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時が戻せたら

7年前、仕事終わりに気付いたメール。

「おばあちゃんが亡くなりました」

当時バリバリの社畜だった私。仕事を終えたのは21時を回った頃で、いつもより早くて後ろめたさを感じつつ開いたメールでした。    

父からのメールは時間をおいて2通。2通目には、通夜の準備は終えたから今日は帰らなくていい、とありました。すぐに連絡、既に家にもどって就寝準備を始めていると聞いて、実家に戻ることはやめました。              

  一緒に退社した仲間が飲みに誘ってくれて「献杯」と。内心凄まじい罪悪感に支配されていて、一人になる前に寄り添ってくれたのは本当にありがたかったです。

『罪悪感』

父方のばあちゃんは大正生まれで、同じ年頃の方々と比べると身長は160近くあって高め、和裁洋裁なんでもござれ、戦争でじいちゃん不在中、3人を女手一つで育て上げた、何でもできた女傑でした。そんなばあちゃんが突然脳梗塞で搬送されて、半身麻痺になって施設に入り、それきり家に戻ってくることはありませんでした。

施設に入った頃は仕事が休みになる土日に会いに行っていました。ばあちゃんは「もう来なくていい」と毎回私に言いました。へこたれずに足を運んでいましたが、ばあちゃんは次第に語気を強めていき、目を合わせなくなりました。「もう来なくていい。おじいさんが早くお迎えに来ればいい」と言うようになりました。仕事がどんどん忙しくなっていて、自分のメンテナンスが追い付かない状態でばあちゃんの言葉を聞くのが辛くて、だんだん足が遠退きました。      

そして1年くらい過ぎたあの日、唐突に別れが訪れました。会いに行かなかった罪悪感はとてつもなく大きくて、泣くことすら難しいほど強く自分を責めました。なす術がありませんでした。

その翌年、研修で高齢者施設へ行くことがあって、そこで私は、ばあちゃんの気持ちをわかってなかったんじゃないか、取り返しのつかないことをしたのではないかと思い当たりました。            

なんでも自分でできたばあちゃん。そのばあちゃんが人の手を借りなければトイレやお風呂を済ませることができなかった自分への失望。来なくていい、は、そんな姿を見られたくなかった気持ちだったのではないか。一人になりたかったわけではなかったんじゃないか。ばあちゃんの心のモヤモヤを受け止めるだけでもできたんじゃないか。考えても、もう手が届きませんでした。

父にこの気持ちをLINEで送ってみました。     父からは「私も、もっと会いに行けばよかったと今もずっと思っています」と返事が来ました。父の、気持ちを表に出さないのはばあちゃん似なんだなと。気丈に振る舞う血筋にありながら、私はあんまり似ていない。

ばあちゃん、鈍い孫でごめんね。ばあちゃんがいなくなってからも、ばあちゃんから学ぶことがたくさんあります。こんな思いを残さないように生きていきます。

あいたいな