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What would you do?

  「言葉は、人を救うことがある。そして、殺めることも。」

 小学校5・6年のクラスでいじめを経験して、心無い言葉や行動が人を傷つけることを嫌というほど知っている。ターゲットが変わっていくいじめに、クラス全員が誰をも信用していない異様な空間で、人の笑顔を疑う癖がついた。昨日楽しく喋ったのに、今日は誰も口をきいてくれない、ということが続いたからだ。中学の時、後輩が自らを消す道を選んだ。友と思っていた複数の人間の裏切りが原因と聞いた。小学校のころを思い出すのと同時に、取り返しがつかないざわつきと、自分より幼い子が消えることを選択したことへの衝撃を覚えている。小学校のいじめは辛かったけれど、自分はただ耐える選択をした。いじめが自らを消すことに繋がることを知らなかった。

 この経験が、後々就く職を選ぶきっかけになった。子どもたちと一日の大半を過ごす仕事だ。時として、自分の黒い記憶がフラッシュバックするような現場に遭遇することもある。そのたびに、目の前の子どもたちに伝えてきた。

「言葉が人を救うこともあるけれど、傷つけることもあることを忘れるな」

 SNSが爆発的に普及した昨今、「ネットリンチ」という言葉が生まれた。無数の匿名の敵から一斉攻撃を受ける。警察が動く事態になることが少なくないと知って驚いた数年前。子どもたちにも魔の手が掛かっている事案に当たると、ざわつきが止まらなかった。満たされない人間が「匿名」という隠れ蓑をいいことに、捌け口としてロックオンした人間を叩く。箍が外れてしまっているし、それを止める人間もいない。そして、相手が見えない。相手の心が見えない。そして、相手を追い込んで消える選択をさせてしまうような、痛ましい事件が起こる。他の誰のせいでもない。自らの意思で、人を消しているのだ。

 記事を目にして、これまで感じた「痛み」が一気にフラッシュバックした。自分が傷つけられたばかりではなく、傷つけたことがあって、それはごく最近のことでもあるから、今日はとても辛かった。。。残念なことに、人の笑顔を疑う癖は大人になっても治っていない。ある意味、命の瀬戸際にいるくらいの心持ちだったから、傷は深く、未だに周りを信じていない自分がいる。その傷が、攻撃的に自己防衛をするきっかけになって、謀らずも傷をつけてしまう。随分さびしい癖を身に着けたものだと思うから、こんなに面倒くさい自分を受け止めてくれた友に本当に救われている。

 あなたならどうする?

いつも自分に問いかけていようと思う。自分の言動は自分の責任の元に。