悲しき温帯
いかなる「未開」文明も大人の文明であり,一見「非論理的」に見える諸儀礼も,それ固有の論理を備えている。
我々が日常で所属する組織なり社会と言うのは,常に既得権益を守る事が目的となってはいないだろうか。それであるがゆえに外的環境の変化に合わせて適応していく事が出来なくなってはいないだろうか?組織なりの意思決定が一方に偏り時間がやたらとかかるために,時宜にかなった適切な対応が取れず,組織としての行動の連続性や長期的展望よりも,目前の問題の処理が優先され自ずと組織の行動力は低下していく。
一体この社会には長期的に物事を考える組織なり研究機関はあるのか,いやあったとしても,既得権益優先で抽象的慎重論で終わるのが目に浮かぶ。これが「大人の文明」と言えるのか。