえ、衣装が変わっても、音楽性も急にベタベタのJ-POPを歌うようにならなかったのはよかった。

そして上記にように、PLAYツアーの終了のタイミングで、マネージャー等を含む運営体制に変化があった。
それにともない、藤原さくらの活動方針がちょっと変わったように思えた。ドラマに出演して以降の状況を基準に、活動していくことへの懸念もあっただろう。むしろ、活動方針が変わったという言い方よりも、自分がこれからやっていきたい音楽活動が定まったというとらえ方のほうが適切なのかもしれない。

ちょっと大げさな表現になるが、このタイミングで、それまで不安定だった藤原さくらというミュージシャンのいわば"アーティスト・イメージ"を確立するフェーズに入ったということではないだろうか。そして、みちるさんが最初に取り掛かった仕事は、アーティスト・イメージに関する領域だったのではないだろうか。

マネージャーが変わり、まず顕著に変化したのが、ビジュアル面だったと思う。
さっき書いたが、活動体制が変化したことで、まずメディアへの露出が減った。メディア露出の減少とともに、藤原さくらのビジュアル・イメージが徐々に変わっていく(少なくともふりふりの衣装は着なくなった)。それは微細な変化だったかもしれないが、とても重要な変化だった。単に年齢を重ねたから衣装が変わったということではない。
ここら辺の藤原さくらのビジュアル・イメージについてもっと何か書けるかもしれない。

そして、これもビジュアル面にかかわることだが、
藤原さくらは2018年に、写真メインの冊子「ZINEシリーズ」を立ち上げる。
ZINEとは、非商業的印刷物ぐらいの意味である。ようは同人誌的な雑誌のことだ。

藤原さくらのZINEシリーズは、カメラマンの大辻隆広や、幼なじみのデザイナー竹下ひかりを中心に、親交のあるスタイリスト・ヘアメイクアーティストが集まりインディペンデントで制作されている。このチームで制作された作品は、2020年時点で、四つのZINEと一つのポスターがある。通販のみで販売していたが、ZINE3からは代官山・六本木蔦屋書店やセレクトショップBIN Tokyoなどの実店舗でも販売されるようになった。

ZINEシリーズは、文字による情報はなく、写真だけで作られている。日常を切り取った写真集というより、作品ごとの明確なコンセプトをもとにスタイリッシュな写真で構成されている。あくまで写真の作品であるという前提があり、変な媚はそこにはない。インディペンデントで制作していることもあり、ほぼすべてを自分たちの意思のもとで表現することができる。
ZINEの制作は、ファンに対して、「藤原さくらはこういうイメージをもったミュージシャンですよ」というメッセージが込められているように思う。ビジュアルだけのメッセージ。強引に深読みすれば、だけれど。


ちょっと話がずれるが、
ビジュアル面でいうと、メジャーデビュー以降のジャケットデザインを含むアートワークを担当している、アートディレクター藤田二郎の存在も大きい。藤田はNujabes『Modal Soul Classics』のジャケットをデザインしたことでも知られている。藤田は、作品ごとに藤原の変化を反映させたデザインを施している。デビュー以来一貫して藤田を起用することで、いろいろと活動や音楽性が変化していく中でも、藤原さくらというミュージシャンのアイデンティティを保つことにつながっている。ファンに対して、持続性を担保しつつ変化も反映させたアーティスト・イメージを提供できるのだ。
アー写においても、「Soup」「春の歌」期のふわふわの衣装から、『green』期にはパンツスタイルに戻る。別にふわふわがダメなわけではないけど。

あと、ここでは書かないが、グッズのデザインの話を加えてもいい。

つまり、こういうことだ。

PLAYツアーが終わって新しいマネージャーになり『green』が出るまでの約一年間で、みちるさんを中心とした「新チーム藤原」は、藤原さくらというミュージシャンのイメージを"地道に"修整し確立していこうと考えていたのではないだろうか。
人気が上がるのは悪いことではない。だが、むやみに認知度を上げようとするのではなく、たとえ多少ファンが離れていったとしても、忘れられようとも、無理してマスメディアへ露出することは避ける。結果的にリリースペースが落ちたタイミングで、ビジュアル・イメージを自分たちにコントロールできる領域から少しずつ刷新し、そして本人のやりたい音楽活動の方向性を優先していこう。一般的に見ると、それはテレビ・芸能界的な場所から撤退したように写ったかもしれない。しかし、たとえそのように思われても、この時期に、ドラマに出た影響で出来上がったある種の固定観念と、自分のやりたい音楽活動のバランスをとる必要がある。そう考えたのではないか。

このような見立ては妄想でしかないかもしれない。が、わたし自身にはそう思えていた。もちろん、そのやり方が絶対に正しいというわけでないが。


そして、そのような漸進的な変化を施しながら約一年、2018年6月と9月に、藤原さくらは『green』『red』という2枚のEPをリリースする。そのときの、キャッチコピーが「第二章の幕開け」というものだった。これは音楽的な意味もあっただろうが、マネージャーも変わり新体制で新しく活動していくことも意味していたのだろう。

『green』・『red』(2018年)

2018年6月13日にEP『green』をリリースする。フィジカル・リリースとしては、約一年ぶりとなる作品だ。第二章の幕開け
繰り返すが、2017年の5月にアルバム『PLAY』をリリースしたあと、しばらく曲のリリースがなくなる。そして、翌年の2月に約10か月ぶりにデジタルシングル「The Moon」をリリースする。「The Moon」はアニメ映画のために書き下ろされた曲だが、CDリリースはされなかった。その間、上白石萌音に楽曲を提供したり、椎名林檎のトリビュート・アルバムに参加したり、盟友である家入レオと大原櫻子のふたりと曲をリリースしたり合同ライブを行ったり、斉藤和義のアルバムにコーラスとして参加するなど、音楽の仕事から離れたわけではなかった。
2018年の7月には野音でライブを行い、そのあと、韓国と台湾でライブをしている。

そして、9月19日にはEP『red』をリリースする。
曲作りとレコーディングも含め、2カ月という短期間で一気に録った作品である。
ふたつのEPは作詞作曲はすべて本人が手がけ、トータル・プロデュースをmabanua (Ovall) に一任する。参加ミュージシャンも少なく、ほとんどを藤原とmabanuaのふたりの音によって作られた作品である。音楽的には、それまでの生楽器主体のバンドアレンジではなく、打ち込み主体のサウンド構成になった。じつは、Ovallとともにライブをしていく中で自然と打ち込みというアプローチで曲を作りたいと考えていたという。

『green』と『red』の2枚のEPは、藤原さくらの新機軸の作品といえる。実験的でありながらポップさのある、まさに「新章の幕開け」と呼ぶにふさわしい作品になっている。
『à la carte』から『PLAY』にかけて、藤原さくらは自身の音楽をもっと広げようとする方向性があった。が、『green』と『red』のEP二部作には、アニメの主題歌として書き下ろした曲が数曲入っているが、mabanuaのマニアックで細密な音作り(藤原はヘンタイと表現している。いい意味で)も加味して、非常に作りこまれている作品という印象を受ける。
デビュー以来おりにふれ藤原にインタビュー記事を書いている音楽ライターの黒田隆憲は、「green」と「red」は藤原の目指すジャンル横断的な感性と音楽的な実験的要素があり、「次にどんな曲が飛び出すのか分からない楽しさ」があり、「ジャンルで言い表すのがますます難しい作品」となったとレビューしている。わたしも黒田の意見に同意する。個人的に非常に気に入っている作品だ。一方で、いわゆるJ-POP的な文脈からはいったん離れたとも言えるかもしれない。

さて、
このEP二部作に関するインタビューで、藤原はアルバム『PLAY』までで、音楽的に「ひと区切りついた」と述べている。

「……(『PLAY』をリリースしたあとは)自分が音楽で何をしていきたいのかっていうことに向き合った1年でした」
「…自分の中で抱えていたものを全部完結させて、また新しく何か、自分で作りたいなと思って始まったEPなんです」
「…これまでの自分の音楽的要素があった上で、新しく作りたい曲の傾向も少しずつ変わってきているんです」

「音楽で何をしていきたいのかということに向き合う」ためには、最少人数でしかも気心知れたmabanuaとふたりで協働するという形態が奏功したとは言えるだろう。ちょうどこの時期から、ピアノをはじめたり、打ち込みを制作に取り入れるようになる。
「改めてきちんとメロディの立った曲を書こう」という意識に変わってきており、「日本語で歌いたいなあって思う曲が増えてきているのは、自分の中の変化」とも語っている。
それでいて、「ちゃんとポップじゃないとダメだな」とも述べている。
活動初期からずっと語っている、ポップとコアの共存という藤原さくらの音楽的なテーマは健在だ。

そして、2018年の秋から『green』『red』を引っさげたyellowツアーがはじまる。
だが、yellowツアーが終了したあと、藤原さくらはふたたび作品リリースが開いてしまう。

『PLAY』を出してから『green』を出すまで約1年1か月、CD作品のリリースは開いた。藤原さくらは『red』以降も、またもや新曲のリリースが滞ってしまう。冒頭でも書いたように、新曲は、2018年9月に『red』を出してから、約1年5か月後の2020年2月にリリースした「Twilight」と「Ami」まで待たなければならなかった。本人は、単なるスケジュールの都合でリリースが開いてしまっただけだと言っている。もちろん、劇団☆新感線の舞台という新しい仕事や、アメリカへの短期語学留学などの影響があったことも関係しているだろう。

楽曲のリリースがなかった2019年

2019年に入ると、藤原さくらはふたたび新しい挑戦をする。
舞台への出演だ。
2019年から2020年にかけて開催される作品で、しかも劇団☆新感線
ドラマ出演から、約3年ぶりの演技の仕事である。
稽古期間を含めると、2019年のまるまる上半期が舞台の時間に当てられた。当然、その間は音楽活動から離れることになった。
舞台が終了したあと、約一か月間、藤原はアメリカに滞在する。語学の勉強のための短期留学だ。


帰国後、約半年ぶりに音楽活動を再開する。ただ、曲のリリースはなかった(ボーカルゲストとして参加した「SANABAGUN.」の曲のリリースはあった)。
自分の新作を出さない中、2019年の秋からは、全国ライブハウスを回るTwilightツアーを開催する。引っさげるアルバムも新曲もない状態で、ツアーを回るのもそれまでにはなかったことだ。今までのバンドメンバーではなく、ミツメのドラマー須田洋次郎を中心とした新たなバンドメンバーを集めツアーを行った。

そして、3rdアルバム『SUPERMARKET』リリースへ



2020年。世界は変わってしまった。

2020年に入り、藤原はふたたび劇団☆新感線の舞台に出演する予定だった。しかし、2月から始まった舞台は、新型ウイルスの影響で、東京公演の一部と福岡公演は中止になってしまった。

世界が未曾有の状況に陥った中、藤原さくらは、スケジュールを前倒しし、本格的に3rdアルバムの制作に入る。

ここで、冒頭の話に戻ってもいい。
が、文字数も15000を超えている。笑
どうやらここら辺でこのnoteは終わりにした方がいいようだ。笑


藤原さくらがいま事務所内でどのような位置にいて、これからどのような活動を望んでいるのか。外部からではよくわからない。
藤原さくらは音楽的にもっと評価されるべきだと、当然ファンとしてはそう思っている人は少なくないだろう(まあどのファンの人でもそう思っている)。だが、自分の音楽的魅力を多くの人びとに伝えることはけっして簡単なことではない。そして、自分のやりたいことをやるためには、ある程度マスメディアに出る必要があるということでもある。日本の音楽業界が、良い音楽を作れば正当に評価されるような世界ではないことはよくわかってる。そこは、宣伝とかプロモーション活動の要素がはずせない領域だろうし、さまざまな力関係が働いている。それは藤原さくら本人だけの力では限界がある。

気づいたら、みちるさんが担当マネージャーになって3年近く経った。在任期間は、初代マネージャーでんでんよりも長くなった。
これまで書いてきたように、新しいマネージャーの就任以来、藤原さくらのアーティスト・イメージが少しずつ変化していった。みちるさんは、藤原さくらの目指す音楽性を表現できる環境を丁寧に拵えることに尽力してきた。そうわたしには見えている。
とはいえ、ここら辺で、藤原さくらはもう少し自分の音楽を広げようとする勝負をしてもいいのではないかとも思う。ファンとしては、もっと多くの人に藤原さくらの音楽を聴いてもらうような展開を期待してまう。
みちるさんはどう思ってるだろうか。絶対これ読んでないだろうけど。笑

別に、テレビに出てほしいとかそういうことではない(というか、今のテレビ、特に音楽番組は、自分の曲すらやらせてもらえず、まったく関係ない過去にヒットしたJ-POPをよくわからない芸能人と歌わされるだけの残念な場所になってしまった……。以前はテレビは才能を発見し紹介するメディアだった。しかし現在、もはや新しい事物を発見することそのものをネットにアウトソーシングしてしまい、ネットやSNSでバズったものを紹介するだけのメディアに成り果ててしまった……)。

おそらく、3rdアルバムは、『PLAY』以降の総決算的な内容になるだろう。
それは音楽性だけではなく、少しずつ(本当に少しずつ)アーティストのアイデンティティを刷新し、新しいアーティスト像を確立してきたプロセスが全面的に反映した作品になる。もちろん、これはファン目線でしかないが、アーティスト・イメージも音楽性も、藤原さくらにしか作れないような個性を十分に育ててきているように思える。この5年で、藤原さくらの音楽に対するアティテュードみたいなものの土台はしっかり整ったのではないか。
冒頭で書いたように、3rdアルバム『SUPERMARKET』は、「かなり攻めた」作品になっているみたいだが、藤原さくらが高校時代から取り組んできた「JPOPと洋楽の共存」「ポップとコアの共存」という音楽的なテーマは、次のアルバムでどのような形で表現されているだろうか。楽しみでしかたない。
そして、それをどのように広げていこうとするのだろうか。そちらも楽しみだ。なにも変わらなかったらそれはなんか寂しい。


長々と書き過ぎてしまった。
最後の方はなんか取っ散らかった感じになってしまった。それでも、ざっくりとだけど、藤原さくらの活動を振り返れたと思う。だが、もう一度言い訳しておくが、この文章はわたしの超個人的な想像からできたものである。

もうすぐ、藤原さくらのニューアルバム『SUPERMARKET』がリリースされる。


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