母校の制服がMCした話
格調高くも印象的な冒頭は菊池寛による大正九年作の短編『形』のもの。特に好きな作品で、また短いので折に触れて読み返す。
「槍中村」と呼ばれた槍の名手は戦場において猩々緋の陣羽織を羽織り、その姿を見たものは「ああ、猩々緋よ、唐冠よ」と恐れをなす。味方にとってこれほど頼もしいものはない。ある日若い侍が、初陣に陣羽織を貸してほしいと相談を持ち掛け、中村は快く懇願を受け入れるが、続く戦において若侍が颯爽と戦果を挙げたのに対して、羽織を失った中村はあっけなく仕留められてしまう。人々が怖れたのは槍中村そのものではなく陣羽織に唐冠という形の方だったという訳である。
個人的に、中村が形の本質に気付いたのが死の直前だったというのにしびれる。「念もないこと」として若侍に羽織を貸した彼に慢心はなかったと思う。そこに描かれるのは形質の持つ力が、それがそれとして当然のように存在する間は、絶望的に気づきがたいものであるという普遍の指摘だ。この指摘によって本作のテーマは同時代性を保っている。(ただ「形が大事」というだけであれば、それを克服する手段は文学以外にもさまざまあるはずだ)。
この作品は適度な難解さととっつきやすさ、テキストの短さから中学国語の教科書として長く使われており、僕がはじめて読んだのも中学生の時だった。その時の僕は「ふぅん、そう言う事も世の中にはあるのだなぁ」などと下手糞な関心をしたものだけれど、その瞬間自分が纏っている物には無頓着だったと思う。中学の制服が去年よりモデルチェンジをしていたのを知ったのはつい先日のことだった。
僕は中学の制服は好きだったがそれがどれほど意味のある形なのかは知れないでいた。紺のブレザーについたポケットの金刺繍やボタンのエンブレムが何をかたどったものだったのか、いまだによく分からない。なにしろ校章は別にあるのだ。事務員みたいなプラスチックの名札はつけたり外したり、外したりつけたりなくしたりして、必要性もよく分からなかった(中学三年間、名前の漢字表記を間違えられていた僕はずっと間違った名前を胸につけていた)。
意味も分からないまま着る服はそれでも何かしらを背負わされる。そこにはなんというか視線のようなものが常に存在していたはずだ、と今になればわかる。当時の僕らにそれはそれが見えない。中学生は自分が何者であるか、何者として見られているかには敏感だが、自分の評価が如何様にして自分の本当のところから外されているのかについては驚くほど無頓着だ。
流石にブレザーを残してはいないが、ネクタイは今も手元にある。安全を考慮したのか、首に巻いて結ぶのではなく、クリップのようにパチンと引っ掛けるタイプのネクタイ。色も赤、青、緑の斜めラインで、ブリットスクールを意識したような格調高さと周囲の風景がなじまず、さすがにスーツに合わせて付けられるようなものではない。そんなものを後生大事に残しているなんて、どうした了見だろう。当時、装うことで無自覚に背負った視線の先、僕として扱われはしたが僕の身体にはなかったものを、そのまま置いてきてしまったのかもしれない。
すこし感傷的になって長々と書いたけれど、何が言いたいかと言うと新しい制服がダサいんですよ! ダサいと言うと語弊があるか。洗練されて、洗練され過ぎてる! なんだか都会に合わせて、制服に背負わせる視線や空気を拡張して、国全体にうっすら広がるムードみたいなものに合わせているような気がして、ちっともオリジナリティを感じない。もっとやぼったくていいと思うんだ。それが魅力だったんだ。もちろん、これから胸を弾ませて中学に上がる子供たちは、そんなもの全然見えずに菊池寛に触れるんだろうけれども。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?