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京アニ放火殺人事件の裁判報道に触れて

 11月27日、京都アニメーションの放火殺人事件の審理について、マスコミ各社は、検察側の冒頭陳述のニュースを伝えたが、その検察官が使った表現に、非常に違和感、いやむしろ嫌悪感を覚えたので、指摘しておきたい。
 報道によると、検察側は、「(被告人の)筋違いの恨みによる復しゅうとして及んだ類例のない凄惨な大量放火殺人事件だ。亡くなった被害者の多さなど結果の重大性などを重視してほしい」と主張した、とのことであるが、オイラが違和感・嫌悪感を覚えるのは、この陳述中の「大量放火殺人事件」のうちの「大量」の2文字だ。
 尊い命が失われた人の数が多いことを「大量」と表現し、本来、犯罪を暴き、悪を質すという、言わば、社会正義を追及すべき役割を担っているはずの検察当局が、人の命をあたかも、枡や秤で計るような「量」という表現を用いたことに猛烈に抗議したい。
 確かに、過去にも同様の表現が使われてきたと思われる。
 そして、このような文脈で、「大量」以外の適切な表現は何か?と問われれば、すぐさま浮かぶ言葉は見つからない。
 と、しても、亡くなった人の数が多いことを指して、「大量殺人」はないだろう。
 

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