平成最初で最後の授業:確率について


こんにちは。

今日はちょっと皆さんに俺のお話を聞いてもらって、「確率」というものについて一緒に考えてみたいと思います。

確率とは、君らが最近学校とか塾とかで勉強した、「正6面体のサイコロを振って1が出る確率は?」とかいうあれです。「スイッチを押せば30%の確率で成功する。」とかいうあれ。

これについては、君らは普段やってるポケモンとかで「めいちゅう 85」とかいう数字にしょっちゅう触れてきており、すでに結構十分詳しいだろうと思う。これはご存知の通り、「箱の中に100枚のくじが入っていて、そのうち85枚が当たり」、というやつです。

今日考えたいのは、これの更に詳しい意味についてです。

「スイッチを押せば30%の確率で成功する」。

これは一見、「一回の挑戦で、30%の確率で上手く行き、70%の確率で失敗する」、というただそれだけのことだけど、実際にこの世界でスイッチを押すことになった場合、事はそう単純ではない場合の方が多い。

どういうことでしょうか。


スイッチを押す「権利」

まず、俺たちに、この「スイッチ」とやらを押す権利が、いったい何回あるかを考えてみてほしいです。

「権利」とは要するに、ルール上やってもオッケーかどうかということです。

基本的にはゲームに置き換えて考えてみます。

とある敵キャラがいて、盗むか倒すかすればAというアイテムが30%の確率で入手できる、とする。

これを見て、「70%失敗するのかあ、だめじゃん」と思うゲーマーは一人もいない。

なぜなら、大体の場合敵キャラは何度も現れ、俺たちはこれにほぼ何度でも挑戦できるからです。

たとえ1度の挑戦は70%の確率で失敗しようが、これを10回繰り返せば実際の失敗確率は約2.8%。(知ってるかもしれませんが、70%の現象が10回連続で出る、という確率は、0.7を10回かける、というやり方で計算できる)

これはつまり、「30%の確率で成功する」、とは、実際にはほとんど100%の確率で成功するのと同じ意味だということです。だって1回やって1回で成功する必要はなく、10回やって1回成功すりゃいいんだから。

挑戦するときは、成功の確率よりも、挑戦する権利が何回あるかの方が重要な場合もある、ということです。


スイッチを押す「コスト」

これだけじゃなくて、スイッチを押すときには、ほかにも重要な問題があります。
何かと言えばそれは、一回の挑戦にあたって必要になるもの、「コスト」です。

コストとは、ここでの意味を日本語で表現しようとすると対価とか代償とか負担とか小難しい言葉になり、一発で翻訳するのは難しいが、要するに何かをやるにあたって引き換えにしなくちゃならないもの、交換材料のこと。

「スイッチ」は全ての場合、ただで押せるわけじゃない。一瞬ただに見えるものでも、そこには必ずコストがかかっている。

そして俺たちにとってコストとは、究極的には「時間」のことです。(究極とは、パズドラで言う「究極進化」、聖闘士星矢で言う「究極の小宇宙セブンセンシズ」の「究極」のことで、ここでは、おもいっきり限界まで考えると、という意味です。)

ゲームで言えばコストとは、プレイ時間だけでなく、金銭(ゲーム内マネー)でありスタミナでありHPでありMPのことだけど、それらは全部結局は「時間」に換算できる。それらを入手するのに必要になるのも、消費したそれらを回復させるのも、結局突き詰めていくと「時間」だからです。

これは俺たちの挑戦すること全部がそうです。ゲームに限らず。

で、だとすると、考えなくちゃならないのは、その挑戦は、1回につき何分、何時間、何年かかるのか? ということです。

アイテム入手確率の例で言えば、もし1回の挑戦が1分で済むなら、10分やればほぼ確実に入手できるが、もしこれが1日だったら、確実に入手するには10日かかる、ということになる。

だったら他の、確率が高く、時間がかからない挑戦に、機会を回した方がよい、ということになってもおかしくない。

あるいは他のことと並行してやるべき、ということになる。


スイッチを押す「価値」

とすると、また別の重要なことが存在することが分かってくる。

その成功の「価値」です。

「価値」とは、君らにとってそれが大切かどうか、そしてそれをやらなきゃならない理由のことです。

その挑戦に成功する価値があるのかどうか?

10分で済むことなら、それに大した価値がなかろうと、その少しの幸せのために何回か挑戦するのに何の問題もない気がするが、これが仮に1年かかる場合、すべての時間を費やしてしまうのはちょっともったいない、ということになるのではないか。

まあ普通に考えるとそうだと思う。
しかし逆のパターンもある。

たとえ1年かかるとしても、その結果手に入るものが、自分の全てを賭けてでも絶対に手に入れたいものだった時です。この場合、話は全く変わる。この場合、どうするか。「1年かかるのかあ、じゃあ止めとこう」となるだろうか。

たぶん、ならないですね。

と言うか、なったらそれには大して価値がないということでしょう。だからこれは誰が何と言おうとやるしかない。それで1年はむしろ「安い」。間違いなくやる「価値」がある。

こう考えると、挑戦を繰り返すにあたっては、その成功に「価値」があるかどうかをまず判断することが重要なのだと分かります。


何が「価値」なのか。

しかし、そう分かったところでまた問題です。また分からないことが増えてます。

「価値」があるかないかはどうやって判断したらいいのだろうか? ということです。

何に価値があって、何に無いか、やる前に分かるわけがないのにどうやって判断したらいいのだろうか?

これは実は、誰にも正確なところは分からない、と言って良い。がっかりさせたら申し訳ないが、しかし、実はこんな重要なことが誰にもはっきり分からない、ということが、世の中の一番面白いところです。

もしドラゴンキラーを手に入れることが世界で最も価値があることだと決まっているとしたら、ドラクエは世界中で30億本くらい売れているし、逆にもしも全く価値がなかったら400万本も売れない。

なので誰にも正確なとこは分からないが、しかし、おそらく重要なのは、とりあえず色んなことをまずやってみる、ということです。
何故ならドラゴンキラーの価値が分かるのは、まず最初に銅の剣を手に入れてみて、その強さを知っているものだけだからです。

あるいは、銅の剣を手に入れたものだけが、実は自分に必要なのはドラゴンキラーではなく水の羽衣だった、ということを知るわけで、これは、一時間くらいドラクエを触ったり見たりしてみなければ、やる前には誰にも分からない。

あるいは、ドラゴンキラーも水の羽衣も、それを手に入れるまでにゲーム開始から20時間とか30時間かかることを考えると、そこまでして手に入れるべきものと思えない=ゲーム自体やるべきでない、という結論になることもあるでしょう。
こういう結論になる人は、ドラクエ以外のことも試しにやってみたことがある人だけです。

いろんなことを試してみて、自分にとって面白いもの、価値あるもの、時間をかけるに値するものをたくさん知って、その結果ドラゴンキラーに20時間かけないことにする。
この判断は、大人でもできない人が多い。

問題は、ドラゴンキラーに20時間かけて夜更かししてしまうことではないです。そんなのはやむを得ないことで、ドラクエをやっているのだから、ボスを倒すためにはドラゴンキラーは絶対手に入れなくてはならない。
そんな当たり前のことではなく、ドラクエ以外に何もやらない人生を送っていると、実は大してドラゴンキラーなど欲しくない、という場合があってもそれに気が付けない、というのが問題なのです。

ゲームは、この世で他に類を見ないほど、挑戦と報酬が極めて安易な結託をしているもの(まあ要するに「やるとすぐ結果が出るもの」、ということです)なので、快楽をイージーに生みやすく、そのため俺たちの時間を簡単かつ膨大に奪っていく。自分にとって何に「価値」があるか、という判断ができない人間の時間は容赦なく全部奪い取ります。
ゲームはとてもとても面白く、我々に多くのことを教えてくれるのでぜひやってみるべきだが、ほかの物事に挑戦するチャンスを奪ってもいるのだという認識は持つべきです。


で、ということは、ちょっとでも面白そうで、最初の挑戦が容易なものは、できるだけたくさんの種類、一回は手を出してみた方がいい、ということになります。
自分にとって何に価値があって何がそういうわけでもないかを知るにはそれしかない。
だから初めのころはいろんなことをやってみるといいです。
もちろん「初めのころ」に限らず別に一生でもいいです。
良く分からないこともできそうにないことも、別に誰も君らを止めはしないです。
もしそれに文句を言う人間がいるとしても(実は必ずいるが)全く気にしなくて良い。
他人を直接傷つけないかぎり、俺たちには全てを試す権利がある。
そして、基本的には死ななければ生きている限り再挑戦できるので、多少の傷を負っても心配する必要はありません。


ただ、たとえ試しでも一回もやらない方がいいこともあります。
麻薬とか詐欺とか何でもいいが、要するに犯罪行為=法律に違反する行為です。
これは、やると大体一発で致命傷になる(要するにゲームオーバーとか即死するとかいうことです)のでやらないほうがいい。
法というのは、なんじゃこりゃというようなばかばかしいものもあるかもしれないが、俺たち素人が一回の人生では準備しようのない落とし穴の位置をあらかじめ教える役割もある。ここには長い歴史とか経験とか知恵とかが含まれていて、要するにゲームで言う「初見殺し」を避ける機能があるのだから、知っておくべきだし、参考にしましょう。
ルールだから、ズルだから、という良く分からん理由で決まっているものではなく、とりあえずは、やると自分が直接ダメージを受けるもの、と思った方がいい。
最悪無視する必要があるとしたら、それで生じるダメージよりも得る価値の方がでかい時だけですが、ただ、これは相当な知識が必要なとてつもなく難しい判断で、間違えると最悪の場合自分や友達や家族が死んだりするから、まあ基本的にはやめた方がいいです。


加えて注意した方がいいのは、くれぐれも、他の人間が価値を見出しているから、という理由だけで長時間スイッチを押し続けない方がいい、ということです。
友達に紹介してもらって本当に面白そうだ、と思ったものは是非ともやった方がいいですが、そうでもないのにそれに挑戦する必要があるとしたら、それは、君らが必要とし、価値を見出している別のものと効率よく交換する材料に使えるものである場合だけだ。
それはたとえば、まあつまらんけど頑張って勉強したら頭がいいやつらがいる大学に行ける、みたいなことですね。
しかし、大学に行って何するかわからんけどとりあえず良いところに行っとこう、という発想だけしかないと、行っても大体の場合何にも無いんで、そこでエンディングになりがちです。


こういうものの代表例は、マネー。金です。ゲーム内マネーのことではなく、現実世界で使えるリアルマネーのこと。
金は、この世のほとんどの形あるものと交換できるからすごい。
しかし、価値あるものに交換するから持つ意味があるのであって、交換するものに価値がなかったら金自体に意味はない。
これは忘れるべきではないです。この世の大体のものは金で買えるが、欲しいものを全部買おうと思ったらどうせ何兆円あっても足りません。


たとえば、イチローの今の年俸は200万ドルです。これでも、1年じゃ下手したら東京都内だとマンションすら買えない。ブガッティ・ヴェイロンも買えない。イチローという超天才ですらこれです。
つまり、99.99999%の俺たちは、まず、自分にとって金で買う価値があるものが何なのかを知り、幾つかだけ選び取らなくてはならないということです。でないと一生、交換する金が足りないことに悩まされることになる。金とは、すべての人にとって常に足りないものなのです。


スイッチを押す「能力」

イチローは金のために野球やっているのだろうか? まあたぶん、というか、見りゃ分かるだろ、というレベルで、そんなわけないですよね。
イチローは明らかに金以外の何か別のことに価値を見出して野球をやっている。
それが何なのか、正確なところは彼自身にしか分からない(これも知っておいてほしいことですが、人は自分にとって本当に重要な価値について、他人には言葉で言わない・言えないものなのです)。
だがしかし、とにかくずっとヒットを打ち続けてきた。イチローの生涯打率は.322です。まさに10回に7回は失敗している。しかし、4367本というとんでもない数のヒットを打った。これは、彼がめちゃくちゃ挑戦しまくったからです。

https://gigazine.net/news/20140702-lionel-messi-analysis/

この図を見てください。英語なんで良く分からんかもしれんが、サッカープレイヤーのリオネル・メッシと、その他一流プレーヤーたちの、一試合当たりのドリブル挑戦数と、その突破成功確率を並べてみた表です。Messiでメッシと読みます。わかるだろうけど。(関係ありませんが、メッシは中国語では「梅西」と書きます。なんででしょうね。)

で、なんか、Messiだけ全然違うところに点がありますね。これは彼がいかに傑出した(超すごい、という意味です)フットボーラーか、という証の一つの例でしかないけど、要するに、彼はドリブルの成功率がナンバーワンであるだけなく、挑戦回数でもナンバーワンだから、結果としてとんでもない回数ディフェンダーをぶっちぎり、ほかのプレーヤーと比較して一人だけなんか全然違う場所にいる、ということを示している。

このイチローとメッシの例から読み取れることは、
・技術が高ければ高いほど挑戦することができる機会が得られる
・幾ら失敗しようと挑戦すればするほど成功数が上がる
ということの両方です。

厳しい話ですが、ある段階から、繰り返し挑戦することができるかどうかは、権利ではなく「能力」の問題になってくるようです。
まず技術がなければ(要するに、一回当たりの成功確率が高くなければ)、高いレベルで挑戦するところにたどり着けない。
そして勇気がなければ、重要な場面で失敗を繰り返すことはできない。
だから能力とはその両方のことだ、ということが分かります。


で、どうするか。

権利、時間、価値、能力。
こうやってざっと考えただけでもこれらが、「スイッチを押せば30%の確率で成功する。」ということには含まれている。

しかし、こう考えていくと、なんか途方もない気分になりません?

俺はなります。

実はめちゃめちゃ大変じゃないかこれ、手を出すのやばいんじゃねえか、と。

何か自分が好きなものを見つけて、それに対して何度も何度も挑戦して、それでも成功するかどうかわからない。イチローやメッシだったら10回に3回成功するかもしれないが、俺らだったら1000回やっても1回も成功しないかもしれない。
こんな、やってもがっかりするだけかもしれないこと、頑張ってやる意味あるかな、と思う。

普通に考えてしまうと、まあ無いでしょう。

しかし、これはまったく心配しなくていいです。
完璧な解決策があります。

もったいぶらずに言うと、それは、「スイッチを押すこと自体を成功としてしまうこと」です。

バットを振ること、
ボールを蹴ること、
紙にペンを走らせること、
ギターの弦を指で弾くこと、
誰かに向かって話しかけること、
その行為自体を価値にする、好きになることです。

結果はどうでもいいです。

「スイッチを押す時点で勝ち、あるいは楽しい」、ということを見つける。

これはすごい。結果が勝とうが負けようが完全にどうでもいい。なにしろ、自分にとっては押してる時点で勝ちだから、百戦して百勝で無敵です。
イチローやメッシに野球やサッカーのルールの中で勝つのは無理だが、成功してるかしてないかで言えば、完全に互角です。むしろ(まあそれはたぶんないが)もしイチローがバット振るのが嫌いで、君がバット振るの好きだったら、イチローはヒットを打つ30%しか喜べない分、100%喜べる君の方が遥かにいい思いしてる。

つまり、一番重要なのは、価値=意味をどこに見出すか、ということに、なる。その他の、「権利」も「時間」も「能力」も、こいつが決まらないと使い道がありません。

この「価値」が一体何なのかは、絶対に君ら自身にしか見つけられない。

これに関して、他の人のことはどうでもいいです。心底どうでもいい。
人の意見は重要だが、それは、君らが何に価値を見出すかという考えの材料として重要なのです。


そして、ここまで言えば大体わかると思いますが、何に「価値がある」と考えるかは人によって全然違う。
ドラクエが好きな人もいれば野球が好きな人もいるし、電車が好きな人もいれば石ころ集めが好きな人もいる。何を好きになるかは全員の自由で、それは他人から強制や変更はできない。その人がそれを好きになった理由はその人の自由で、それを否定する根拠はこの世に存在しない。

だから他人の好きなものは基本的に否定してはいけない。君に理解できようとできまいと何ら関係なく、基本的に是非とも大切にするべきです。(基本的に、というのは、どう考えても周囲の人間の自由と健康を損なうヤバいものを好きになってるやつがいる「例外」があるからです。この人達についてどうしたらいいか、というのは大きな問題です。とりあえず法律に任せておいて、俺たち自身が否定するのはやめとく、というのが基本戦略なんですが、大体の場合この人たちはルールでは判断できないような「例外」だから、実際には毎回悩みます)
もし否定するなら、いつか必ず君らの好きなものも否定されます。良くあるが、それはこの世で最も無意味な争いです。

人の価値を大切にしないやつが、人から自分の価値を大切にしてもらえるわけないのは分かりますよね。
だって理由がないのにバカにしてるわけだから、そりゃあ相手からバカだと思われても仕方ない。

逆に、君らが好きなものをバカにしてくるやつがいたら、どうするか。
まあ時と場合によるし、言い返すとか殴り返すとかやり方は自由なんですが、個人的には原則的にほっとく、が正解だと思う。世の中本当にいろんな人がいて、それぞれに好きなものがあるんだから、いちいちそれを互いに否定し合っていたらあっという間に戦争です。

たぶん、戦うべきなのはバカにされたときじゃなく、君らがそれをやる権利を奪おうとするやつが現れた時だけでしょう。こうなってしまったら、たぶん戦うしかない。たとえ君の味方が数人とか、最悪ゼロで、さらに下手したら法律とか色んなルールとかから見ても君が不利だったとしても、それでもたぶん、戦うしかない。仕方がないです。それは君にとってこの世で最も大切なことなのだから。しかしそうやって戦うというのは大変なことだから、どうかそういうことが起こらないように願います。


世の中ややこしい。

そして、ややこしいことに、人間同士で争いを起こす理由になるのは、「違い」だけではないです。誰かと「同じ」ものを好きになった場合もこの手の争いはしょっちゅう起きる。むしろ普段の生活では、こっちの方が多いかもしれない。価値の量は測れないから、比較などできないのに、やたら比較して優位に立ちたがる人がいるのです。

俺の方がドラクエ好きで詳しい、レベルも高い、俺はもうクリアした、お前は大したことない、やり方が間違ってる、とぼろくそに言ってくるひとがいます。しかし、これの意味はゼロです。本来、だから何だ、か、あっそう、で終わりです。でも実際に、こういう人たくさんいます。ひどい人になると、自分じゃなくて他人が出した優秀な結果を取り出してきて、それと比べて誰かをバカにしたりします。

こんなの聞く意味全くない、というのは当然として、なんでこんな争いが絶えないのでしょうか。

これは、はっきりしています。同じもので他人と比較して争いが起きるのは、「結果」だけに価値があると考えるからです。

いきなり「結果」に価値を求めると、その人にとっては結果にしか価値がないので、永久に結果を出し続ける必要があり、それは結果を出せない(あるいは自分よりも結果を出している)他人との「比較」とか「蔑み(相手を自分よりレベルが低いと考えてバカにすることです)」とか「妬み(きーっ、くやしい! うらやましい! という感情のことです)」を生み、瞬く間に争いのもとになります。結果は誰の目にも分かる、というか、この世で数少ない測定可能な物なので、容易に他との比較につながります。

非常につらくて分かりやすいストーリーです。

なので、順番としては、「楽しい素振りをずーっと繰り返して、うまい素振りは何かと考えたり試行錯誤を繰り返していたら、いつの間にかヒットが打てるようになった」にした方が面白いです。これだともしも「いつの間にかヒットが打てるように」ならなくても、ただの結果だから別にどうでもいいし、もし打てたら打てたで面白くてラッキーだし、だいいち物語の展開としても自然です。牛魔王と出会う前に孫悟空が超サイヤ人3になってしまったら、連載が半年くらいで終わってしまいます。

このことを「プロセス」とか「過程」と言います。重要なのはこれに自分で納得しているかどうかです。

しかしどうしても、とりあえず、いきなり「結果」が欲しいという人もいると思います。むしろそういう人の方が多いでしょう。「なんで一生続ける前提なんだ、今日だけ勝てばいい」みたいな。そういう人は、俺じゃなくほかの詳しい人に話を聞いてみてください。世の中にはたくさんプロがいるので、そういうのに詳しい人もたくさんいます。


スイッチを押し続けると、どうなるか。

そして、こうやって自分と他人の「価値」を大切にして、「結果」だけで他人と比較しない、ということを続けていると、とりあえずいいことがあります。

それは、他人との情報交換(話し合いのことです)の質が変わることです。

もし、相手も君の価値を尊重し、結果だけで君を判断しない人だった場合、君と相手の情報交換は、ものすごく意味のあるものになります。なぜなら、君と相手がそれぞれ持っている価値と、そのために今やっていることは、それぞれ違っているにもかかわらず、君にはその内容が少なからず理解できるからです。君がちゃんと説明する限り、相手も必ず少しは君を理解します。この理解は、互いにとって自分が見えていなかった場所に光を照らすようなもののため、上手く行くとまるで世界がもう一つ増えたような気持ちになります。

これを、コミュニケーションと言います。

そして何十人か、何百人かに一人、お互いの価値と過程を知らせ合ったところ、それを互いに本当に大切にしたいと考えられる人が現れます。

この人こそ、大人になってから作ることができる新しい友達です。

この人は少なからず、疲れた時に君にもう一度スイッチを押させる気力を生むでしょう。

そして、そうやってスイッチを押し続けると、いつか分かってきます。こんなのまだまだ単純すぎる話で、世の中はもっともっと複雑なのだと。夢中でスイッチを押し続けることが、それとは別の、無数のことにつながっているのだと。そしてそこには、それまで考えもしなかった全然別の次元の価値があるのだと。

しかし、それはまだだいぶ先の話なので大丈夫です。おっさんおばさんになってから気付いてもたぶん間に合います。
今はとりあえず好きなだけスイッチを遠慮なく連打し続けて、魔王を倒して世界を救うことが先決です。




今日の授業はここまで。

次回は「『だるまさんが転んだ』は中国語で何と言うか?」です。新元号になったらやりましょう。

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小説を書いています。こつこつと。最新長編小説「真中市から遠く離れて」を下記サイトにて公開中。http://man-nakashi.com/
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