メガネの持ち腐れ!?超超超・自意識過剰のぼっち小学生
小学生時代から、私はめちゃくちゃ眼が悪かった。視力検査の結果は常にD。
「指している棒すら見えません」というあるあるを8才にして味わっていた。
それだけ眼が悪かったが、学校でメガネをかけることは一度としてなかった。持っていたのにも関わらずである。
一度として、メガネを学校に持っていくことはなかった。
メガネの持ち腐れである。
1、メガネをかけなかった理由
なぜ学校でメガネをかけなかったのか。
その理由は、「病的なまでの自意識過剰」である。そしてこの「病的なまでの自意識過剰」こそが、ぼっちをぼっちたらしめた最大の原因だと思う。
髪を切った翌日に、人と会うのが気恥ずかしくなるあの感覚。多くの人(平均より、シャイ寄りの人)はきっと味わったことがあるはずだ。この感覚がエスカレートした結果が「メガネの持ち腐れ」
ある日突然メガネをかけていったら、メガネに変えたやつとして、1日中認識されてしまう_
???
多くの人にはご理解いただけないかもしれない。ちなみに今の私にもあまり理解できない。
とにかく超超超・自意識過剰なぼっちは、メガネデビューに集まる僅かばかりの視線にすら耐えられなかったのだ。
ゲーム廃人だった小学校時代。視力は刻一刻と下がってゆく。それでも、小6までメガネを我慢し続けた。最終的には、前列座席に座っても黒板が見えないほどに悪化した。すると当然ながら、成績も低下する。
勉強も、スポーツも、音楽もできない。上に小学生ぼっち。超超超・自意識過剰のせいで、のび太もびっくり、「無能小学生」が完成されてしまった。
その後、中学入学と同時にようやくメガネデビューして事なきを得た。(ものの、今度はコンタクトに変えられない中学生になる)
2、ぼっちに至る病、それは自意識過剰
自意識過剰は、ぼっちを語る上での重要なキーワードである。
しばしば、このような質問を目にする。
「なぜぼっちになったのか」
少なくとも私にとっては、この問いはほとんど意味をなさない。10年間という長いスパンでは「なぜぼっちになったのか」というよりも
「なぜぼっちであり続けたのか」を考える方が重要だと思う。
ぼっちを10年間ぼっちたらしめた最大の原因は、超超超・自意識過剰である。
ぼっちというイメージ、無口な人というイメージ・・・ここから一歩でも踏み出ることを、自意識が許さなかった。
「不細工のくせに化粧」とか、「陰キャのくせに委員長」みたいな、イメージにそぐわない行動に対する反応を過剰なまでに恐れていた。
「無口なぼっちで、何を考えているか分からない。笑わない。趣味も特技もない。」
とにかく印象に残らないように、無機質なやつに徹底的になり切った。
好きなテレビ番組を聞かれてもニュースと答えていたし、好きな漫画を聞かれたら答えなかった。国語のテストでも、自由作文は完全スルーしていた。頭の中身が透けるようで怖かったから。
もはや自己開示が下手なんていうレベルではない。ある種の病である。
これでは、友達なんてできるわけがない。自分で自分にぼっちという呪いをかけてしまったのだ。
小学生ぼっちの心は重く、固い「自意識」というゲートで閉ざされていたのである_
3、笑ってはいけない365日間24時
特に「笑い」
これは重度ぼっちあるあるかもしれないが、人前で笑うことができなかった。
「笑ってはいけない24時」を365日開催していた。しかしながら元来、どちらかと言えば常に思い出し笑いでニヤけてる性分の私。(思い出し笑いがひどすぎて、マスクしてるレベル)
耐えきれずに笑ってしまったことが何度かある。
そうすると、「しゅんさんが笑った!」とわざわざリアクションされるのだ。ついには、寄せ書きにまで「あのとき笑ったのがめちゃくちゃ印象に残ってます!」と書かれてしまう。
不意に笑ったことがハイライトになってしまう学校生活。
笑っただけで事件になるなんて、人工知能以外にありえるだろうか_
この「笑い」が、固く閉ざされた心をほぐしてくれたのも事実である。
高校生の時、めちゃくちゃ独特で面白い男の子がいた。常に独り言をブツブツ呟いている奇妙なヤツだったけど、誰よりも熱心で、先生に果敢に質問したり、応援団に立候補していた。
彼の一挙一動がおかしく、気づけば笑っていた。その時、誰も笑う私に注目していないことに気づいた。そうして初めて「あ、笑ってもいいんだ」と思えたのである。
4、おわりに
時は流れ、2024年。
正直に言うと、今もこの自意識過剰は完治していない。「メガネがかけられない小学生」は「アクセサリーがつけられない大学生」に進化し、今もなお私を悩ませ続けている。
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