『現代人の仲間意識と時代ガチャ』


財政や環境問題の政策課題は世代を超えた長期投資プロジェクトである。しかし、持続性の問題は新しく、利己的合理的な現代人は将来世代のために犠牲を払えない。そこで現代人に将来世代の役割を持たせてビジョンを作成する方法が試された。すると「仮想将来人」たちは俯瞰して問題解決に取り組み、そのことに喜びを感じた。これには役割を持ったことで人格を持ったという仮説がなされる。これを検証することが人間の知の変革の可能性である。



 この記事で課題の一つ目に挙げられていた現代人が利己的で合理的であると言う点に私は深く共感した。そして現代人の区分においての仲間意識の違いについて考えた。

 よく現代人は同じコミュニティ内では親切で仲間思いであるが、コミュニティ外の他人に対しては冷たく厳しいといわれる。それは社会が成長するにあたって生じたコミュニティ格差や、他人と接する際のハードルの高さによって生まれたものだと考える。また、昔は他者と共存して生活していかなければいけなかったのに対し、現代では生活がシステム化され、共存の必要が極端に少なくなったことも原因の一つであろう。しかし、財政や環境の問題に関しては同じ時代に生きる現代人同士が共通して抱えなければならない課題である。にも関わらず、現代人の仲間意識は弱く将来世代に対してとても冷たい。まさに、利己的で合理的なのだ。

 ここでよく考えてみてほしいのはそもそも現代人たちはなぜ産まれたのかという点だ。それは他でもなく、先人たちが命をかけて、国を次世代へと繋いでいったからである。第二次世界大戦では多くの若者が次の世代へ未来を託しながら死んでいった。彼らのおかげで私たちが生まれ、そして私たちは現代における問題を解決していく役割を持っている。

 戦時中の人々の中には生まれてきた時代を憎んだ者もいただろう。現代だって財政問題や環境問題、感染症などの問題は絶えないし、「時代ガチャ」が成功だとは言えない。しかし、自分が生まれる時代は選べないし変えられないのだ。だからこそ現代人は一度自分達を「仮想将来人」と仮定して過ごしてみるべきではないか。将来のことを考えて多少の犠牲を払うことはどんな時代を生きる人々にとっても重要な使命なのだ。現代の環境に甘んじて、合理的な判断だけを下すことは抱えている問題を先延ばしにしているに過ぎない。将来人のことも同じ課題を共有する仲間だと考えれば必然的に未来のための行動をするしかないのである。

引用記事 『未来設計力』

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