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いつかは来る「死」の別れについて考える。

昨日、SNSでファンだったセキセイインコちゃんが亡くなった事を知った。ファンだった小鳥さんが亡くなるとショックだ、とても悲しい。
飼い主さんの気持ちを思うと心が痛むと同時に、自分もチュリが亡くなったら辛いだろうなと考えて不安な気持ちになってしまう。

チュリがいなくなる時は絶対に来る。その日が1日も先であることを願っているけれども、生きているかぎり死は例外なく来る。

「チュリを失う時、私はその悲しみに耐えることができるだろうか」

チュリへの愛情が深くなるとともに、死への不安を感じるようになっていった頃、「ペットロス療法士」という資格があることを知った。ペットロス療法士は、ペットロスによる悲嘆に苦しむ方に対して、別れのプロセスが健全に行われるように心理的なサポートを担う専門士。私は、今年に入って資格取得のための勉強をスタートし、先日晴れて取得試験に合格することができた。

資格を取得したと言ってもまだまだ知識の入り口に過ぎないのだが、これからも勉強は続けつつアウトプットもして、ペットロスに苦しむ人たちをサポートしたり、ペットロスにまつわる課題を社会に啓蒙して行けたらと願っている。

ペットに関わらず、人は対象喪失を経験したとき、悲哀という感情に包まれて、それによる苦痛を感じる。これは誰にでも現れる正常な反応なのだが、この時に別れのプロセスが健全に行われないと、悲嘆が長期化したり精神的症状を催す原因になることがあると考えられている。

対象がペットの場合は、飼い主はその悲しみの深さを周囲になかなか理解されにくい状況もあって、孤独感や葛藤を感じることもある。周囲にとっては「動物」だとしても、多くの飼い主にとっては「大事な家族の一員」。飼い主は、人同士の愛情に劣らない深い愛情を、ペットに対して抱いている事が多いのだ。ペットロス療法士は、そんな飼い主の心に寄り添い、飼い主とペットとの別れを心理的アプローチでサポートする。

ところで先日、チュリの診察で動物病院に行った時、先生が預かっていた保護インコが少し前に亡くなったという話を聞いた。「1週間しか面倒みてあげられなかったけれど、最後ちゃんと見送って、今は骨になって一緒にいるよ」と話してくれた。

先生は「命は必ずいつかは終わる。その時がきたら、その命をちゃんと見送ってあげることが大事なんだ」と話してくれた。その子をちゃんと見送ってこそ、次の子をお迎えできたり、飼い主も次のステップに移ることができるそうだ。たくさんの飼い主とペットとの別れを見てきた先生の言葉には重みがあった。

先生の言う「ちゃんと見送る」というのが、別れのプロセスを健全に行うという事なんだろうと思った。

悲しみへの反応は2つある。
一つは悲しみに打ちひしがれてそこから抜け出せないで過ごす道。もう一つは、悲しみを乗り越えて、次のステップに生かす道。
私がチュリと別れる時は、ずっとずっと先であることを願っている。けれどその日は必ずくる。その時には後者の道を選んで「ちゃんと見送れる」ようになりたいと思う。


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