既読無視と未読無視はどちらの方がひどいか

 元々のそれぞれの定義はおそらく次のようなものだったでしょう。つまり、未読無視とは、気づいていないために無視してしまうこと。それに対し、既読無視とは、気づいているにも関わらず無視すること。
 しかし、LINEが人口に膾炙した現在、既読を付けないままにメッセージを読み取り、返信するのがめんどくさく感じられるものに対してはそのままスルーすることで、あたかも「忙しくてメッセージが見れなかった」というアリバイ工作をとる戦略が当然になされるようになりました。
 当然、この戦略は誰もが密かに取っておりますから、自分以外の誰かもその戦略をとっているのではないか、と推論するのは容易なことでしょう。
 こうして、現在は、未読無視は当初の定義とは異なる色合いを示すようになります。つまり、未読無視とは、相手のメッセージに気づいていない「フリ」をして無視のアリバイ工作を行うことだというものです。
 こうなると、既読無視と未読無視のひどさは後者の方が著しくなります。なぜなら、受信者の欺く意図が未読無視にはのしかかるからです。既読無視も未読無視もどちらの状況でも、基本的には、受信者がメッセージを確認している点で相違はありません。しかし、未読無視の場合は、アリバイ工作を用いて発信者に言い訳の欺きを行なっております。しかし、発信者はそのアリバイ工作に気づいているため、その欺く意図がありありと伝わってしまうのです。
いや、たしかに、「本当に忙しかったから見れなかった人」または「後から返信できるように既読はつけていないと答える人」はいるかもしれません。しかし、それらの言い分が事実であっても、受け手はアリバイ工作をしていると誤解する可能性が十二分にあります。それゆえ、これらの言い訳は、未読無視のアリバイ工作と同質の、すなわち、未読無視において相手のメッセージに気づかないフリをするアリバイ工作と同質の、アリバイを二重に重ね合わせただけに過ぎません。少なくとも受信者にはそう感じられてしまうので。こうして完成した言い訳のメッキは、重ねた分だけ見るも無惨にベリベリと剥がれ落ちてしまうのです。
 したがって、既読無視よりも未読無視の方がひどいと考えられます。こうしたテーマが議論の俎上に上がること自体、既存の価値体系、すなわち、既読無視の方がマシだと考える価値体系が転換していることを示唆しているとも言えるでしょう。

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