「ぼっち・ざ・ろっく!」から入るアジカンのススメ

この記事なに?(前振り)

「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品の元ネタともいえる、「ASIAN KUNG-FU GENERATION」というバンドの曲をおすすめする記事です

「ぼっち・ざ・ろっく!」とは?

通称「ぼざろ」。まんがタイムきららMAXにて連載中の4コママンガ。ジャンルはバンド・ギャグ。バンドに憧れる超絶陰キャギター少女、「後藤ひとり(ぼっちちゃん)」が「結束バンド」というバンドに入り、成長していく物語。2022年10月-12月でTVアニメ化された超話題作。

「ASIAN KUNG-FU GENERATION」とは?

通称「アジカン」。邦ロックバンド。2003年からメジャーデビューしている由緒あるバンド。2000年代にアニメ主題歌をかなり担当したので、世代の人は知ってるはず。「BLEACH」「NARUTO」「ハガレン」と作品名を挙げると少しは凄さが伝わるはず……!

「ぼざろ」と「アジカン」の共通点は?

「ぼざろ」の登場キャラクターは、大体バンドの奏者から名前がとられています。で、主人公のバンド「結束バンド」の名前は全部「アジカン」が由来になっています。ほかにも、「下北沢SHELTER」や「金沢八景」など、「アジカン」ゆかりの地が作中で登場している接点もあります。
そんな接点から、先述のTVアニメでは、サブタイトルがアジカンの楽曲に由来するものになっています。また、最終話のEDに、アジカンの楽曲のカバーが起用されました。

アジカンおすすめ楽曲紹介

ぼざろサブタイトル元ネタ曲

なんと公式でプレイリストがあるんですね。まずこれを聞こう!話はそれから。
特にこの「転がる岩、君に朝が降る」はぼざろバージョンとは違う力強い歌声に注目。あえて自信なさげに歌うカバーバージョンと聞き比べて二度おいしい楽曲です。

「リライト」

消して リライトして
くだらない超幻想 忘れられぬ存在感を

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「リライト」

アジカンの最初期楽曲。「鋼の錬金術師」のOP主題歌です。原作のモノクロ扉絵はバンドPVをもとに書かれています。その最初、原作2話の扉絵がなんとこの曲。勢いのある演奏に「消してェェ!!リライトしてェェェ!!!」というボーカルの声が乗るインパクトのある一曲。

「遥か彼方」

君じゃないなら 意味がないのさ
だからもっともっともっと 遥か彼方

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「遥か彼方」

アジカンの最初期楽曲その2。「NARUTO」のOP主題歌です。この曲以降NARUTOといえばアジカン、というレベルで何度もタイアップします。もはや叫びにすら聞こえるサビの熱唱は、まさにバンドの最初期、という印象のある楽曲です。

「迷子犬と雨のビート」

僕たちの現在を 繰り返すことだらけでも
そういつか君と出会おう そんな日を思って日々を行こう

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「迷子犬と雨のビート」

「四畳半神話大系」のOP主題歌です。ジャケットのイラストレーター「中村佑介」さんが同作も担当していた縁から主題歌を担当した曲。先に取り上げた2曲と異なり、飄々とステップするような楽曲です。

「ブルートレイン」

とめどない青さの行き先は
夢からさめたような今

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「ブルートレイン」

個人的にアジカンにドハマりした曲。踏切や列車の走行音に見立てたリズムの上を、疾走感のままに歌い抜ける楽曲です。PVもオシャレ。個人的に「結束バンド」の「あのバンド」はこの曲を意識している、と思っています(実際どうなのかは不明)。

「ソラニン」

例えば緩い幸せがだらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して もう さよならなんだ

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「ソラニン」

実はぼざろ以前にも、アジカンをフィーチャーしたバンドものがありました。それが、「ソラニン」。漫画を原作に、実写映画になった作品です。この曲は作中にある詩に曲を付けたもの。明るい曲調で欠けた悲しみをうたう曲は、ものさみしげにも聞こえます。

「ムスタング」

偽りはない 虚飾などない もともとはそんな風景画
絵筆を使い 書き足す未来 僕らが世界を汚す

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「ムスタング」

映画「ソラニン」からもう一曲。静かに胸を打つ、それでいて激情をたたえた楽曲です。

「触れたい 確かめたい」

触れたい 確かめたい
触れたい 確かめたい

ASIAN KUNG-FU GENERATION 「触れたい 確かめたい」

実は5話「飛べない魚」のサブタイトルはアフレコ台本時点では違ってました。そのサブタイトルは「歌いたい 弾きたい」。この引用元は公式には語られていませんが、おそらく「触れたい 確かめたい」である、と言われています。この曲は「羊文学」というバンドの「塩塚モエカ」さんとのコラボ曲。二人で歌うこの曲は、男性ボーカルのアジカン曲とは一味違う曲です。

さいごに

「アジカンが通じないぼざろファンがいる」と聞いて泡を食い、お勧めする記事を書きました。でも確かにメジャーデビューから20年だし、タイアップは2000年代が多いし、世代交代を感じて切なくなりました。別に知らなくてもぼざろは楽しめるし、そうであってほしい。でも、音楽的背景を知ってるともっと楽しめるので、ぜひ触れて確かめてみてほしいと思います。

願わくば様々なバンドサウンドに触れる人が増えんことを……。

おまけ -アジカンに拒否反応を起こす人へ-

※ この先は「アジカンに拒否反応を示す」、いわゆるおじさんに向けたコメントです。何のことかわからん人は閉じてOK。「自分だな」と思う人だけ、読み進めて貰えばと思います。

「アジカン」や、そのボーカル「後藤正文」に苦手意識を持つ人は、そんなに少なくないと思っています。その理由はとても明快で、「政治的にめんどくさい人」として取り上げられたから。とある集会に出たり、その中で変なコメント出したり、まぁ一時期のあの人はそれはそれはめんどくさかった。
その記憶から、苦手意識がある人はまぁいると思います。かくいう僕も、ぼざろまで聴きなおそうともしませんでした。自分の音楽フォルダにあることを忌々しく思ったことさえありました。

ですが、改めて聴きなおして思うのは、「名曲は名曲である」という一点です。どんなに製作者がアレであっても、「素晴らしい作品はある」し、どんなに道徳者が作っていようと、駄作はあるわけで。
例えば坂本龍一が「めんどくさい人」であったとしても、YMOの「ライディーン」は名曲だし。太宰治が「クズ」だろうとも「走れメロス」も「人間失格」も名作だし。

昨今、「キャンセルカルチャー」という言葉があります。これは、「人の言動をもとにその作品を排斥する動き」を指すものです。
ですが、オタクなればこそ、そういうものには立ち向かっていかなければならない、と考えます。将来、大好きだった作品がそれによって焼かれないためにも。(個人的に、最近好きだった作曲家がやらかしていろいろ曲がお蔵入りしてすごく悲しい気持ちになったりもしました。)
我々は「よい作品はよい」という審美眼をもって、作品を見なければなりません。そこに製作者は関係なく、ただ「よき作品」があるのみである。そう考えなくてはなりません。

別の言い方をするならば。「作品は製作者の子供である」とも言います。製作者が「我々の手を離れた」ということも。であるならば、そこに込められた意図がどうあろうとも「受け手の自由」である、ということです。例えば「出前に箸が入っていない怒り」を歌ったはずの曲が、「社会への恨み節」に聞こえたっていいわけで。「ここが好き」ならそれでいいわけです。

つまり何が言いたいかというと、「人じゃなくて楽曲を評価しろ」ということです。いい曲はいい。それでいい。それ以上はいらないわけで。
それでも脳裏にちらついて聴けない人は、しばらく置いておくといいです。感情がふやけて落ち着くまで、ほかの好きなものを愛しておけば。別に嫌いなものに時間を費やしておけるほど、あなたの人生に時間があるわけでもないでしょう。愛せるものをたくさん見つける、それだけで十分です。
そうして落ち着いたときに、もう一度見直せばそれで十分だと思います。

以上、これを機に聞き直したオタクのたわごとでした。

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