看護学校受験編、そして初めての病院勤務

まずは看護師になるための道として、「働きながら、学校に通う」という選択肢を選んだ。
埼玉県にある病院から求人あり。そして課題がわんさかある。中でも当時の担任含め多くの先生から不安視されたのは、そう。
「学力」だ🤣
当時の学校の成績は期末テストで5教科260点。
実力テストともなると5教科で180点。。。
就職先から求められた点数は高校在学中に400点を越すこと。
いやいやいや💦えーーーー!
一瞬で絶望感に苛まれる。しかし時間はない。
それからというものの決まって20時~2時まで毎日勉強。社会の歴史は1年生の教科書から繰り返し何度も読み、情報整理。英語はa~zまでの単語を覚えることから始める。
結果、功を奏し長い学生生活で初めて440点をとる。あとにも先にもこの1回のみだ。
そして無事に就職先内定&看護学校合格🎊

そして島から旅立つ日。親父から茶封筒に入った10万円を握りしめ飛び立った。そして早くも長崎空港でホームシックで泣く始末。
時は流れ、病院でヘルパーさんとして働くことになる。午前働き、午後は学校。夕方から19時半頃までまた仕事という日々を繰り返す。
島からでてきて、言葉になまりもあり、周囲の標準語がどうしても冷たく聞こえ、夜になれば夜空を見上げ、星が見えないことに涙し、3ヶ月で島に帰ろうと豆腐メンタルな日々を送る。

気分転換しようと田舎者の夢であった新宿にいくことを決意。西武新宿線のとある駅にいくも、電車の乗り方を忘れてしまい、キップを買うという概念がなく駅員さんに聞き込む。そして電車を待つにも、「準急、急行」などが電車に記載されており、違いがわからずにしばらく何本も見送る始末。(携帯いじりながら、別に急いでないし的な意味不明な余裕を見せる)

意を決して、電車に乗り込む。またここで事件発生。
新宿にいくにはどうしたらいいのかわからないのだ!(ただつくまで乗ってればいいだけだが、当時の自分はわからなかった)
今でも忘れない。勇気をもって隣に座っている、おばあさんに聞いたのだ☺️
「すいません、新宿にいきたいんですが、このまま乗ってればいいんでしょうか?※なまり炸裂」
そしておばあさんは「このまま最後まで乗ってればいいんですよ☺️ おほほほほ👵」
そして無事新宿に到着し、2千円にぎりしめて散歩。(親父からもらった10万を大事に使いたかった)
結果、缶ジュース買って飲んで、帰宅。
いいのだ。普段と違うことして気がまぎれればいいのだ!🤣

おっと、、話を戻そう。
当時はいわゆる、お局様もたくさんいて、いろいろと考えさせられる部分もあったが何とか耐え抜く。
そして月日は流れ准看護師免許取得。
さぁ、、本当の地○の幕開けだ。

~次回、豆腐メンタル崩壊寸前!? 救世主はイケイケな女先輩編~


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