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【エッセイ】19歳、恩師を亡くす。体調を崩す。すべてが変わる。

聞いてください。わたしは今、地獄にいます。

とても緩やかな、絶望の底にいます。

人間のかたちを諦めて、死んでさえしまおうかと思いました。齢19にして何度も心から『死にたい』とは思っていましたが、その具体的な日時やスケジュール、死の手段さえ決めて友人と計画を立ててしまうほどに追い詰められた『死にたい』はこれが初めてでした。しかし、今こうしてわたしがここに文章を書いているということは、その計画は無事と言うべきか頓挫し、生きることを選んだということです。

しかし冒頭でも書いた通り、わたしは今、とても緩やかでまるで夜凪のような絶望の底に、地獄にいます。それでもここで生きることを決めました。

はじめに言っておきます。このエッセイは、過去の経験を乗り越えた美しい話ではありません。穏やかな日常を綴った話でもありません。紛れもない、"今"、現在進行形の"緩やかな地獄"の中で、"緩やかな絶望"と共に生きる、地を這いずり回る、19歳のわたしのお話です。これは、絶望を乗り越えた過去の話ではない。今の、わたしの、存在証明として、残します。言わせてください、わたしはここにいます。ここで、生きています。生きているんです。わたしは確かに、ここにいます。「助けて」なんて、言いません。ただわたしが、どうか今ここで叫んでいることを知ってください。



まず、わたしの大切な人の話を、させてください。

わたしの絶望は、ここから始まります。

わたしという存在そのものを揺るがすほどの、大きな出来事が起こってしまったことに起因します。

今年の一月、世界で一番に尊敬する大好きな恩師を、突然の事故で亡くしました。

わたしが現在通う通信制高校で教鞭を執っていた、誰よりも優しく人の痛みを理解できる先生でした。先生は症例の少ない珍しいがんと、うつ病に罹患し、鮮明な死の恐怖を味わった人でもありました。

先生は、わたしが通信制高校に転学して最初の授業で、

「まず、おれの授業に来てくれてありがとう。今この席に着いておれの話を聞いてくれているみんなは、今この席につくまでの今までの人生で、おれの想像を絶するくらいの辛く苦しい思いをしてきたと思います。それでもまた、もう一度学ぼうという強い意志と信念を持って、この学校に来てくれた。この学校で学び直すという決断は、あなたたちにとってとてもとても勇気の要ることだったと思う。それでもおれはここに学びにきた全員を、心の底から尊敬します。学校に来てくれるということはそれは決して当たり前ではない。おれはみんなより凄くも偉くもないけれど、がんで死の淵を見たから生きる尊さはわかっているつもりです。生きてくれて、ここに来てくれてありがとう。」

真剣な眼差しで教室を見渡しながら、こう言いました。

ここまで、先生はまっすぐに生徒のことを見てくれているんだと、わたしは強く胸を打たれました。きっとこの初めての授業の記憶は、わたしの先生を想う気持ちの根底になっていて、一生忘れないものだと思います。

わたしは生まれつき足が少し不自由で、それが原因で小中学生の頃、長くいじめに遭ったことがありました。誰も助けてくれなかった。教師にすら酷い言葉を投げつけられた。学校も教師ももう信用しない、だなんて息巻いていたわたしの心を、優しく受け止めてほどいてくれた先生が、何よりも学校へ、通信制のスクーリング(登校し授業を受ける日)へ行く理由になりました。

あれから学校が楽しくなったわたしは、軽音楽部に入部しました。中学生の頃駄々を言って買ってもらったギターを挫折して放置したままでいたので、もう一度ギターに挑戦しようと思ったのです。
部集会の顔合わせの時、偶然にも先生が顧問だったことに驚きました。先生はアマチュアバンドマンで、学校外のバンドでドラムとコーラスを担当しているとのことでした。
先生は、この軽音楽部を、「授業でもない、家でもない、優しい第3の居場所にしたい」と言いました。大会の出場などを目標にせず、出席も強制ではない。ただ来たい時にふらりと来て、好きな音楽の話をしたり楽器を鳴らしたりして、それで少しでもスクーリングの活力になればと、そういったコンセプトで活動方針を定めていました。当時、部員はわたしひとりしか居ませんでしたが、それでも毎週のスクーリングの放課後、部室に向かうのが楽しみで仕方がなかったのです。先生は、「この学校がもし全日制だったら、同好会に格下げか廃部になってるとこだったよ」と苦笑いしていましたが、こんな小さな部活だからこそ居心地がよかったのです。

部室で過ごす日々は少し不思議でした。
わたしがリュックを椅子に置くと先生は、
「どうする?今日ギター弾く?」
と尋ねるのです。

軽音楽部でありながら、先生は"楽器を弾かない"という選択肢も用意してくれていたのでした。

ただ先生が相談に乗ってくれる日もあったし、お互いの好きな音楽や漫画について語る日もありました。わたしの過去の辛い記憶さえ、優しく傾聴し記憶ごと抱きしめてくれたのです。

わたしがいじめられ、何も感じなくなってしまうほど心が壊れてしまったこと、飛び降りようと何度も思ってしまったこと、学校のベランダで飛び降りろといじめっ子たちに囃し立てられたこと。
泣きながら先生と2人きりの部室で全てを吐露した時、先生は、

「ああ、あなたはこんなに辛く苦しい思いをしてきたんだね、そのいつもの明るい顔からは読み取れないくらいに、辛い辛い思いをしてきたんだね。あなたがその時、飛び降りなくて本当に良かった。こんなに優しくて、いじめっ子たちにもやり返さなかったあなたが、生きていてくれて本当に良かった。俺は教師としてこんな素敵なあなたに出会えて心の底から嬉しい。辛い過去は消えないけれど、その辛い思いやフラッシュバックは和らげることができる。こんなおれだけど、いつでも相談してほしい。少しでもあなたの苦しみが癒えて欲しいから。そしておれはこんなに優しいあなたをここまで追い詰めたいじめっ子が許せない。今からでも懲らしめに行きたいよ。」

 と、誰よりもわたしの苦しみに共感してくれたし、誰よりもわたしを虐げた人たちに怒ってくれた。わたし以上に悲しんで、怒ってくれたのです。

わたしは先生が、学校の誰よりも大好きだった。

わたしが先生と過ごした時間は実質3年と少しです。けれど、その3年はとても愛おしくて、きらきら眩しい目眩の中にいるように、美しいのです。

本当は先生に大往生して欲しかった。卒業後も一緒に、くだらないことで大笑いしていたかった。果たせなかった約束も、たくさんあった。

そんな先生のことを、バックボーンも兼ねて、まずはここに記しておきます。


さらにここから先は、わたしの2つ目の絶望であり、わたしの独白です。

文体がいわゆる"です・ます"体である敬体から、"である"体の常体に変わります。
 
そして拒食や嘔吐など、センシティブな話題について、(半分ほど)当事者的な目線でかなり詳細に書いておりますので、そういった話題にトラウマや不安のある方は、この先の閲覧をお控え頂けると幸いです。

文体や話題の内容から読みにくさを感じる方もいらっしゃるかとは思いますが、それでも今これを読むあなたが大丈夫だと思ってくだされば、どうか最後までお付き合い頂ければと思います。



痩せたい。痩せたい。痩せたい。 痩せたい。
今頭の中を異常に支配している言葉。

細く痩せて、テレビの中のあの子みたいに、綺麗に可愛くなりたい。ただ自分で自分を「可愛い」と肯定できるだけの、自分が欲しい。ノーマルカメラで撮っても、加工がなくても、可愛い自分が欲しい。

痩せたい。
 
決して「痩せたい」という思い自体は異常ではない。老若男女誰にだって一度は「痩せたい」と思ったことはあると思う。

けれど、今わたしの脳内を支配している「痩せたい」という感情はおそらく、傍から見れば異常な気がする。

一応のこと断っておくが、わたしは摂食障害や拒食症などの診断は下りていないし、体重も別に痩せている訳でもない。ただ、あるきっかけから、"異常な痩せ方"に片足を突っ込みかけているのだ。

そのきっかけと"異常な痩せ方"の深淵について触れる前に、まずわたしのダイエットや体型についてのバックボーンに触れておく。

わたしの体重は、わたしの身長152cmでの標準的な体重を超えている。服を着ている時の見た目は標準体型(だと思いたい)だが、毎晩お風呂に入る度に、洗面所の鏡に映る生まれたままの自分の姿を見ると、醜い体型の自分に怒りを覚える。

突然亡くなった恩師と映る写真の中の、わたしの身体の醜さにも腹が立った。もっと、一番きれいなわたしで恩師と写りたかったのに、と。

そして一番思い起こすのは、今でも覚えている記憶。わたしには、年上の綺麗な従姉妹がいる。その従姉妹が中学1年生あたりの時、当時流行っていた芸人の、いわゆる"歌ネタ"の替え歌で、『○○(わたしの名前)〜は〜、顔デカ!』と歌われたのが今でも心にちくりと残っている。その従姉妹にはきっと悪意はなくて、場を盛り上げるための一種のジョークだったのかもしれない。けれど当時小学生で、尚且つ学校でいじめられていたわたしは深く傷ついた覚えがある。彼女とわたしが従姉妹という関係であっても、言い方は悪いがわたしはずっとそのことを根に持っている。

お腹も脚も腕も、何もかも太い。
理想の体型にはまだ、まだ、遠い。

しかし、そんな風に毎晩自分の醜さに怒りを覚える割には、わたしはダイエットにおいて飽き性で挫折しがちだ。スナック菓子やスイーツ、美味しいご飯への誘惑にはすぐに完敗。それらを低糖質のものに置き換えようとしても、夕飯をサラダに置き換えようとしても、なんだか虚しくて、足りなくて、食べられずに挫折。甘い。とにかく自分に甘い。ダイエットすると意気込んでも、せいぜい続いて2日が限界。痩せたい、痩せたい、理想の体型になりたい、自分が醜いと思う割には変わる努力が出来ない。怠惰。とてつもない怠惰と意思の弱さ。わたしにはこの世に無数に存在するどんなダイエット方法も向いていない自信が確実にある。食べても太らない体質であるとか、お菓子だけ偏食していても細い体型を維持できる人であるとかが、死ぬほど羨ましかったのだ。

さて、話は"異常な痩せ方"に片足を突っ込みかけている、という本題に戻る。

執筆時点のつい数日前、原因は不明だが突然の吐き気に襲われた。その日から執筆の前日に至るまで、あらゆる固形物や水分を摂取しても嘔吐してしまい、病院を受診。なんとかゼリー飲料でやり過ごす日もあったし、早朝に耐え難い吐き気に襲われトイレに駆け込もうとするも、間に合わず布団に大量に嘔吐した日もあった。
病院では大きな点滴を2本、胃薬の注射を1本身体に入れ、おまけに血液検査をして帰宅した。点滴と胃薬のおかげか執筆現在は回復に向かい、本調子ではないしゼリー飲料とスポーツドリンクしか摂取できていないものの嘔吐することは無事になくなった。執筆現在の今日の朝、お風呂に入る前に体重計に乗ってみると、一気に3kg体重が減っているのがわかった。嬉しかった。確かに嘔吐は大変だったが、3kgも落ちて元気になった事実に心が少し明るくなった。


実を言うと、この体調が悪かった数日の間、吐きたくても吐けない時には右手の人差し指と中指の二本指を喉奥に突っ込み、舌の付け根をぐっと押して嘔吐を意図的に起こしていた。本当は吐き気がなくても意図的に吐いていた。減量するなら体調不良がチャンスだと思っていた所にちょうどよく嘔吐を伴う体調不良がきたので、本当は意図的に吐くのは嬉しかった。吐くのは苦しいし大変だけど、嬉しかった。

元を辿ればこの"喉奥に突っ込んだ指で舌の付け根を押す"という嘔吐の誘発方法は、わたしが全日制高校を挫折し通信制高校に転学する前……まだギリギリで全日制高校に通っていた頃から使っている方法だ。通信制高校に転学してからも、辛いことがあった時はトイレに駆け込んでこの方法でわざと吐いた。ネットで「わざと吐く方法」で検索していた時、過食嘔吐の症状を持つ人が解説しているのをたまたま見つけたのが始まりだった。

本当はわたしは、自己誘発性嘔吐の常習犯なのだ。一種の自傷行為だと、わたしは思っている。

そして絶対に自分はならないだろうと思っていた"拒食"という概念に、わたしは今まさに片足を突っ込もうとしている。だがしかし不思議なことにそれに危機感も恐怖も持っていない。「別にそうなってもよくない?」くらいの気持ちでいる。 
カロリーの低いゼリー飲料や好みの味付けのサラダ、飲み物だけを少なく摂って、カロリーの高いものを食べてしまったら味わってから吐けばいい。母親には「『これ食べたい!』みたいな食欲も湧いてきたよ」と嘘をついてしまったが、本当はもう"食"という概念にほとんど興味を失くしてしまったのだ。体調は元気になったけれど、興味がないから食欲もない。体調不良がわたしの中の食に対するあらゆる価値観を変えてしまった。……いや、もしかすると元から"食べたら吐けばいい"という価値観がわたしの中に眠っていて、それが今回の体調不良で呼び起こされたのかもしれない。

このことは家族にも、友人にも、周りの大人にも、精神科の主治医にでさえ、誰にも言っていない。ここで、今初めて書いた。

ママ、パパ、ごめん。
わたし、心身ともに健康な人間にはいつまで経ってもなれないみたいだ。

家族やわたしを支えてくれる人々への罪悪感はあるけれど、もう止まれない気がするのだ。

別に骨と皮だけの不健康な身体になりたい訳じゃない。栄養失調にもならないようにはしたい。
細くて、綺麗で、可愛いわたしになりたいだけなのです。それは単に、インスタグラマーのあの子とか、テレビの中のあの子とか、歌手のあの子とか、そういった美しくて可愛い人々への"憧れ"の感情なのです。ルッキズムとか、そういうことはどうでもいい。ただわたしが可愛いわたし、になりたいことに何の異論があるの。もうどんなダイエットも向いていないわたしには、これしかないの。最低限を食べて、吐くしかないの。

本当は何も食べたくない。食への興味がほぼ失せたとはいえ嫌いな食べ物はあるし、食べたくないけど生きるためには食べるしかないから、食べるならカロリーが低くて、わたしでも食べられるものがいい。

痩せなきゃ。痩せなきゃ。痩せなきゃ。痩せなくちゃ。きれいなわたしにならなくちゃ。可愛いわたしにならなくちゃ。これじゃダメ。これじゃダメ。呪縛がわたしの身体を、がんじがらめにしている。もっとかわいく、もっと痩せて綺麗にならなきゃ。これは呪いだ。大きな呪い。
だけどこの呪いを解こうと自分から思えるようになる日は、まだ当分先だと思うし、もしかしたらこのままでいいと永遠に思うかもしれない。

たとえ周りの皆がわたしのことを「可愛いよ」と言ってくれたとしても、わたし自身がわたしを「わたし、可愛い!」と思えるまで、わたしは納得がいかないから。

わたしは、"自分にとって可愛い自分"でなければ、この世界はちょっと生きにくい。

皮膚移植手術をして治療しているリストカットの腕も、悲しくてそれでも腕にはもう切る所がなくてカッターで切りつけたことのある脚も、コンプレックスの大きい鼻も、治ったりひどくなったりを繰り返すアトピーの根付く、ぽっちゃりした身体も、いつかわたしのすべてが、わたしにとっての"いちばんかわいい"に変わる日が来るのだろうか。

いつかこの夜凪は、夜明けが来て、日が昇り、朝が来て、明るい朝の凪に変わることができるのだろうか。静かで穏やかな、朝の凪の波間を縫うように、わたしはゆっくりと、たゆたえるだろうか。 

恩師と共に、わたしは生きていきたい。
たとえ恩師の姿は見えずとも、これからもわたしは恩師と一緒に、心で生きていきたい。いちばんかわいい、わたしで、生きていきたい。
そしていつか、巡り巡る時間の最果てで、本当に恩師に会える時が来たのならば、こんなにも寂しかったんだと言いながら恩師を抱きしめてやる。
もういいよ、なんて嫌がられるほどに、引かれてしまうほどに、今までの人生の全てをさらけてしまおう。このくらいは、許されるはずだから、きっと。こんなに苦しかったんだって抱きしめてもらうことくらいは、許されていいはずだ。

ああ、会いたいよ、先生。先生がいなくなってから世界は数ヶ月経ったけれど、未だにあなたがいない世界が信じられないよ。まだどこかにいるんじゃないかって、学校に行く度思うよ。職員室の、あなたのいた席に、別の新しい先生が座っちゃったよ。廊下で振り向いてもあなたがいないことも、職員室で笑うあなたがいないことも、何もかもが信じられなくて、訳がわかんない。帰ってきて、先生。帰って来れないのはわかるよ。痛いほどわかる。だけど、帰ってきてよ。お願い先生、助けて。先生がいることで生きてこられた世界なんだよ。

こんな世界で生きるのは、やっぱり難しい。
どこまでも先生のいない世界で、上手くなんて生きられない。辛い。辛いんだ、先生。

わたしという存在はいつまで続くのだろう。
どこまで続くのだろう。どこまでわたしはわたしでいられる?そんなことを考えながら、ぼんやりと文字を書く。文字にこうして残すしか、わたしの存在証明は残せないから。だんだんわからなくなってくる。何が言いたいのかも、どうまとめたいのかも、わからない。生々しい何か、が、生々しい感情が、生々しい、とにかく何かが、ぐるぐる頭の中で渦巻いて、わたしは今それをただ脳から文字に出力するマシンと化している。空腹の見せる夢の中でただ思考を吐き出している。訳が分からない。分からない。気付けばここまでの執筆時点でもう夕方だ。もうこんな時間なんだ、なんて思わないくらいにずっと書き続けている。ずっと無計画に書いていて、たった今気付いた。

これは、このエッセイはわたしの生きる証明書である。

紛れもない、今を生きるわたしの存在証明書。

そうだ、わたしは"緩やかな地獄"の中で生きているのだ。ああ、改めてそれに気付いた。気付かされた。わたしはここで生きていくのだ。これからも。

わたしは藻掻く。わたしは足掻く。
ここは緩やかな地獄の夜の底。 
たったひとり、わたししかいない罪人の地獄。
わたしはその地獄の一番下の奈落で、まるで蜘蛛の糸のような救いが垂れて来るのを待って、ただ毎日祈っているのだ。誰でもいい、誰でもいい。何でもいい、何でもいい。素敵などこかのお釈迦様、わたしに蜘蛛の糸を垂らしてください。この糸は、わたしの糸だ!と、必死に掴んで、他に居ない罪人を蹴落とすこともなく、地上に真っ直ぐに這い上がるから。ああ、誰か。

ねえママ、わたし、わたし、いつか、
いつか普通の人間になれるかなあ。
いつか立派な大人になれるかなあ。
けれど、普通ってなんだろう。
けれど、立派って、なんだろう。
弱くてわがままなわたしには、わからないな。
反抗期じゃないの、ママ。お願い聞いて。
普通になれないわたしを赦して。許して。
ごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね。

今日もわたしは藻掻く。わたしは足掻く。
やはりここは、緩やかな地獄の夜の底。

けれど今日もわたしは生きる。生きることを選んだ。この深い夜の中で、今日もわたしは地を這いずって血反吐を吐き生きるのだ。生きて生きて生きて生きて、みっともないくらいに、わたしは明日も明後日もずっとずっと、ありもしない永遠を信じて生き続けるのだ。

芥川の描き出した言葉の如く、"ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。"

未来のわたしの行方は、誰も知らない。

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