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「袖をひく石」あれこれ

おかげさまで準決勝にまで進むことが出来ました。緊張のしっぱなしで食事も一日三回しかのどを通りません。(以下のリンクから読めます)


作品概観

(あくまで一つの読み方として)

海底炭鉱施設の跡地を見学に訪れた主人公は、黒い砂や石の散る浜で、石を拾う老人に出会う。老人は自宅(?)へ戻り、持ち帰った石を削りながらひとり語りを始める。以下のような話である。
「かつてこの地の炭鉱からは稀に上質の石(姫石)が取れたが、同時に子どもの失踪事件も起こった。失踪した子どもが坑内から発見されるようなことが続き、たたりと怖れた人々は姫石が出ると、丁寧に磨き上げて海に返してきた。時は過ぎ、偶然浜で姫石(と思われる石)を拾った老人は、幼馴染と相談の上、石を浜に埋め直したが、結局幼馴染は黒い手に連れ去られてしまった」
老人の語りは徐々に物語的な直進力を失い、混乱と自己弁護の混じった言葉の切れ端へと瓦解していく。無理に掘れば掘ろうとするほど地盤を脆弱にする物語の中で、老人に何があったのか、本当に石は浜に埋めたのか、幼馴染を連れ去ったのは誰なのか、何のために石を削るのか、削っているものが何か分かっているのか、果ては老人が本当に欲しかったのは幼馴染なのか、石なのか、明確な答えを出すことはできない。語りに当てられて怪異を期待する主人公の袖には黒い砂が纏わりつくが、よく観察してやるとそれは砂鉄であり、老人の話した石炭の物語とは、いささかの関連もないことが知れる。砂鉄は意思を持っているようで意思はない。自然の法は純然としてそこにあるだけだが、勝手に受け取り方をたがえて自壊していくのは人の常でもある。だからこそどこか愛おしい。この大会だってそうだ。

炭鉱について

舞台は山口県宇部市の西岐波町。かつて落盤事故を起こし閉山した長生炭鉱の遺構として、ピーヤと呼ばれる排水通気口が二本、いまでも海上に顔を見せている。1942年の水非常(落盤事故)により、朝鮮人労働者136名を含む183名が今も海中に眠っている。「石と人との交換」要素はこれをふまえたものである。この背景は直接かかわりはしないが、方言の傾向と海底炭鉱の存在から、少し検索すればたどり着くようにはしてある。

幼いころから炭鉱と団地と工場の町で過ごしたので、本作に限らず僕の作品は鉄と石のモチーフが頻出する。廃墟となった炭鉱長屋、廃止された引き込み線を転用した道路、朝、黄砂の向こうから響くコンテナ船の汽笛、そういうものが僕に小説を書かせる。黒崎の海岸は当時住んでいた家から歩いて三十分ほどのところにある。長生炭鉱と山口宇部空港のちょうど中間に位置し、実際に磁鉄鉱と砂鉄を採取することができる。高校生の頃、拾ったワンカップ酒の容器に砂鉄を詰め込んで地学の先生にもっていったら「ラベルを付けて標本にしましょう」と言ってくれた。今でも高校の地学準備室にあるだろうか。

方言について

方言の取り扱いは難しい。単なるエッセンスとして用いれば、その妥当性を問われることになる。少なくとも、その土地の背景、その地であることが作品を成立せしめるのだという確信は必要だと思う。一方で方言は純度を上げるほど(特に他地域の読者にとって)可読性が下がるので、塩梅がむずかしい。本作においても、長州方言(山口県西部方言)のうち、意味が取りづらくなる語尾など数か所についてはより読みやすいものへと直してある。
また炭鉱用語についても同様に、読みを損なわない程度の使用とした。

追記(ジャッジ公開後)

そんなこんなであえなく敗退してしまったが、やれることはやったかなという印象です。ジャッジの皆さんもよく読み込んでくださっている。本気のぶつかり合いは面白い。決勝は否応なしに推し同士の戦いなので、声援混じりに行く末を見守りたいです。お読みくださった皆様、ありがとうございました!

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