私の最愛の海外文学10選(その3)

https://note.com/cieletmer_clair/n/nc490850e6b94

 これらの続きです。

7.獄中からの手紙(著:ローザ・ルクセンブルク、編訳:大島かおり、みすず書房)

獄中からの手紙【新装版】 | ゾフィー・リープクネヒトへ | みすず書房 (msz.co.jp)
 ローザはポーランド生まれの革命家。スパルタクス団を母体にドイツ共産党を立て、指導的な立場にあったが、11月革命に続く1月蜂起の際に反革命義勇団により殺された。本書は、そのローザが年下の友人であるゾフィー・リープクネヒトに獄中から送った手紙を集めたものである。ゾフィー・リープクネヒトは、スパルタクス団→ドイツ共産党においてローザと同じく指導的立場にあった同志カール・リープクネヒトの妻。
 マルクス主義者としての顔をのぞかせることもあるが、政治犯として捕えられている身であるからだろう、政治的なトーンは控え目で、数々の書簡に充満しているのは、年下の友人を気遣う心配り、植物や鳥など自然界に対する驚きと感動に満ちたまなざし、詩や音楽といった芸術への関心と感受性。そして何よりも、人間への、存在するものへの、世界へのまじりけのない愛と肯定。暗い時代にあって、希望を失わない楽天の意志。
 私が一等好きな一節を、多少長くはなるが引用する。あらゆるものへの惜しみのない愛と、美しい楽天が表現されている。

わたしが――特別な理由もないのに――いつも歓ばしい陶酔のうちに生きているのは、なんと奇妙なことだろう。たとえばここの暗い監房で石のように固いマットレスに横たわり、周囲は教会墓地なみの静けさに満たされていて、自分も墓のなかにいるような気がしてくる。窓からは、獄舎のまえに夜どおし灯る街灯が毛布の上に反射光を落としている。ときおり聞こえてくるのは、遠くを通りすぎてゆく鉄道列車のごく鈍いひびき、あるいはすぐ近く、窓の下で歩哨が咳払いし、こわばった脚をほぐすために何歩かゆっくりと重い長靴で歩く音だけ。踏まれた砂が絶望のきしみ声をあげ、その音は出口なき囚われの身の全寂寥感をひびかせて、湿った暗い夜へと吸い込まれていく。そこにわたしはひとり静かに、闇、退屈、冬の不自由さというこの幾重もの黒い布にぐるぐる巻きにされて横たわっている――それなのにわたしの心臓は、燦々たる陽光をあびて花咲く野辺を行くときのように、とらえがたい未知の内なる歓喜に高鳴っている。そしてわたしは人生に向かってほほえむ。まるでなにか魔法の秘技を心得ていて、悪いこと悲しいことはぜんぶ嘘だと罰して、純粋な明るさと幸福に変えてしまえるかのように。そうしながらも自分でこの歓びの原因を探ってはみるけれど、何ひとつみつからず、またしても――われとわが身が可笑しくて――ほほえんでしまう。わたしの思うに、魔法の秘技とは生きることそれ自体にほかなりません。深い夜の闇も、しっかり眺めさえすれば、びろうどのように美しくて柔らかです。歩哨のゆっくりとした重い歩みにきしむ湿った砂の音も、正しく聴きさえすれば、やはりささやかな美しい生命の歌なのです。そのような瞬間に、わたしはあなたを思い、この魔法の鍵をわけてあげたくてたまらなくなります。それがあれば、あなたがどんな境遇にあっても、いつも人生の美しいところ、歓ばしいところに気づくでしょうし、彩り豊かな草原を行くように陶然として生きることでしょう。なにも禁欲主義だの空想上の歓びを説いて、あなたをたぶらかそうというのじゃありませんよ。わたしが五感でほんとうに感じとっている歓びのすべてを、あなたに伝えているのです。それに加えて、わたしの内面の涸れることのない明るさをわけてあげたい。そうすれば、あなたは星をちりばめたマントに身を包んで人生を歩んでゆく、そのマントがあなたをあらゆる卑小なこと、些細なこと、不安にさせることから守ってくれると思えて、わたしは安心していられます。

『獄中への手紙 ゾフィー・リープクネヒトへ』(著:ローザ・ルクセンブルク、編訳:大島かおり、みすず書房)から[ブレスラウ 一九一七年一二月二四日以前]

8.レクイエム(著:アンナ・アフマートヴァ、編訳:木下晴世、群像社)

レクイエム (gunzosha.com)
 世界への愛や希望の意志を語る文学もあれば、苦難を語り、受難の者たちに捧げられるものもある。「銀の時代」を代表する詩人、アンナ・アフマートヴァの代表作と目される『レクイエム』は後者に属する作品だ。自身も、夫と息子が収容所に送られた詩人が、「大粛清」に巻き込まれた者に差し入れすべくレニングラードの獄舎の前に列をなす妻や母に捧げるレクイエムである。
 愛する者を不当に奪う力を「すっかり書く」ことにより、言葉は、祈りとともに慰藉を与え、時を超えて告発し続ける。詩人が響かせるのは、妻であり母である当事者として抱える個人的な愛と悲しみであると同時に、言葉に見出された者が背負う民族の嘆きである。


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