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「私なりの存在意義」 4年 吉川七海

 「私なりの存在意義」
4年 経済学部 吉川七海

「2部優勝1部昇格」を決めた3年の秋。
本当に嬉しかった。
一方で、どこか満足のいっていない自分がいた。

もちろん何か手を抜いたりサボったりしたつもりはない。
だけど、どこか物足りなくて、1部昇格を遂げたチームに貢献できている気がしなかった。


多分私は入部当初から、誰よりも自分の存在価値、存在意義、というものにこだわって活動してきたと思う。
その中で私は0→10にするような仕事ではなく、様々な業務をいかに効率よく回して、いかに細かいとこに気づいて手の届く範囲を広くするか、
会計担当としてチームの数年先を見据えた組織作りというものに重点をおき、
1→2や2→3にする仕事を誰よりも早く、数多くこなすことに自分の存在価値を見出していた。

だけど、役職が多くある中大サッカー部の中で、マネージャーの立場内で自分の強みを活かすことに限界を感じていた。
ピッチ外の様々な仕事に違和感を感じることがあっても、役職に囚われ、結果それを見て見ぬ振りをしていて。
それが、2022最終節の物足りなさに繋がったんだと思う。
ピッチ上はうまくいったけど、私にはまだやれることがあった。

ただ、4年で役職を変えるなんて一切頭になく、ラスト1年マネージャーとして何ができるか悩んでいた新体制が始まったばかりの練習時、宮さんに運営やらない?と言われた。

前からやりたかったけど様々な事情で、完全に諦めていた運営。
ホーム&アウェー制になる2023シーズンに向けて、誰かが運営担当をやらなければいけなかった。

改めて自分は最終学年において、どういう立場でチームに貢献したいか考えた時、
「人(選手)」を支えるのではなく、
「中大サッカー部」そのものを支えたいと思った。
多分運営担当はそれに最も適している。

ただマネージャーとの兼任は色々難しい。
だとしたら、融通は効きやすいけど、人の足りていなかった広報の事務的な部分(HPや外部とのやりとり、SNSの体裁)を担って、組織を支えたほうがいいんじゃないか。

考えた結果、私は運営兼広報に役職を変え、
自分の得意分野でチームに貢献することを選んだ。

大正解だった。
うまく言語化できないけど、マネージャーとしての経験を踏まえて運営・広報を経験することで、これまでやってきた仕事が全て線のように繋がり、大学サッカーそのものを理解し、そのなかで中大に足りない部分を補う行動が+αでできた。
ついでに、写真を撮ったり公式記録をつけたりする中で、あの選手はこんな動きをするなとかの戦術面や、Jリーグや他大のSNSを意識するようになったことで、サッカーの知識も深まり、これまで興味のなかったサッカー自体が好きになった。

1番良かったことは、他大学のスタッフの方々と話をする機会が増えたこと。
サッカー部のスタッフといっても、大学ごとに体制は大きく異なる。
他の大学には中大よりも少ない人数で、あり得ない量の仕事を抱えているスタッフや選手が沢山いた。
そんな人たちの存在を改めて見て感じたことで、自分がいかに甘えていたかを思い知らされた。

ただの運営、広報じゃ足りない。
これまで苦手意識を持っていた0から何かを作る仕事に挑戦しようと思い、
初めはそこまでやるつもりなかった画像編集に本気を出すようになり、
ちょっとした企画を考えるようになり、
どんどん自分で自分の仕事を増やした。



(↑こんなのはじめは一切やるつもりなかったです。)

そんな私が最後全力を尽くした
中筑定期戦と、最終節の平塚でのホーム試合。
仕事量は圧倒的キャパオーバーだったけれど、
間違いなく4年間で1番充実していたし、チームに貢献している、そんな実感が持てた期間だった。幸せだった。


最後だから言う。
ラスト1年で役職を変えること、本当は不安だった。
仕事を教えてくれる人はいなくて、
新しい仕事を始める時期と就活がドン被りして、
自分の勝手で役職を変えた以上何か結果を出さなくちゃいけなくて、
選手から見えない仕事になった分理解されないことも多くて、
誰ともこの想いを共有できなくて、
キツくて何度も泣きながら仕事した。
PCの使いすぎで整骨院通いになった。

だけど間違いなくこの選択は私にとって正解だった。
世界が何倍にも何十倍にも広がって、楽しかった。
私なりの存在意義をチームに見出すことができた。

選手から見ると、いてもいなくても変わらないし、
仕事で関わるみんなには、いつもいつもうるさいなと思われてたと思う。
特に事業本部、広報、そして宇山(3年・宇山翔太)、ごめん。

だけど、少なくとも、
初完全ホーム&アウェイの、中大の関東リーグを成り立たせたのは私だ。
リーダー不在の中、2023シーズンの広報を引っ張ったのは私だ。
お金が入れば入るだけ使おうとしちゃう健さん(佐藤健総監督)を食い止めたのは私だ。(笑)

中大サッカー部ももう引退だ。
なんでもっと早く動かなかったんだろう。
後悔することもやり残したことも山程ある。

だけど私はこれで終わるつもりはない。
これからは企業に勤めつつ、社会人チームのマネージャーとして活動する。
マネージャーという名前だけど、運営だって広報だって、他の仕事だって何にでも挑戦できる環境がある。
就職先の企業ではスポンサー企業の立場から、サッカーを取り巻く環境について深く知り、熱狂的な試合を創るという目標がある。

これまで全くサッカーに興味がなかったのに、気が付けば私の将来はサッカーを中心に考えられている。

だからこそ私は、この最後の1年で得た知見を活かし、
自分の存在価値を模索し続けながら、
これからもサッカーに関わり続けたい。

◇吉川七海(きっかわななみ)◇
学年:4年
役職:運営兼広報
出身校:中央大学高校

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