私の最愛海外文学10選(その1)

 すこし前のことにはなるのだけれど、旧Twitterにおいて、「#私の最愛海外文学10選」というハッシュタグが流れ、私は次のように投稿した。

 改めて眺めても、我ながらいいラインナップだと思う。出来の良し悪しは別として(もちろん傑作ばかりを選んでいるつもりではあるけれども、)、誰に何と言われようと、たじろがずにその作品を愛していると言えるような作品たち。
 書名だけを並べるのでは、芸も無ければ愛も感じられないから、一作につきひと言ふた言、簡単に個人的な思いを書いていきたい。

1.もっと、海を――想起のパサージュ(著:イルマ・ラクーザ、訳:新本史斉、鳥影社)

もっと、海を ─想起のパサージュ - イルマ・ラクーザ 新本史斉|鳥影社 (choeisha.com)
 まずは、イルマ・ラクーザの『もっと、海を――想起のパサージュ』。昨年の1月頃にはじめて読んですっかり魅了された作品。スロヴェニア人の父とハンガリー人の母との間に生まれた著者は、幼少期だけでも、リマソンバト、ブダペスト、リュブリャーナ、トリエステ、チューリッヒと越境を続け、現在はスイスを拠点に活動している。多和田葉子による解説にある言葉を借りれば、文化圏としての「ヨーロッパ人作家」である。そうした著者による遍歴を辿る自伝的作品が本作。「境」(言語であれ、地理的なそれであれ、夢と現であれ、彼岸と此岸であれ)に立つ文学作品と、「今、ここ」のパースペクティブと過去の淡いパースペクティブを重ね合わせながら、現在の自分が、(その意味を疑い韜晦しながら/剰え創作さえしながらも)過去に意味を与えつつ物語るという回顧的/自伝的な文学作品が好きな私にとっては、そののびやかで、世界を慈しみつつ警戒するような筆致も相俟って、生涯ベスト級の作品となった。

2.追悼のしおり(著:マルグリット・ユルスナール、訳:岩崎力、白水社)

追悼のしおり - 白水社 (hakusuisha.co.jp)
 次に紹介するのは、マルグリット・ユルスナールの『追悼のしおり』。『ハドリアヌス帝の回想』や『黒の過程』(小説としてはこれは一番面白いのではないかと思う。)で知られる著者の自伝的三部作「世界の迷路」の一作目である。本作は、マルグリットを出産して間もなく、産褥で命を落とした母フェルナンドの家系を紐解く。「自伝的」とはいうものの、母親にまつわる記憶のない著者は、ここでは書かれる立場としてはほとんど登場しないし、母親やその家系を描く手つきは感傷に流れない(この点、筆者を育てた父ミシェルとその家系をめぐる二作目『北の古文書』や自身に関する三作目『なにが?永遠が』とは、色合いが異なっている。)。といって冷たいわけではなく、対象に注がれる視線からは、距離を保った(諦念にも似た)情け深さが感じられる。ベルギーの名家として、近代化の中で没落してゆく一族を静かに描いた歴史小説として読んでも面白い。
 (版元品切というのは許し難い……白水社さん、何卒……)

3.冗談(著:ミラン・クンデラ、訳:西永良成、岩波書店)

冗談 - 岩波書店 (iwanami.co.jp)
 ミラン・クンデラは、私が一番好きな海外作家かもしれない。多分一番読んだのは『不滅』か『笑いと忘却の書』で、はじめて読んだのは『不滅』。出会いのきっかけであり、いまだに読み返すことの多い『不滅』こそ「最愛」という言葉には似つかわしいような気がするが、この『冗談』には、私がクンデラの文学を好む理由が色濃く現れているように思われる。
 『冗談』は、とある青年が絵葉書に書いた冗談により、その人生の歯車が狂うのを、四人の登場人物の視点から語る作品である。この作品には「キッチュさ」や「人生の喜劇性」、「民族と歴史」といった、後のクンデラ作品における主題の芽も見え隠れするけれど、それ以上に、次のことを感じさせる。それは、世界や出来事が視点に先立つものとして現に在りつつ、プリズムのように、視点により相異なる限られた様相しか、人間には把握できないということ。そして、世界や出来事は、それらの異なる像の総体であること。これはクンデラが、小説の登場人物はすべて可能的な著者自身であると語っていることとも整合的ではないか、その意味で彼の作品の中核にある認識ではないかと思う。

 まだ、すべての作品に触れられていないが、今回の記事はここまでとしたい。


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