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ぼっち・ざ・ろっく!はなぜエモいのか

--結束バンド内の関係の考察、あるいは感情に任せたオタクの駄文--

(サムネは最終回の現実逃避のために酒を飲むオタクと重なった公式配布画像 引用元: https://twitter.com/mangatimekirara/status/1141994238152007680 )

はじめに

拙作。自分の前の記事です。ぼざろを見てない人はこっちも見てね。

この記事は「ぼっち・ざ・ろっく!」の引用を交えながらオタク語りをします。先に本編見ておかないとネタバレ踏みますのでご注意ください。

自己紹介

オタク。Vtuber、邦楽(EDM/バンドメイン)、ゲーム、アニメ、マンガ、ガジェットがメインの生息地。

この記事について

前の記事では結局、(自分の意見もあるとはいえ)作品を勧める記事になりました。なので、オタクとしての感情を書き出して整理する記事が別途ほしくなりまして。というわけで、ここに感情を吐き出します。

「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品の主題

作品の主題として考えたとき、まずはタイトルにある「ぼっち」と「ろっく」こそが主題だろう、と思ってます。
ここにおける「ぼっち」とは、「ぼっちちゃん」という女の子の名前でもあるわけですが、主題としては「孤独」という意味の「ぼっち」です。
つまり、この作品は「孤独」と「音楽」こそがメインテーマなわけです。
まぁ、「陰キャならロックをやれ!」というキャッチコピーからも明らかなわけではありますが……。
とはいっても自分は一介の音楽ファン。作り手としての事情なんて知りません。バンドどころか楽器も授業以外で触ってない人間です。なので、ここでは「孤独」を軸に思考を深めていきたいと思います。

そこから思い返す自分語り

自分は小中とあまり人となじめずに過ごしていた記憶があります。高校は幸いにして仲間に恵まれたため、あまり孤独を感じませんでしたが、とはいえ自分の根底には小中の経験が脈々と流れています。

「かくれんぼする人、このゆびとまれ!」
(私なんかが、あの指に、とまっていいのかな)
そう悩んでいるうちに乗り遅れて、気づいたらひとりぼっちの子

ぼっち・ざ・ろっく! #1「転がるぼっち」

「学生の頃は、教室の隅っこで、本読んでるふりしてるやつでした。友達いなくて」

ぼっち・ざ・ろっく! #1「転がるぼっち」

最初のセリフがまぁ刺さる刺さる。特に後半の「本読んでるふりしてるやつ」なんてのはまんま僕。僕は一応ふりじゃなくて本当に読んでましたが。
そんな僕が、何でここまで声を出せない人間になったのか。その答えも「ぼっち・ざ・ろっく!」に片鱗がありました。

「で、でも、私が誘ったら、私が場所とか時間決めないといけないだろうし……」
「うわあああ、みんなを満足させられるようなプランが思いつかないぃ」

ぼっち・ざ・ろっく! #9「江の島エスカー」

要するに、自己肯定感が低かった、ということなんでしょうね。きっと。自分が計画してもまともなプランができないので、誘うことができないと。結果自らが主体で行動できないので、誰かに誘われない限り単独行動になると。つまりはそういうことだったわけです。
僕もまともな記憶はないのですが、どこかのタイミングで自己肯定感が地に落ちて、それ以降何もできない陰キャになった記憶があります。そういえばそうだった。

キャラクターの関係性について

ぼ虹

そんな人間が一歩を踏み出すためには、外部からの力が必要です。主体的に動けないなら、受動的でも踏み出させるような外力が。

「ありがとう!早速ライブハウスへゴー!」
「まだ何も言ってない!」

ぼっち・ざ・ろっく! #1「転がるぼっち」

きっとぼっちちゃんにとってはそれが虹夏ちゃんだったんでしょう。彼女がサポートギターを必要とするあまりにとったその行動が、まさにぼっちちゃんが踏み出すための外力として働いたわけです。
そういう点で、ぼっちちゃんと虹夏ちゃんはお互いにお互いの存在に依存したわけです。ここから。ぼっちちゃんは、虹夏ちゃんを「自分の環境に変化を与えてくれる人」として、虹夏ちゃんは「無茶な状況を打破してくれる人」として。そしたら、ねぇ。8話であんな話になるのも宿命ってもんです。

ぼ喜多

翻ってこの作品には、もう一つ大手といわれる組み合わせがあります。それがぼっちちゃんと喜多ちゃん。12話で描かれたまさに黄金の組み合わせ。

「かわいくて運動ができて人望もあって、その上ギターまで弾けるなんて」「そんな子を私が勧誘できるの……?」

ぼっち・ざ・ろっく! #3「馳せサンズ」

蓋を開けてみれば、当時はギターを弾けなかったわけですが。ぼっちちゃんにとっては、まさに自分が持っていないすべてを持っている完全無欠な存在に見えたことでしょう。恐らく、そんな感情は最終話まで続くはず。では喜多ちゃんの感情は何だったんでしょうか。

「えぇ、感動!後藤さん、ギターうまいのね!」
「さっきの演奏すごく引き付けられるっていうか……」

ぼっち・ざ・ろっく! #3「馳せサンズ」

この瞬間、最初「後藤さん」に近づいたタイミングでは、純粋な関心などもあったと思いますが、おそらく打算のようなものがあったのではないか、と邪推しちゃったりします。

「そうだ!後藤さん、ギター教えてくれない?私の先生になって!」
「こんなうまい後藤さんが教えてくれるなら、頑張れる気がするかも!」
「今度こそギター弾けるようになって、前のバンドの先輩たちに謝りに行きたい!ねぇ、いつ教えてもらえるかしら?放課後とか?」

ぼっち・ざ・ろっく! #3「馳せサンズ」

まるでその場の思い付きのように話していますが、もしかしたら近づいた時点からそうなってほしいという思いがどこかにあったんじゃないか、とか……。考えすぎかもしれないですけど。
とはいえ、その打算は早々に謝る機会がやってきたことでご破算となります。

「何でもしますからあの日の無礼をお許しください!どうぞ私をめちゃくちゃにしてください!!!」

ぼっち・ざ・ろっく! #3「馳せサンズ」

その後自罰的な感情から一度はバンドから身を引こうとした喜多ちゃんを引き留めたのがぼっちちゃんだったわけで……。しかもそのあと一からバンド仲間になるために練習を付けています。その中で、おそらく喜多ちゃんは最終話に向けてのそういう感情をはぐくんだんだろうなぁ、と思います。
としたときに、ぼ喜多の関係は尊敬(あるいは崇拝)に近いものなのかもしれないと思います。ぼっちちゃんは「自分よりはるかに人付き合いがうまい陽キャ」として、喜多ちゃんは「自分よりはるかにギターがうまい孤高の天才」として、お互いを見ているのではないかと思います。
(思ったより喜多ちゃんの感情を分析するのが長かったですね……)

ぼリョウ

あまりアニメで描かれない関係性ですが、ぼっちちゃんとリョウさんの関係性も扱っておきましょう。ぼっちちゃんはまず、リョウさんを孤高の人と定義し、孤独な自分と違う、と判断します。

「いや違う!リョウさんは一人でいるのがすきな人だ!」
「コミュ障は一人で服屋入れないし、ぼっちと一人好きの間には、決して埋めることのできない深く大きな溝が!」

ぼっち・ざ・ろっく! #2「また明日」

対してリョウさんですが、まるでわかっているふりをしているような会話でしたが、もしかしたらこの時点でぼっちちゃんの環境をすぐに把握したのがリョウさんだったのかもしれません。(後々の音楽の話で「ほんとだもん」とか言っている感じから「嘘まではいわない」と仮定すると)

「次のライブまでにはクラスメイトに挨拶できるくらいにはなっておきます!」
「何の宣言?」
「目覚ましい成長……」

ぼっち・ざ・ろっく! #1「転がるぼっち」

そんなわけで、ぼっちちゃんが真っ先に「結束バンド」内で打ち解けたのは実はリョウさんだった、という説を提唱します。早々に「気とか使わなさそう」とか言って歌詞の相談ができるのは、そういう縁があってのことだと。

「リョウさん、かな。リョウさん気とか使わなそうだし」

ぼっち・ざ・ろっく! #4「ジャンピングガール(ズ)」

……書いといてあれですが、ないです、それはない。その後、気まずいとか言ってますから。まぁ、そのあとに歌詞を見せて打ち解けるんですけど。

「き、気まずい……そういえばリョウさんと二人きりで会うのは初めてかも。いまいちどういう人かも知らないし」

ぼっち・ざ・ろっく! #4「ジャンピングガール(ズ)」

逆にリョウさんのほうは早々に性格を掴んで「ぼっちにならたかれる」とか予想しておしゃれカフェでカレー食ってたとか……。(それはそれでお前どうなんだっていう気もしてきますけどね)
というわけで孤高と孤独であまりかかわりのない二人ですが、実は蓋を開けるとお互い理解しあっている関係には早々になっているんじゃないかなぁと予想したりしています。この辺深堀がないので自信はないですが。

おわりに

関係性っていう観点で考察してみるとなかなか面白いですね。今までこういう考察あんまりしてこなかったんですけど、かなり興味深かったです。まぁ、あくまで一個人の考察なので、あんまりあてにしないようにお願いしますね。意見っていう感じで。
(本当なら胸を打ったポイントを書くつもりが、結局関係性の話を書いてしまった……。興奮して主題がずれてしまった……。)

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