鳥散歩 1 鶯は誘う

 2月20日、鶯の初音。
 華やかに春を告げる啼き声の身近さとは裏腹に、その姿を拝むのは至難の業だ。声の源に目を凝らす刹那、はらりと飛び去ってしまう。

 鳥散歩を始めて最初に買ったのが、「名前がわかる野鳥大図鑑」(鳴き声CD付き)。ここに載っているウグイスの写真を見て愕然とした。醜い。もっさりと毛羽立った姿。体は倍ほどに伸びて波立ち、嘴は半開き。幾月も放浪し消耗しきった感じのその姿。小鳥らしい愛らしさは全くない。普通の写真はないのかと見渡すも、掲載されている他の2枚は亜種の紹介。「大図鑑」に裏切られた感じでがっかりだ。

 これは何が何でも現物を拝まねば気がすまない。
 双眼鏡を握りしめて、さえずりの飛び交う藪へ向かう。歩くそばから啼き声が「ケキョケキョケキョ」に変わり、かなたの葉陰へと遠ざかる。このままではあかん。

 Eテレの特集番組を見つけて録画する。彼らは一定の縄張りを持つ。見通しのよい枝からホーホケキョとさえずり、異変を察知すると足下の妻たちにケキョケキョと警戒音を発するという。なるほど。付け焼き刃ながら生態を学習したところで、いざ出陣。

 鶯の囀りを抱いた藪に忍び寄り、石になる。耳を済ませ、彼が潜む枝を特定する。そっと双眼鏡を向けるその刹那、彼は消えてしまう。
 それでもしつこく通ううち、一瞬だけでも翼を翻して飛び去る姿を拝めるようになった。ありがとうEテレ!
 どうやら、がっつくと気配が伝わるらしい。期待に膨らんでいく胸を抑えつつ、篠竹の藪に沿って続く遊歩道にしゃがみこんでじっと待つ。「無」の境地が大事だ。

 毎朝毎夕ひたすら待つこと2週間。ある朝、すぐ脇の笹が突如ざわっと動いた。ケキョケキョの大音声。バサバサと翼の音もしげく飛び立つ彼と目があう。こんな近くで会えた。色は地味だけど風切羽がきれいだった。でも脅かしてしまった。申し訳ないと思いつつ、やっぱりホーホケキョと鳴いている姿がどうしても見たい。でもここにいたら彼は2度と来なくなるかもしれない。

 周囲の篠竹の茂り具合を入念に調べ、5メートルほど位置をずらした場所に、かろうじて彼の枝を斜めに垣間見ることができるポイントを見つけた。
 その翌日だ。彼が啼いている姿を見られたのは。羽を逆立てた萌黄色の小さな体は、倍ほどに伸びている。胸を膨らませ、全身を震わせ、細いくちばしを突き出してきゃしゃな喉から目いっぱいの音量でホーホケキョと絞り出している。大図鑑にあったまんまの、あの姿だった。あの囀りを生み出すには、ここまで体を酷使する必要があったのだ。彼はそれを幾度も繰り返す。
 私は自分を恥じた。
 満たされた、でもちょっぴり切なくなった思いを胸に家に帰り、改めて大図鑑を開く。ああ、啼いている。全身全霊をかけて妻子を守る姿は、尊く、健気だった。

 今年は春の訪れが早い。初音はゆったりとしたフルートの音色。安定した正確な「ホーホケキョ」は、音楽教師の模範演奏のようだ。
 こう鳴くのだよとお手本を示された後には、軽やかなピッコロが加わる。三寒四温、初心者の拙いホケチョも合流していよいよ春の訪れだ。
 鶯の鳴き声は、ほかのどの鳥とも似ていない。ホトトギスがどんなに頑張って真似をしても、やはり偽物だ。
 動物の鳴き真似といえば、江戸家さん。一門の方が最初に披露するのは、たいてい「ウグイス」。だって、鶯の鳴き声を知らない日本人はめったにいない。国民的「春の声」なのだ。
 
 花札の「梅に鶯」のモデルが「目白」であることは、意外に知られていないようだが、野鳥に興味のある人には冗談のような本当の話。
 春を先取りするように、ほのかな芳香を放って咲く梅。枝に集うメジロ達のオリーブ色の愛くるしい姿。梅の開花とともに美声を響かせつつも、姿を見せない鶯と勘違いしてもおかしくない。しかし、実はメジロさんたちは鈴を転がすような可愛い声でピョロピョロと啼くのだ。
 
 とはいえ鶯はスペシャルだ。豊かな声量に、巧みな節回し。音色も歌い方も千差万別で、里の春を華やかに祝いでくれる。
 
 桜が咲き始めると、本命が登場する。深い山懐から、肺活量を見せつけるかのような、成熟したテノール。どっしりとした深い音色の「ホーー」が徐々に膨らみ、最後に可憐な「ホケキョ」が里山に響き渡る。
 開花が進むとともに、里山は賑わいを増す。新参者が「ホケチョケチョ」舌足らずな練習を始めると、新人アーティストも加わって、さながら木管楽器の饗宴だ。大小素材も様々なオカリナたち。ホイッスル。篠笛、縦笛。
 様々な音色に包まれながら山の桜はさらさらと散っていく。
 
 鶯の歌に聞き入る。深く静謐な響き。目を閉じると、奥山の森閑とした空気に包まれる。
 鶯の囀りは魂を深山へと誘う。


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