【エッセイ】死にたい僕を有名にしてくれ
自撮り。Instagram。インフルエンサー。
ネットアイドル。承認欲求。希死念慮。
世の中には様々な形のいわゆる"推し活"がある。
推し活という名の、崇拝と信仰。
オタク的サブカルチャーに傾倒した10代くらいの少女たちには大抵推しがおり、その推しは多岐にわたる。例えば異性であれば、バンドマンからインターネット上の"歌い手"などの活動者であったりするし、同性であればInstagramなどで自撮りなどを発信しているネットアイドルであったりもする。
特にも同性のネットアイドルというのは少女たちの憧れの的であり、心理学における同一視の対象でもある。
ファン側の、「自分もあの子のようになりたい」という憧憬。そして"推し"側の、ある意味での承認欲求。
宗教的な側面をも持つ"推し"とそのファンの関係には、多種多様な思惑が絡んでいる。
これは誰かしらの推しがいる"ファン"全員に言えることではないことをはじめに断っておくが、
ファンの中には推しとプライベートな関係を持ちたい、推しと恋人になりたい、推しと個人的な繋がりを持ちたいという欲求を待つ人々も度々存在する。
もしかするとあなたが崇拝する推し自身にも、また推しが存在していて、あなたの推しは「推しと繋がる」ために、ファンにとっての教祖たる"推し"側になったのかもしれない。
さて、そろそろわたしの話をしようか。
単刀直入に言えば、わたしは有名になりたい。
細い身体で、儚い美しい顔になって、本当のわたしではない人格の仮面を、ペルソナを纏って。
沢山の人々に崇拝され、信仰される教祖になりたい、という欲。
そのために既に仮初に、不完全に創られた、わたしではない"僕"という仮面が、わたしには存在する。だが、まだこの「朝凪ヒカリ」以外の姿で、"僕"としてインターネットの世界に出たことはない。しかし"僕"は朝凪ヒカリの中に統合された存在でもあって、朝凪ヒカリという姿でこのインターネットに顔を見せる限り、朝凪ヒカリは"わたし"であり"僕"なのである。
わたしは決して美人でもなければ可愛くもない。
別に体型がスマートな訳でもない。
けれどわたしはしばしば自撮りをする。
そのすべてを加工という現代の魔法で、理想の自分に変えてしまえるからだ。
加工とフィルターさえあれば、わたしは"僕"という名の造花になれるのだ。
とはいえ、おとぎ話のシンデレラもそうだったように、魔法はいつか解けるものだ。しかも魔法にかかってもそれは本当のわたしではない。ただの虚像だ。ビビデバビデブー、と唱えずとも理想の自分になれるけれど、その魔法が解ける時間はあまりにも早い。
現実世界の鏡を見れば、綺麗に加工された写真とのギャップにただ虚しくなる。
鏡といえば、国民的漫画である「ドラえもん」の中に登場するひみつ道具の中に、「うそつきかがみ」というものがある。うそつきかがみに映る人間の顔を、まるで別人のような美形に見せてしまうというひみつ道具だ。
わたしはまさしくこれは現代における加工アプリの喩えであると思っている。
わたしは現代の魔法に、あるいは「うそつきかがみ」に踊らされているのだ。
それこそドラえもんのような不思議な力で、スマホの画面の中の加工された自分に、"僕"になれるなら、どれだけ良かっただろうか。
いつかわたしは、加工の魔法にかからなくたって、"僕"という名の造花になれるだろうか。
限られた窮屈な花瓶の中でしか咲けない、嘘の花弁、けれど美しく枯れない、永遠のそれに。
"僕"はいつか何者かとして誰かに崇拝されて、いつかわたしの中の神様───────わたしを救った"推し"に会いに行きたい。
別にプライベートで繋がりたい訳じゃない。
推しと付き合いたい訳でもない。
けれどただ一度でも、直接に会いたい。
どんな形でも、推しと一緒に仕事がしたい。
そして救ってくれた恩を、祈りとして捧げたい。
わたしも、"推される側"に行きたい。
でもそれは推しに会いたいから、だけじゃない。
意図して創られた"僕"を着こなして、朝凪ヒカリとして有名になって、短歌もエッセイもギターもバンドも可愛い自撮りも、やりたいことを全部やって、わたしは今までの散々な人生を取り返してやる。そしてその暁には世界に堂々と中指を立てて、「わたしを不幸にして死なせようったってそんなことできなかったな、この世界には!ざまあみろ!」と世界を嘲笑ってみせたいのだ。
わたしは"僕"としてやりたいことが山ほどある。
いつか、これらのエッセイや歌集や小説を誰かに認めてもらって、それを出版社から出して、本として実体を持ったわたしの言葉たちが、しっかりと本屋の店頭に並んでいるのを見たい。
いつか、もっとギターと作曲が上手くなって、バンドを組んでギターボーカルになって、自主制作でもいいからCDを出したい。ライブがしたい。
いつか、今よりずっと痩せて可愛くなって、皆から「可愛い」と憧れられるインフルエンサーになりたい。
推しと同じように表舞台に立つ人間になって、推しと何かしらの形でも一緒に仕事がしたい。
それらを朝凪ヒカリとして叶えた果てに、
沢山の本屋にわたしの本が並んでいる様子を、
バンドマンのわたしがライブしている様子を、
わたしが皆の憧れの的になっている様子を、
わたしが推しと一緒に仕事をしている様子を、
そして何より、わたしが本当に元気に輝く姿を、
誰よりも、亡くなった大好きな恩師に見せたい。
「ああ "ヒカリ"さん、頑張ってるね、偉いねえ」
恩師に、天国から笑ってそう言ってもらえたら。
恩師を亡くしてからまだまだ日は浅い。
だが、恩師を亡くした以前・以後で、本当の意味ですべてが変わってしまったのだ。
わたしのすべてにおけるあらゆる意欲の根幹は、丸ごとに「恩師のため」に変貌した。
恩師のためにもっともっと命を削って身を粉にして、苦しいほどに書かなければ、詠まなければ、弾かなければ、美しくならなければ。
19歳。未来への焦り。数えても数えても計測し切れないくらいの無数の他者から評価されたい。でもまだまだ、それには程遠い。朝凪ヒカリとして活動し続ければ、いつかはそれが叶うのだろうか。いや、叶う気配もない。死にたい。というかそもそもわたしは何者なのだろう。いったいわたしは"誰"なのだろう。その何者か、に わたしは成れるのだろうか。死にたい。
これは正答なき自問自答の果ての、一種の答えであり、ある意味での別解であり、その記録である。
誰だっていい、炎上以外ならどんなきっかけでもいいから。
死にたい"僕"を有名にしてくれ。
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